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短編集(短編及び短め連載完結)

婚約破棄をしましたが、陛下にご納得頂けなかったようです。

作者: と。/橘叶和

ヒロイン一人称です。よろしくお願いいたします。

好きな人がいました。いえ、まだ好きなのですが。その方は現皇帝陛下であらせられる方で私の幼馴染であり元婚約者でもある方でした。


この国では十数年前に流行り病が蔓延し平民も貴族も老若男女に関わらず多くの人が死にました。公爵家の娘であった私でしたが、両親及び一族の者ほぼ全てが死に絶え私と叔父のみが生き残りました。このまま没落するのだと幼いながらに思いましたが、叔父は優秀な人だったので私は一人教会に行くこともなく公爵令嬢として育ちました。叔父も奥様とお子様が亡くなっていたので叔父は私を自分の子どものように育ててくれました。


そんな中、同じくご両親を亡くされたローエン殿下との婚約話が持ち上がってあれよあれよという間に私たちは婚約者となったのです。公爵家の娘だった私には流行り病の前から打診があった話でしたがその頃には他にも候補者が多くいた為に保留にされていた話でした。しかし病のせいで目ぼしい娘がことごとく亡くなったので丁度良いのが私しかいなかったということでした。


殿下は未だ成人していないため皇帝位を継ぐことができず皇太子殿下のままでしたがその婚約者ということは将来皇后になることを決められるということでした。顔合わせにと久しぶりにお会いした殿下は以前会ったその人とは別人のようでした。


「お久しぶりです、殿下。」

「ああ。」

「殿下…?」

「何だ。」

「…いえ、何でもございません。」


殿下は元々とても快活な方でした。貴族らしからぬとよく言われていましたが、陛下たちがお許しになっていたので誰も止めはしていませんでした。女子であろうが木登りに誘うような方で隙あらば庭に走りに行ってしまうような方でした。私も何度か誘われたことがあります。スカートで付いていくのは大変でした。しかし殿下はぼんやりとしておられて、大人しく座っているだけ。家に帰ってすぐ叔父に殿下はご病気なのではないかと尋ねました。


「いや殿下はとても健康だよ。ただ心を閉ざされてしまったのだ。」

「それはご両親が亡くなったから?」

「それも違う。亡くなられた先の皇后が有名な魔法使いだったことを覚えているかい?」

「はい。」

「あの方は‘激情’というスキルをお持ちだった。」


‘激情’とはその気性のまま力を振るうことで国一つ転覆させるだけの力だったのだそうです。そしてそれは殿下にも受け継がれていらっしゃった。生きておられたうちは殿下のそれを皇后陛下が制御することもできたけれど亡くなられてはそれもできない。故に殿下は母君が亡くなったその日、母君から心を閉ざす魔法をかけられたのです。殿下がその心と‘激情’を制御できるようになるであろう成人の日まで殿下の心は閉ざされたままだと言われました。


「マーシャ、しっかりとあの方を支えて差し上げなさい。心を閉ざされていたとしても何も感じないわけではない。お前が共にあの方と成長して良き為政者になると信じているぞ。」

「はい、叔父様」


次の日からお妃教育でとても忙しくなったけれどできるだけ毎日、殿下にお会いしに行きました。殿下もお勉強やお稽古で忙しい中いつも私を迎えてくれました。殿下がお庭に出ようと言われないので私からお庭に誘いました。男の子たちのお遊びはお付き合いできないものが多かったですが、できるだけ以前の殿下が好んでいたことを思い出しながら一緒に過ごしました。


「殿下、そのようなことを仰ってはいけません。」

「何故だ、本当のことだろう。」

「そのように言われては悲しくなってしまうからです。どうか厳しいお言葉ばかり使われませんよう。」

「…そうか。」


殿下は元々明け透けに物を仰る方でしたが心を閉ざされてからは特にそれが顕著になりました。間違ったことは仰っていませんでしたが、そのお言葉に同年代の子女だけでなく大人たちまでもが恐れ戦いているので何度か注意を致しました。その度に殿下はどうしてそんなことを言うのだろうと不思議そうになさっていましたが、言っていい言葉といけない言葉を覚えていってくださいました。


「心を閉ざされてから煩わしいことも少なくなったが、人の気持ちが分からないのは少し困る。」

「その為にわたくしがおります。成人なさるその日までわたくしがお助け致しますわ。」

「そうか。」


殿下はやっぱりぼんやりと私のことを見て頷いて下さいました。その時の嬉しかったこと!殿下は私を信頼して下さっているのだと舞い上がってしまい夜に寝付けず体調まで崩してしまいました。その頃から段々と私は殿下のことが好きになっていきました。殿下は心を閉ざされてはいるものの決して私を邪険に扱うことはなく、私の誕生日には贈り物やカードを下さいました。…誰かから言われて仕方がなくしていたのかもしれませんが、それでも私は嬉しかったのです。


