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8、清定館の老師

 老師は次の日には、いつものように過ごしており、詩子は駆け寄って、そのしわがれた手を握る。


「老師!生きている」

「ウタ、ただの呪力切れじゃ、案ずるでない」

「よかった、老師よかった。私、嬉しい」

「心配をかけたの、もう大丈夫だから、その手を離してもらえるかの?若い娘は軽々しく男性の手を握るものではないぞ」

「男性……」

「わしは男性だぞ?男を辞めたつもりはない。ウタ、こちらでのことを覚えねば、暮らしていけぬぞ」

「老師、教えて。教えてください」

「そうだな。ウタよ、たくさん学ばねばならない」


 老師は微笑み、詩子の黒い瞳を見つめる。マーナンの勧めで、穏やかに陽の差し込む長椅子に座る。


 空は高く晴れ渡り、風もなく、静かで暖かい。

 老師は手元の茶器をそっと口に運ぶ。詩子は老師に問う。


「私、力があるかな?」


 詩子のつたない蒼語ではあるが、老師は苛立つことなどなく、正確に意味を掴み、正しい蒼語を詩子に教える。


「力とは?」


「シンセントさん、怪我を治す。老師は記憶を見る。それは力」


「おぉ、呪力のことじゃな。ウタ、お前には力はない。これは間違いがないであろう。お前がこの世界の理の中におさまるのならばな。これは呪力と言ってな、生まれながらに授かるのだよ。貴賎を問わず、神より与えられる力だ」


「呪力、なぜ、私にない?なぜわかる?」


「そうよのう、もしかしたら、おまえにもあったかもしれぬ。しかし、この力は王と誓約せねば、十歳で失われてしまうのだ」


 詩子には、老師の話はわかるのだが、意味がよくわからなかった。


「ウタ、この世界には神様がいるのだ」


 老師は苦く笑う。自身の子はおろか、孫にさえ語ったことのない、寝物語を異界から来たらしい娘にする自分がどうにもおかしかった。


 小さな一室の窓から見える青く高い空の色が、長くそばで仕えた王の瞳の色のようであった。


「この世界は昔々、一人の巨大な力を持った神様が支配していた。神様は優しく、この世界に暮らすすべての生き物を愛しまれた。そして、その神様には五人の子供がいて、神様はその五人の子供たちに力を五つに、そしてこの世界を五つに分けて、それぞれ、与えられた。力を得た子供たちはその神様の子供とはとても思えないような、暴虐の限りを尽くす、抗おうにも、子供には神の力が与えられている。この世界の生き物たちは嘆き悲しみ、たくさんの命が失われ,この地は荒れ果てていった。そのことを知った神様は、とてもお怒りになられた、そして、子供たちの力を奪い、粉々に砕かれたのだ。その砕かれた力はその国の民に分け与えられた。その力を使うためには、神の子供と、その力を持った者が、ともにこの国に尽くすと約束して、初めて力を使うことができる。神の力で、手と手を取り合って、この国をよりよいものにしていくようにと、神様は望まれたのだ。そして、神の子はこの国の王となり、神の力は呪力と呼ばれる。力を持って生まれたものは、呪術師を呼ばれるのだ」


 詩子は、わからない言葉もおそらくあったであろうが、じっと耳を傾けている。老師に真っ直ぐに向けられる瞳をそっと見やり、老師は続ける。


「この国は、世界の東に位置する、蒼国。その王の瞳は昔から、蒼と決まっておる。蒼い瞳は王の証。その王だけが力を持つ者と誓約できるのだ。誓約をした者だけが、呪力を使うことができるのだよ」


「呪力」


「そうだ、呪力だ。この力は持って生まれるものなのだ。性別も親も兄弟も、貴賎も問わぬ。ただ、あるかないかだ。この力を持つ者は必ず、九つまでに呪力が現れる。そうしたらば、王と誓約する。この国のためにこの力を使うとな。誓約を交わさぬまま十を過ぎれば、呪力は失われて、天へ還る」


「呪力が天へ還る、意味わからない」


「神から与えられた力、それが消える。その力はまた誰かの元に宿り、力を持った者が生まれる。そうして力、呪力は廻るのじゃよ。もと一つの巨大な力だ、それが細かく分けられ、民に与えられているのじゃ、呪力を持ち、この国のために尽力するものが呪術師だ」


「シンセントさんは呪術師?」


「そうだ、シンセントは優秀な呪術師なのだ。契約を済ませた者は練成館にて学ぶ。呪力を呪術として為せるよう、心身を鍛え、呪文や精神統一を学び、呪術の精度を上げていく。その中で、優秀な者が清定館に学ぶことをゆるされるのだ。ここはナララコラの清定館だ。こではさらに呪術を磨く。呪術だけでなく、その呪術を最大限に生かすために、剣術、体術を磨く。そうして、その中でも、特に優秀な者だけが、王の直属の呪術師として、青龍の宮に属することを許されるのだ。これは、呪術師として大変な誉であり、王都に住まうのだよ」


