表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/72

第5話 憑き物の御門違い 前段


 翌朝、立花美由紀が目覚めたのは慣れ親しんだ煎餅布団せんべいぶとんの上でした。長い夢を見ていたような、ずっと頭にもやがかかっていたような心持ちであったといいます。


「目が覚めたね」


 無遠慮に覗き込んでくるのは土御門光雄です。普段の安っぽい着物姿で、飄々ととらえどころのない様子ながら、どこかほっとしたような声でした。


「光雄さん! あたし……」


 美由紀が身を起こすと、体に巻きつけていた布切れが、憑き物が落ちるようにほろりと落ち、その胸元を半ば露わにしてしまいました。

 はっとして掛け布団を引き寄せ、身をよじる仕草が愛らしく、顔を赤くして縮こまっているところなど、昨夜までの寝子とは別人のよう。


「いやぁ、眼福がんぷく眼福がんぷく


「もう! やめてよ」


「はっはっはっ、その様子なら大丈夫だね」


「なんだか、まだぼうっとしてるわ。そうだ。あたし、猫になってたの。その時々の日差しの温かさや風の冷たさ、鳥の声に衣擦きぬずれの音。怖かったり嬉しかったり。

 最初のうちは、変だなぁ、お店に出なきゃって思ってたけど、そのうち、どうしてお店に行かなきゃならないんだろう。どうしてそんなことを思っていたのかなって。

 あたしだったものは段々なくなって、日だまりで眠る幸せに溺れてた。そんな時に、縄張りに入ってきたのが光雄さんで、猫のあたしは腹を立てて噛みついて……。

 ねぇ、あたしは死んだ仔猫に取り憑かれていたの? そんなことってあるのかしら。猫のあたしはどこへ行ったのかしら」


「さて、どこへ行ったか」


 目を細める光雄の懐から、にゃ〜、と幽かな鳴き声が響きました。続けて、ひょこっと顔を出したのは件の仔猫です。

 薄汚れた白い毛並みの隙間から金色の鈴も顔を覗かせ、ちりんと音を立てました。目を丸くして、美由紀が仔猫に手を伸ばします。


「まあ! おまえ、無事だったのね」


「やっぱり、こいつが例の仔猫かい?」


「ええ、野犬に食い殺されたとばかり」

 ぴょこぴょこと寄ってきた仔猫の頭を撫でながら。「じゃあ、あの血溜まりはなんだったのかしら。この子が野犬に襲われたんじゃなかったのなら……」


「そうだねぇ。本当のところはどうだろうか。その仔猫が人の言葉を話せれば分かるかもしれないが、想像するほかないな。この世の半分は想像でできておるのさ」


「よくわかんないけど、光雄さんは、どう思ってるの?」


「そうさな。文明開化のなんのと言っても、この東京には、野犬だけでなく、いまでも狐やいたち、狸、むじなも住んでいるからね。襲ったのも襲われたのも、はっきりどうとは分からんなぁ。ただ、その仔猫も怪我をしていたようだし、鈴が落ちていたことを考えても、何かに襲われて逃げ出したのだろうよ」


「何かって?」


「はてさて、そいつは難問だ。もしかしたら血溜まりはねずみのもので、えさの取り合いで他の猫に襲われたのかもしれん。あるいは、野犬に襲われた仔猫を助けようとして、誰かが野犬を殴り殺したのかもしれん。それとも、たまさか落ちた鈴の上で辻斬りがあったかもしれん」


「やだぁ。怖いこと言わないでよ」


「ふふ、まあ安心しない。それが化け猫でも幽霊でも呪いでも、よくわからんものは和馬が斬り捨てたよ。二度と現れまい。もう少しゆっくり休んでおくといい」


 着物の裾を払って、すっと立ち上がりました。障子が取り外された部屋の中は明るく、廊下から縁側へ、そのまま繋がっています。乾いた秋の空が、縁側を歩く光雄を見送っているのでした。



 今度は逆に、店の方が薄暗い様相で。


 さすがにまだ店を開けず、今日は御礼かたがた、光雄と和馬のために親父さんが腕を振るいます。もっとも、食って飲んではもっぱら光雄の方で、和馬の方は黙々と酒を干していきますな。足元に擦り寄る仔猫に、時々、あての雑魚じゃこを落としてやっています。


「結局、猫は無事だったのだろう? どういうことだったのか、俺が斬ったのは何だったのか。酒のさかなに話してみろ」


「さてね。わからんことはわからんし、美由紀ちゃんが元気になったのだから話なんぞいらんだろう? 猫の尻尾しっぽに蛇の足ってな」


「馬鹿を言え。いらんものだからこそ肴になるんだろうが。姿勢を正して聞くような話なんぞ、酒のあてになるものかよ」


 足元から、もっと雑魚じゃこをもらおうと仔猫が甘えた声を出しました。


「ほれ、仔猫も聞きたいとさ」


「勝手に通訳するんじゃないよ。くだらん話はもう御免だと言っておるかもしれんじゃないか。だが、どうせ話を聞くまで納得せんのだろうな。頑固な飲み連れを持つと苦労が絶えん。さて、なにから話したものか……」


 腕を組んで考え込むような光雄ですが、その顔には面白がっている様子がありありと浮かんでおりました。

 まだ日も高いうちから徳利とっくりを前にしての与太話よたばなし。どんな話か、もう少し聞いてみると致しましょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