そうしてもうすぐ成人の日だという頃、私たちの婚約は解消されました。理由は隣国の姫君が嫁いできて下さることになったからでした。喜ばしいことでした。隣国も我が国と同様流行り病が蔓延してしまいあの頃から国内情勢がよろしくなかったのですが、我が国と友好的な勢力が政権を取ることができたので手始めに殿下同士の結婚を申し出てきてくれたのだそうです。叔父は心配してくれましたが、私に否やはありませんでした。


殿下が皇帝陛下になられる際に味方は多ければ多いほど良いですし、その味方が強力であればあるほど良いのです。ですが、一つだけ我儘を言いました。どうか私を教会にやって下さいと。ずっと殿下にお仕えするのだと思っていたので他の誰かに嫁ぐなど考えられなかったのです。また私がもし嫁ぐのであればそれなりの地位の方になるでしょうから、きっといつか社交界で心を取り戻された殿下を見ることにきっとなるでしょう。どうしてもそれは、それだけはきっと我慢ができず泣いてしまう。夫となった人にも殿下にもまた嫁いできて下さる姫君にもそんな失礼なことはできませんとお願いすると叔父は聞き入れてくれました。


叔父からすれば私は唯一生き残った身内の子どもでしたから、本当なら家同士の繋ぎ目に使いたかったでしょうに育ててくれた恩も返さない私に最後まで優しくして下さいましたし殿下にご挨拶するお時間も下さいました。


「殿下、お暇のご挨拶に参りました。」

「…何故、お前が私の婚約者でなくなるのだ。」


殿下はこの頃、魔法が解けかけているのかぼんやりすることが少なくなっていました。稀に微笑まれたり私が教えなくても人がどう思っているか考えるようにもなっていました。そして何故かご自身でもご存じのことを私に聞くようにもなりました。私の意見を聞きたいのだと仰っていました。


「隣国の姫君がいらっしゃるからですわ、わたくしのような者がいれば姫君も心穏やかに過ごすことができませんでしょう。」

「どうしても行くのか。」

「もう決まったことですもの。仲睦まじくなさいませ、良き皇帝陛下になられますようお祈り申し上げます。」

「私が行ってほしくないと言っても、行くのか。」


殿下は道に迷われたようなお顔で私の手を握りました。お別れの挨拶だというのにどきどきと胸が高鳴って嬉しくて悲しくて寂しい気持ちになりました。詩人の才能があれば詩的に表現できたのでしょうが、私にはその才能がないので心の中がぐちゃぐちゃになったとしか言えません。笑顔を作るのが大変でした。


「どうしてそのようなことを仰るのです?」

「お前がいなくなることを夢に見た。とても恐ろしい夢だった。お前がいなくなったら私はどうしたらいい。もう誰も私が間違っていることを教えないだろう。人の心が分からない為政者などあっていいわけがない。お前は私を助けると言ったではないか。」

「殿下は良い為政者におなりになります。もう成人の日も近いですわ、わたくしの助けなしに人の心も分かるようになるでしょう。」

「それだけではない、夢の中の私は胸を掻きむしっていた。苦しい苦しいとお前が隣にいないのが酷く辛かった。思い出すだに耐え難い苦しみだった。」

「それは、きっと、わたくしたちは幼馴染ですもの。離れるのが寂しいのですわ。わたくしも、寂しいです。」

「ならばここにいればいい、私を愛していると言っただろう!私だってきっとお前を愛している、この苦しみが愛でないなら何だと言うのだ!」


心を閉ざされてから殿下がこんなにたくさんを話されたのは初めてで驚きました。本当に魔法は解けかかっていました。しかし殿下は‘きっと’と仰った。ご自分でもご自分のお気持ちに確信が持てないのでしょう。そのはずです。だってそれは。


「殿下、愛をはき違えてはいけません。」

「はき違える…?」

「愛にも色んな種類がございます。お友達に対するもの家族に対するものそして伴侶に対するもの。殿下がわたくしに下さっているのは親愛でございます。間違えてはいけません。」

「…親愛。」

「隣国の姫君は賢く美しい方だと伺いました。きっと殿下も好きになられますわ。」

「…。」

「苦しいのも寂しいのもきっと今だけです。どうか殿下、心穏やかにお過ごしくださいませ。」

「…そうか…お前がそう言うならそうなのだろう。」

「ええ、お二人の元で我が国はきっと華やかに栄えることでしょう。」


ずっと握られていた手が離された後、私は涙を堪えるのが難しくなり挨拶もそこそこに退出しました。それが最後。私の好きな人を見た最後でした。今、私は国の外れの田舎に私の為の教会を作ってもらいそこで生活をしています。既存の教会に行くとばかり思っていましたが叔父が用意してくれていたそれを無下にもできず、最後の贅沢だと受け取ったそこは静かで王都のことも聞こえてこず平穏に暮らせております。