 老師の話は難しく、聞き返すべきところもわからなかった。しかし、シンセントがとても優秀な呪術師であり、呪力を有し、呪術を使える者は多くはないことが分かった。そして、この世界はあちらとはずいぶん異なる。王のいる、呪術師のいる世界。青龍の宮。


「青龍の宮?」


「そうだ、青龍の宮には優秀な呪術師だけが配される。大変な誉れなのだ。その宮は王都にある。ここからウタが歩くと、二十日以上はかかるの。王都には蒼王と、青龍の宮の長が住まう。たくさんの王族だけでなく、この国の政の中心がそこにある。たくさんの人がその都には住み、武に優れた者、文に優れた者が王城に務めておる。大きな門の美しい青の瓦、そこから真っすぐにのびる大通り、見上げるほどに大きく美しい王城。日に煌めく、瓦が連なる様子が、今でも瞼に浮かぶ。ウタもそこに行くがよい。おそらく、宮の長はそなたを待っているであろう」


「……え?待っている?なぜ?」


「それが定めであろうよ」


「定め?」


「そうじゃ、定めじゃよ。……私がここに来たのも、定めであろうな。長く生きると、様々な思いが積み重なり、思うように物事が見えなくなるもの。しかし、それを家名とともに捨て、この地に来た。手を放すときの恐怖、新しい環境への不安、それを越えてしまえば、新たな環境は心地よく温かい。もう戻れぬ。そして、そなたに会った。これこそが、定めじゃ。このローサの呪術をもう二度と使うことなどないと、思っておった。私以外の誰が、そなたを異界からの来訪者と知ることができよう。いや、信じることができよう。そなたの言葉が誰かの耳に届いたとしても、誰もが謀られたと憤ることであろうからな」


 老師の独り言のような言葉は意味の分からない言葉もたくさん混じっていた。それらに詩子は耳を傾けながら、老師のいうように、自分の言葉を信じる者がいないことを思う。異界から来たということなど、誰も信じることができないであろう。自分自身こそが夢心地で信じられていない。そんな事実をほかの誰かに信じてもらえる気がしなかった。


 記憶を見ることができる呪術を使う老師がここにいることが、老師の言う定めであるなら、そうなのかもしれない。老師以外の人は誰も詩子が異界から来たと信じることはできないと詩子は思う。





 黄昏が辺りを包み、あたりはひんやりと冷たい空気に包まれていく。あたりは暗くなり、星と月が光始めていた。

シンセントは重く、痛む体を寝台から起こし、左の肩をゆっくりと伸ばしていく。砕けた肩は筋肉がこわばり、うまく動かない。少しづつ鍛錬をしてはいるが、体は予想以上に衰えていた。

 シンセントは軽く型をさらってから、寝台に腰を掛ける。

 開け放ったままの戸から、冷たい風と共に、酒精の香りが漂い、酒気をおびた老師が入ってきた。


「シンセント殿、ちといいかの?」


 その返事を聞くことなく、老師は寝台の前の椅子に腰かける。その手には、たっぷりと酒の入った杯が握られていた。月の明りをしばらくみつめたまま、盃を重ねる老師にシンセントは語ることはなかった。


 風にのって、小さく虫の鳴く声だけが聞こえている。

 ぼそりと老師は話し始めた。


「異界からの来訪者じゃ。シンセントよ」


「は?」


「異界じゃ。異界からの来訪者じゃ、そのような者がいると信じられるか?私はいまだに信じられんよ。わが呪術に偽りなどありはしないと、自分自身が一番よくわかっているというのに」


「異界から…でございますか?」


「そうじゃ、異界、そのような世界があると誰が思った?この私を欺けることなど誰にもできはしない。アリアロレスにはもちろん、過去にもおらぬ。おとぎ話に語られる、フローセイ・ナロナビくらいであろうよ。フローセイはこの世に、異界が存在すると知っていたのであろうかな?シンセント殿はどう思われる?青龍の宮に残る記録はおとぎ話と大差のない、あいまいなことばかり。ナラティス様は記録を詳細に残すという点においては、偉大な宮の長であったのやもしれぬ」


 老師はシンセントに語らうも酒気は濃厚で、言葉は次々に飛び、シンセントに語りながらも、返答を待っていない。シンセントの体調は徐々に回復しているとはいえ、頭の芯がしびれるように痛んだ。瞼が下がり、体に思うように力が入らない。老師の言葉を酔人の独り言と解釈し、さらりと聞き流していく。