公爵家の娘だった私が急に教会暮らしなどできる訳もなく、初めは使用人も用意してもらいましたが自分で自分のことができるようになってからは使用人にも暇を出し平民の方と同じように生活ができるようになりました。我が国の教会で祀っているのは代々の皇帝皇后陛下で現皇帝陛下も祈りの対象となります。毎日教会や地元の方たちと祈りながら、陛下と過ごした日々を思い出してしまうこともありましたがきっと時が癒してくれると信じていました。


―――


今日のお祈り時間が終わり教会の方々とお掃除していたら、何だか外が騒がしいので様子を見に出ました。外には近衛兵の服を着た兵隊たちが軍馬に乗って庭を踏み荒らしているのです。驚きましたが教会主である私が動揺してはいけないと教会に務めている方々を奥に避難させ何事ですかと尋ねました。


「皇帝陛下の命である。教会主マーシャを引き渡してもらおう。」

「マーシャはわたくしです。陛下の命であるのならば従いましょう。」


陛下の名が出たことにまた動揺しましたが、ここで逆らってはいけないと努めて冷静に返事をしました。近衛兵はさすがに縄で縛ることはしませんでしたが、前後左右に一人ずつ付き私を歩かせました。暫く行くといつの間にたてたのか大きな天幕がありそこに入れられました。そしてそこにはもう二度と会うことはないと思っていた方がいらっしゃいました。


「久しいな、マーシャ。」

「お久しぶりでございます、皇帝陛下。」


酷く動揺したものの、長年受けていたお妃教育の賜物か顔に出さずに済みました。久しぶりに貴族の娘としての礼をとり天幕中をそれとなく見回すといくつか見知った顔がいます。皆、何かしらの役職についている要人ばかりでした。


「此度の行幸はどのようなご用件でございましょう。」

「お前に与えられた教会を潰しに来ただけだ。」

「…は。」

「お前は私に嘘を吐いた。皇帝に虚偽するなど許されることではない。」

「お、お待ちください、陛下。わたくしは嘘など。」


さすがに動揺が隠し切れませんでした。教会を潰すだなんてそんな恐ろしいことを言われるとは思っていませんでしたし、陛下に嘘を吐いたことなどありはしなかったからです。慌てて陛下を見ると心を閉ざされていた時には見せなかったような怒りの表情で私を睨んでいらっしゃいました。


「いいや、お前は私を騙した。」

「そんな、そんなことは。」

「お前は苦しいのも寂しいのもすぐに無くなると言った。しかし私はずっと苦しいままだ。心が開かれてからずっと苦しんでいる。あの夢で見た通りになった。お前はそうはならないと言っただろう!」

「何にそんなに苦しんでらっしゃると言うのです。わたくしは陛下を騙すなんてしてはおりません。」


陛下の怒りに触れ酷い恐怖を味わいながらもそれを認めるわけにはいかないのです。私がこの方に嘘を言うなど、騙すなどありえないことなのです。誰からも陛下からも信じてもらえずとも私だけはそれを認めるわけにはいかないかったのです。陛下がまた恐ろしいお顔をされて何かを叫ぼうとした時、宰相補佐であった初老の人が私たちの間に入りました。


「お二方とも落ち着かれませ。これでは進む話も進まぬというもの。」

「お話?」

「ええ、マーシャ様。あなた様は陛下の妃になられる予定だった姫君が既に隣国に帰ったことはご存知でしょうか。」

「いいえ、いいえまさか!」


宰相補佐は私が王都より離れてからの事柄を教えてくれました。隣国の姫君は約束通り嫁いで来て下さったものの納得をされていないご様子だったようです。聞けば本当は姫君には幼少より約束した婚約者がいたとのこと。姫君もその方と結婚して王位を継ぐはずだったそうです。しかし国内情勢が傾き、姫君ではなく弟君が王位を継ぐことなり婚約は破棄され陛下との結婚を決められたのだと。陛下はそれを不憫に思われ姫君を隣国に返されたそうです。


「そんな…我が国の皇帝陛下を何だと思って…。」

「貴女も貴族の娘ですな。初めの着眼点がそこですか。」

「当たり前でしょう!これは戦争が起こっても仕方がないと言われるようなことでしてよ!」

「普通年若い女性はラブロマンスに心打たれるものでは?」

「侮るのも大概になさいませ!」


貴族の娘たる者、決められた方と結婚しその家の繁栄のために尽くすのは当然のことでしょう。小説やお芝居で恋に胸を高鳴らせたとしてもそれは空想の中でのみ許されることであって現実にそのようなことあっていいはずはありません。しかも国家元首の結婚相手として国を出た人がそのようなこと。


陛下がお慈悲を与えられたとのことですが、この行動でどのくらいの無辜の民を危険にさらしたのか理解していらっしゃるのでしょうか。その情熱を少し羨ましくも思いますが、民の血税で生きる我々貴族がしかもその頂点であられる方がそんなことをするなんて!あまりのことに立ち眩みが致します。


「マーシャ!」


先ほどまでとても怖い顔をされていた陛下が駆け寄って支えて下さいました。私は重罪人です。陛下が怒っていらっしゃる理由がやっと理解できました。


「ああ、陛下。申し訳ございません。わたくし、そのようなことになるだなんて…。」

「それはお前のせいではない。酷い顔色だ、早く椅子に。」

「いいえ、陛下。わたくしはこのまま断頭台に参ります。あなた様にそんな屈辱を味わわせてしまうなどと…どうぞこの首お好きになさいませ。」

「なんと、なんと恐ろしいこと言うのだ!」

「…陛下はわたくしのことを自ら裁きにいらしたのではなくて?」

「そんなことをしに来たのではない!誰にだってそんなことはさせん!」


てっきり陛下は姫君が予定通りに嫁がれなかった件で私を断罪しにいらしたのだと思ったのですが、どうやら違うようです。まあこの件を進めたのは私ではないので私の断罪の前に罪を問われそうな者も天幕の中にはおりましたから冷静に考えればそうかもしれません。しかしでは何故と聞こうとした時、天幕が無作法に開かれました。


「虫が良すぎると申し上げたでしょう!」

「叔父様。」

「ちっ、来たか公爵。」


天幕に入ってきたのは叔父でした。無作法とかけ離れた方なのですが、血相を変えて先ほどの陛下のように怒っております。天幕の中の数名が渋い顔をしていますが叔父以上に位の高いものはこの場には陛下のみ。誰も何も言えないようですが、叔父が来たことで何か不都合がある様子です。私は本当に何が起こっているのか分かりません。陛下は何故か私を叔父から遠ざけるように抱きしめられました。


「マーシャは二度と陛下のお側に侍ることはないと申し上げたはずです!」

「それに私が納得をしたと思っていたのか!」

「一度は納得されたはずだ、だからこそ姫君を迎えられたのでしょう!話が流れたからと連れ戻すだなどと公爵家の一人娘を、マーシャを何だと思っているのです!」

「それは、だが…!それでも私にはマーシャが必要なのだ!」

「ならば何故それを姫君を迎える前に仰らなかった!貴方がそう言えば私だって動けたものを!マーシャをこのような辺鄙な土地に追いやることも、皇帝に見捨てられた哀れな娘よと後ろ指さされることもなかっただろうに!」

「マーシャがそう言ったのだ!そうせよと、国の為だと!」

「この期に及んでマーシャのせいにするおつもりか!」


叔父の剣幕に圧倒されました。こんなにまくし立てた話し方をする人ではなかったと思っていましたが、長年一緒に暮らしていても知らないこともあるのものだと驚いていると陛下がばっと私を見ました。


「ちが、違う、マーシャ…。だが私にはお前がいなくては…!」

「ええい、いい加減にマーシャを離さないか!貴方方はもう婚約者でも何でもないのだ!」


叔父が私たちを引き離そうと迫ってきますが陛下は私を離しません。二人の剣幕に言葉を詰まらせてしまった時、ずっと黙っていた人々の一人が声を上げました。


「公爵、それ以上の狼藉は謀叛ととりますぞ。」

「魔術翁、何故貴様が私を止める!」

「誰も彼もが恐れをなして止めぬからですな。爺めは悲しい。」

「爺ぶるのではない!」

「叔父様、魔術翁に何てことを仰るのです!」


魔術翁はその名の通り魔術を使う翁。長くを生き帝国を守護する翁。今まで黙っていたのが不気味なくらいのお喋りなお爺さんですが、特別枠の地位を与えられた方で然るべき時には皇帝陛下にも諫言をなさるだけの権力をお持ちです。公爵であろうと叔父が怒鳴って良い方ではありません。