 シンセントは老師が酒気を帯びねばならないほど、衝撃を受けたという事実には思い至らない。そして、その酒気は老師の思考を奪うことなどできてはいない。


「ローサ殿」


「老師じゃよ。ここにはローサなどいはしない」


「……老師。ここにウタを置いてもらえないだろうか。ここであれば、できる仕事もあるであろうし、どこかに奉公に出るにしても都合がいいと思うのです。確かに言葉は不自由であるし、少々、得体の知れないところはありますが……」


「なんと!シンセント殿、その言葉は冗談で言っておられるのか?」


「…?いや、そのようなことはまったく」


「では、そなたは私の話をきいておらなんだか?」


「……申し訳ありません、意味を掴みかねます」


「シンセント殿、すべてはキーレン様の掌上よ。すべてをわかっているのだよ。そなたを北に向かわせたことも、私をここの清定館に配したことも、このためと思う。おそらく、キーレン様はウタがここに来ることを知っておって、誰がどのように関わるとどのような結末を迎えるか、わかっているのだよ。つまり、キーレン様はウタを王城に連れていくことを望んでいるのであろう」


「お、王城に?ではなぜそのようにご指示なさらない?」


「それが、必要であるからであろう」


「……」


「われら、凡人にはキーレン様の頭の中は理解できぬ。そう思わぬか、シンセント殿。サナ湖に向かい、異界からの来訪者、黒目黒髪の者を連れてまいれと、なぜ、言われないのであろうな」


 シンセントには理解できなかった。どうしても、老師の言われるように、キーレン様の意図であると思えなかった。また、キーレン様がウタに会う理由が思い当たらない。

 少々不思議な少年であったが、正直なところ異界からの来訪者とは信じられず、また、ともに旅をしていると特別な力を秘めている様子はなく、重要な人物であるとは到底思えなかった。


 ――ただの食い意地の張った少年だ


 シンセントは詩子が屋台の前で物ほしそうに、眺めていた顔が浮かび、頬を緩めた。


「しかし、いろいろと解せぬところがあるの。シンセント殿、アリアロレスの襲撃に本当に心当たりはありませぬか?そなたの纏っていた香りはまさしく、アリアロレスのヤフィルタのものであった。ヤフィルタが来たということは、必ず目的があったはずだ。その目的はなんであったのであろう」


 シンセントの思考にふわりと浮かび上がった言葉があった。


「そのとき、今思い出しましたが、ヤフィルタが、『月の乙女』と。月の乙女はどこだと、乙女を渡せと言っておりました。もちろんその意味は分かりませんし、ともにいたのは、ウタだけでしたので、月の乙女とは」


「月の乙女?聞いたことはないの、ウタに聞いてみるのもいいかもしれぬ。ウタを狙ったわけではないのか?」


「そのとき、私も一瞬、乙女とは言っておりましたが、ウタが狙われているのかと思い、結界の中にウタを隠しました。その結界からウタは飛び出してきて、ヤフィルタは確かに、ウタを見ましたが。じっと見つめて、そのまま、消えました。そのあたりからの記憶はあいまいで、ウタが私を抱え、泣いていたことくらいしか覚えてはいません」


「なぜに、ヤフィルタは何もせずに去ったのであろうな。あの者は目的のためならば、手段は選ばない。ウタが目的でないとすると、いったいどのようなわけがあるのであろうな」


「老師、私はあの時、呪力を使い果たしましたが、ヤフィルタも相当の呪力を使っておりました。状況は互角であったと思われます。ヤフィルタがどれくらいの呪力を使うことができるのか私はわかりませんが、いったん、引いたと考えることもできる状況でした」


「うむ、ヤフィルタの呪力は相当強い。シンセント殿もかなりの呪力を有しておるからのぉ」


 老師は考え込むように、顎をさする。


「老師、これは、関係がないかもしれませんが、私自身の呪力が弱くなっているように感じています。呪力は増減するものなのでしょうか?」


 老師はシンセントの言葉に垂れ下がった瞼をあげて瞳を丸くする

「……シンセント殿、私もじゃ」


 そっと、盃を傾け、老師は考え込むように瞳を閉じる。


「たくさんの呪力を使うことめったにないが、先日、ウタの記憶を覗き見たとき、驚くほどに呪術がつかえなんだ。あの程度で呪力が枯渇することなど、ありはしない。呪力は年齢を重ね、老いても変化はしないとされておる。知識を高め、技術を磨き、呪術を精巧に成すことができるようになるが、呪力は持って生まれるもの。不可解じゃ」


「さようでございますか」


「やはり、なんとしても一度、キーレン様にお会いすることじゃ。あの方は待っているであろう」


 老師はその後もシンセントに大いに語り、盃を重ねる。徐々に呂律は回らなくなり、会話は何度も同じことを繰り返すようになった。シンセントはときおり、うつらうつらと意識を飛ばしながらも、老師とともに過ごす。 

 いつまでも明りの灯るシンセントの部屋を不審に感じた、マーナンがやってきたことで、老師は引きずられるように去っていき、シンセントはやっと眠りについた。




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