「貴殿は許さねばならんのです、公爵。マーシャ様は鍵をお持ちなのだから。」

「鍵だと?」

「わたくしは何も…。」

「いいえ、お持ちのはずです。陛下すらお忘れのようですがあの日、先の皇后様はひとしきり騒いでおられたので爺めはよく覚えておりますぞ。」


とりあえず落ち着いた陛下と叔父に見られましたが鍵など、重要な鍵など私は持っておりません。鍵というのが比喩で重要な情報のことであれば、確かにお妃教育の際に知り得てしまったものがありますがそれのこととも思えません。


「スキルを持つ方々は皆、鍵をお持ちです。それをあの雪の日貴方方がまだ爺の腰ほどの背丈だった頃、陛下はマーシャ様に差し上げられたのです。覚えていませんか、雪玉を兎に見立てて遊んでいた時にそれを陛下から賜ったでしょう。その雪玉に鍵が一緒になっておったのです。」

「…確かにそのような遊びをした記憶はございますが、それが鍵なのですか。雪の兎はすぐに溶けてしまいましたわ。」

「そうです、鍵とは形のないもの。スキルを自身で制御するのでなく相手に任せてしまう為に使うもの。先の皇后様はご自身の鍵を先帝にお渡しでした。」

「だから何だと言う。何故許さねばならない。」

「鍵を渡してしまえばスキルの持ち主は自身でその力を制御をしなくても良くなり精神状態が落ち着くのです。逆に鍵の持ち主は心を落ち着かせねば最悪その強力なスキルの力で殺されてしまう。しかしスキルの持ち主は鍵の持ち主の言うことには逆らえません。そうやって力関係を保つのです。また鍵と遠く離れれば離れる程、スキルの制御も感情の制御もできなくなる。鍵を渡し受け取ってしまった以上は離れ離れなど言語道断。だから爺めは二人の婚約破棄には元々反対しておったのです。」

「そんなことは言っていなかったではないか!」

「スキルを持つ方々以外には基本的には口外しないようにしておりましたからなあ。よもやこの爺めの意見を誰も聞き入れんとは思わなかったのです。」


魔術翁は天幕の中をじとりと見回しました。貴族たちは皆委縮しています。確かに姫君との婚姻話が出た際、魔術翁は反対をしてくれていたと聞きました。このような事情があったとは知りませんでしたが、気になる一文がございました。


「魔術翁、力関係を保つと仰いましたが鍵はスキルの持ち主に言うことを聞かせてしまうのでしょう。それでは保ててはいないのではないですか。」

「いいえ、スキルの持ち主が気に入らないことを言い聞かせすぎると鍵は壊れてしまいます。文字通り持ち主ごと。鍵の持ち主は常にそのスキルに殺される危険と隣り合わせなのです。」

「壊れた鍵は元に戻りませんの?」

「持ち主が死ねば鍵は一度スキルの持ち主の元に戻ります。しかし気狂いになる者も多い。先の皇后様は耐えられなかった。病で先帝が亡くなられた後の憔悴は見ていられなかったですなあ…。」


先の皇后様は魔術翁のお弟子様であったので思うところがあるのでしょう。しょんぼりとなさる魔術翁を支えようとしましたがまだ陛下が離してくださいません。どうしようと叔父を見てみるとぶるぶると震えて顔を真っ赤にしてしています。


「つまり、何です。マーシャはいつ死ぬかも分からん状態だと!陛下はそれを承知でマーシャを見捨てたと!」

「陛下はご存知でなかった。爺がお教え申し上げなかったのです。心が開かれるその日、爺は二人にそのことをお教えするつもりでしたからの。」

「何ということだ、何と…。私は兄や義姉になんと申し開きをすれば…。」

「先ほど陛下はマーシャ様が申されたから姫君を迎えようとしたと仰いましたが、それは正しくそうなのです。陛下はマーシャ様の言には逆らえません。鍵が壊れるまでは自死の指示以外は全て聞いてしまわねばならない、否聞く他がないのです。」

「…そんな。」

「加えて陛下の心は閉ざされていました。先の皇后様がカモフラージュの為にしたそれでしたが、あの状態で味方もなく鍵にまでもそうせよと申されて正確な判断を下せたとは言い難いでしょう。許さねばならないのです、公爵。マーシャ様の為にも。」


がくりと膝をついた叔父の肩を魔術翁が叩きました。貴族たちはやはり何も言いません。私も今度こそ陛下から離れようとしましたが陛下もやはり離しては下さいませんでした。


「陛下、あの」

「止めろ。」

「へ、陛下」

「止めろ、喋るな。漸く分かった、どうしてもお前でなければ駄目だった理由が漸く。お前が何でもないように館へ帰る度に閉ざされている筈の心が苦しみを訴えたことも、お前が共に居てくれた時に感じた安息も、あんなに辛いと分かっていてお前を手放したことも全て!お前は私の妃にならねばならない!そうせねばならないのだ!」


すぐそばで怒鳴られて耳がキンと痛みます。こんな風な陛下を見たのはまだ私たちの両親が生きていた頃、私たちがまだ婚約者でもなんでもなかった頃以来でした。そう、元々陛下は快活で激しい気性の持ち主でした。不安と恐怖でどきどきと鼓動が早くなり胸が痛いくらいになっていましたが、場違いにもそう言えばそうだったと感心してしまいます。


「しかし陛下、一度ケチのついた婚姻話は縁起が悪うございます。」

「まだ…まだ、そんなことを…言うのか…。」

「陛下…。」

「マーシャ、陛下に嫁ぎなさい。」


陛下がやっと私を離して下さったのと、叔父が立ち上がりながらそう言ったのは同時でした。陛下と叔父は似たような表情でしたが、陛下は叔父を叔父は私を見つめています。


「皇帝陛下の言に逆らうことはしてはならぬ。公爵家がそれをしてならない。」

「ですが、叔父様…。」

「考えてもみなさい、他に誰がいる。目ぼしい娘はもうおらず、侯爵家に先月生まれた赤ん坊が育つのを待つ訳にはいかない。そしてお前の持つ鍵。お前が誰に嫁ごうと誰にも嫁すことがなかろうとお前は既に最重要かつ危険人物だ。お前の一言で国が傾き滅ぶのだから。」

「…っ!」


確かにそうです。今までは何も知りませんでした。私も陛下も貴族の誰も私たちのことを知らなかったのです。ですが知ってしまいました。今までのようにはいかないでしょうと魔術翁の話を聞きながら理解はしていました。しかし面と向かって言われてしまい言葉に詰まる私と叔父の間に陛下が割り入ります。


「マーシャがそんなことをする筈がない!それはお前が一番よく知っているだろう!」

「ええ、私は知っております。しかし他の者はそれを知らない。そしてマーシャを利用しようという者も集まるでしょう。人の口に戸は立てられません。どうです魔術翁。あなたの願い通りになりましたかな。」

「人聞きの悪い…。」


魔術翁は悪戯な顔で視線だけで空を見ました。叔父はその様子に隠すこともせず舌打ちをし、もう一度私に向き直りました。


「公爵家の娘として、陛下に仕えなさい。それでもどうしても、舌を噛み切ってもいいと思えるくらいにどうしても陛下が嫌だと、幼少より共にあったお前をすんなり捨てた陛下を信用できないと言うのなら私も考えよう。…どうする、マーシャ。」


どう、と言われても…。陛下が私を振り返りました。ああ、教会の質素な修道着を着ているのが今になってじわりと恥ずかしく思います。陛下にお会いする際はいつもめいっぱいお洒落をしておりましたのに。修道着は動きやすく気に入っています。しかし、ああ。考えが纏まりません。陛下だけでなく天幕の中の全員が私を見ていました。どう、とは。どうしたら良いのでしょう。だって私は婚約を破棄してこの地に来ました。でも姫君はもうおらず、私は鍵で。今日一日だけで情報が溢れかえって、どうしたら良いのかなんて。


「マーシャ、お前はいつも難しく考えすぎる。」

「陛下、ですが。わたくしはたくさん考えないと…。」

「私が嫌か、マーシャ。舌を噛み切るほどに。」

「っ!いいえ、いいえそんなこと!」


そんなことはないのです、絶対にないのです。私だってずっとあのまま陛下と共にあって、妃となり二人で国を担ってゆくのだと思っていました。世継ぎができなかったらどうしようとは考えたことがありましたが、姫君の話が出るまでは陛下と夫婦になることを疑ったことも他の方に魅力を感じたこともなかったのです。


心を閉ざされていても陛下は優しかった。私の話を聞いて下さった。私を気にかけて下さった。成人の日が近づくたびに少しずつ表情が豊かになっていくのを間近で見られるのが嬉しかった。でも本当に私が戻っても良いのでしょうか。この首落としてしまって陛下がご自身で鍵をお持ちになった方が良いのではないでしょうか。…陛下は私がそう言えばそうして下さるのでしょうか。


「マーシャ様、馬鹿なことはお考え召されませぬように。」

「魔術翁…。」

「鍵は大事なものです。とても大事なものなのです。お二人が幼かったあの日、それを渡した陛下だってそれは分かっていらっしゃいましたよ。翁はよく覚えておりますぞ。先の皇后様に貴女とずっと一緒に居たいからあげたのだと嬉しそうに仰っていた日のことを。」

「…。」

「本当はあの日から貴方方の結婚は決まっておりました。鍵のことを隠すために公式にはまだ他の候補者をあげてはいましたがな。」

「…どうして、鍵のことをあの時に黙っていらっしゃったのですか。あの時、そのことを教えて下さっていれば、わたくしだって。」

「それに関しては大変申し訳なく、爺めは本当に驕っておったのです。こんなに大事になるとは思ってもみなかったのです。決してマーシャ様を貶めるつもりなどございませんでした…。」

「止めて下さい、魔術翁が膝をつくなどと…わたくしは謝罪をして欲しい訳ではないのです…。」


膝をつこうとする魔術翁に立ってもらいました。魔術翁は皇帝陛下と同一の位を持っていると言っても過言ではない方です。私が妃の位を持っているならばまだしも公爵家の娘に謝意を示すなど本来はありえません。


「マーシャ。」

「はい…陛下…。」

「別れる日に私がお前を愛していると言ったらお前はそれを親愛だと言ったな。」

「…はい。」

「心が開かれてよく分かった。確かにお前が言ったように親愛でもある、しかしそれだけではない。お前に側にいて欲しいし触れてみたいと思う、お前の隣に私以外の誰かがいるかもしれないと思ってここに来るまで気が気ではなかった。」

「…。」

「どうしても嫌でないのなら頼むから戻ってきてくれ。虫が良いのは重々承知している、どれ程かかってでも償おう。もう一度私を信頼して欲しいとは言わない、ずっと疑ってくれていてもいい。ただ側にいてくれ…。」


陛下が私の手を取られ跪かれました。こうして跪かれるのは初めてではありません。王族である陛下であろうとも私は婚約者でしたのでパーティーなどで何度かして頂いたことがありました。あの頃はそれが当たり前で、嬉しくは思っていましたが今日この時ほどの衝撃はありませんでした。別れたあの日のように心が乱れてしまいます。


子どもの頃から感情を動かせすぎてはいけないと、国にとって最良のことだけを選ばなければいけないと教えられてきたのに。今の私にはそれができません。人前で泣くなどしてはならないのに溢れてくるそれを止められません。


「嫌ならそう言いなさい。叔父様がなんとかするからな。」

「公爵!」

「私は仕方がなく!本当に仕方がなく!許しますが、マーシャが拒否するのなら叔父として彼女を助ける義務があるのです!兄夫婦に頼まれていますからね!」

「ぐ、う…。」

「マーシャ、ほらちゃんと言いなさい。」

「マ、マーシャ…。」


取られていない方の手で涙を拭っていたのですが、二人の掛け合いが可笑しくなって笑いがこみ上げてきます。何だか思い悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってきました。そんな私に構わず陛下は少し自信なさげな顔をなさって、叔父は意地悪そうな顔をして言い争っています。


「ふふ、お二人とも、もう…。」

「ほら、マーシャ様。こんなのが我が国のトップ1、2ですぞ。マーシャ様が戻っていらして手綱を握っていて下さいませんと。」

「まあ魔術翁、そんな、失礼ですわ。…ふふ。」


魔術翁の言葉で決心がつきました。…あまりよくない決心のつけ方かもしれませんが。


「陛下、お話お受け致します。わたくしでよろしければこの命尽きるその日までお仕え申し上げます。」

「本当か!」

「本当か…。」


わっと天幕の中が賑わいました。陛下と叔父は同じ言葉を使いましたが、陛下は立ち上がりとても嬉しそうにして下さって叔父は残念そうでした。ほぼ反対のお二人にまた笑いが零れてします。


「ですが陛下、わたくしは皇帝陛下に虚偽を申したのでしょう。それは良いのですか?」

「意地の悪いことを言ってくれるな…。ここに来るにも理由が必要だったのだ…その、悪かった…。」

「まあ、ではわたくしの教会は潰されなくて済むのですね。」

「…。」

「陛下?」

「必要か、あれは。」

「必要です。」

「…。」


陛下はむん、と口を結ばれて考えこまれました。どうしてあの教会を目の敵になさるのかは分かりませんが叔父が折角建ててくれた大切な教会です。地域の方も利用して下さっていますし、潰される訳にいきません。今度は魔術翁がくつくつと笑いながら口を開きました。


「マーシャ様、陛下はあの教会があればマーシャ様がまたあそこに戻ってしまうと思っていらっしゃるのですよ。」

「まあ。」

「そういう場所は必要なのです、陛下。狭量な夫は嫌われますぞ。」

「それは、困る…。困るが…。」

「わたくしは陛下がわたくしを必要として下さっている内に教会に住み込もうとは思いませんわ。ですが教会は潰して頂きたくないのです。…陛下がどうしてもと仰るのならわたくしはもう、何も言えませんが。」


慎重に言葉を選びながら私の言葉が陛下への強制力を持たないようにお話しすると陛下は渋いお顔をされて小さく分かったと言って下さいました。


「ありがとうございます、陛下。」

「…私はお前の良い夫になりたい。何でも言ってくれ、もう二度とお前を失いたくはないのだ。」

「まあ、そんなことを言って…ええと、よろしくありません。ええと。」

「前のように話してくれ、不都合などなかっただろう。さもないと…そうだ、お前のクローゼットの中身を全て入れ替えてついでに拡張もしよう!」

「いけません、税は回さねばなりませんがそれは過ぎた贅沢ですわ。…あ。」

「それでいい。そうやって私をたしなめてくれ。私とておかしいと思ったら次は必ず鵜呑みにせずに話をするとも。」

「…はい、陛下。」

「(…鍵の力などなくてもあの方はマーシャに逆らえないのでは?)」

「(ほほ、先帝と先々帝を思い出しますな。血筋ですかなあ。)」


また抱きしめられました。先ほどのように不安はなくあるべき所に収まったような安心感が私を包みます。元々妃になるために育ってきたのです。義務だけでなく、ただ陛下のことを思っていたのです。


きっとあれやこれや言う者もいるでしょう。ですがこの方のお側に居られるのなら、それを陛下が望んで下さるなら私はそうしたいのです。恐ろしい鍵を持っていることにもきっと慣れるでしょう。陛下が隣にいて下さるのなら。…少し夢見がちですが、今日くらいは許されるのではないかと思うのです。


「陛下。」

「名で呼んではくれないか、昔のように。」

「…ローエン様、わたくし、貴方様のことをお慕い申し上げております。」

「…。」

「ローエン様?」

「マーシャ!」


両頬を陛下の大きな手で覆われたかと思うと、唇が塞がれてしまいました。突然のことで驚くのも一拍遅れてしましたが、こんな人の多い所で!


「陛下!何をなさっています!」

「煩いぞ公爵!もう文句は言わせん!」

「馬鹿を仰るな!まだ書面にも起こしてないのです、まだ他人!まだ他人です!離れなさい!」

「断る!」

「陛下!」

「断る!」


二人の子どものような言い争いに今まで一言も話さなかった天幕の中の貴族たちが止めに入りました。どうしましょう、嫁姑問題ではなく婿舅問題が勃発しそうです。魔術翁を見ると涙を浮かべながら笑っていらっしゃったので私も一緒に笑ってしまいました。


この後、本来の予定通り妃となった私はそれはもうあれやこれやありましたが比較的幸せに暮らしました。ああ比較対象がどこかにもよりますね、ただ陛下はお言葉通り私を慈しんで下さいましたし私も陛下への気持ちが薄れることはありませんでした。国を治めるのも叔父を宥めるのも大変は大変でしたが、運よく子宝にも恵まれて戦を起こすこともなく平和な時代を生きられたと思います。めでたしめでたし、で良いかと。

テンプレが書きたかったのです。

読んでくださりありがとうございました。


追記

皆様のおかげで日間ランキング20位圏内にランクインすることができました。本当にありがとうございます。何と言うかもっと素通りされると思っておりましたので、嬉しい誤算でございました。興味を持って頂きありがとうございました。


感想も頂くことができ本当に嬉しく思います。文字でのコミュニケーションに不安があり個別に返信は致しませんが、全て読ませて頂いております。


ツコッミの多かった「へい」の部分は面白くていいかな?とも思っていましたが一応シリアスシーンだったので変えました。


鍵とスキルの関係性ですが、少しくらいなら交渉もできます。

例えば

鍵「あれ取ってー」

スキル「自分で取ればー?」

鍵「えー取ってよー」

スキル「もー」

くらい。

スキルが「どうしても?」と聞いた時、鍵が「やっぱりいい」と言えば強制力は無くなります。またヒロインの断首についてですが

「わたくしはこのまま断頭台に参ります(→ヒロインの意思)。あなた様にそんな屈辱を味わわせてしまうなどど…どうぞこの首お好きになさいませ(→ヒーローに処分を任せている)。」

となりヒロインの意思表示及びヒーローに好きにしてと言ってるだけなので断首して欲しいとは言ってなかったりしました。これが

「断首台に連れていって首を切ってください。」

と言ったいたらアウトでした…。後だしじゃんけんみたいですみません…。


書ききれていない背景や設定も多くあります。本当だったら連載にしたいのですが、今、連載を書く体力が無くて大変悔しく思います。ですがこんなにも読んで下さる優しい方が多いのであればいつか連載版も書きたいな、とも思います。


重ねて申しますが、読んで下さり本当にありがとうございました。

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