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6、清定館の保護

 シンセントが小さな呻き声を上げ、薄く瞳を開けると、闇夜に星がきらめくような、黒い瞳を持つ少年が映る。

「シンセントさん……。良かった」

 のぞきこまれていることで、横になっていることに思い至る。

 そして、記憶が巡り、赤茶の髪の呪術師に襲われたことを思い出す。

「う、痛っ……」

 身体中が痛み、身をよじることもままならないことに、愕然とする。

「……良かった」

 袖で涙を拭い、赤い目をしたまま、無理やりに笑った詩子は、人を呼んでくると言い残し、部屋を出ていった。

 シンセントの記憶は山中で途絶えている。

 ここがどこかはわからなかったが、命があり、また詩子が一緒にいるということは、どうにか助かったようだ。

 話に聞いていた『アリアロレス』新しい蒼という意味を持つ者達を初めて目にし、襲撃を受けた。赤銅の髪と瞳を持つアリアロレスの呪術師、ヤフィルタは話に聞いていた以上の呪術師であった。強力な呪術だけでなく、剣技に優れた。シンセントは自らの左腕が強烈な痛みで動かないことに気付く。シンセントが青龍の宮に配され、蒼王の警護を任されるまでになったのは、自身の体を鋼のように硬くすることができる呪力のためである。もちろんその呪力をいかすための鍛錬を怠ることはなかった。その呪術を以ってしても、重い攻撃に体は傷ついていた。

 アリアロレスは自分たちこそが、蒼国にふさわしいと言い、蒼国は生まれ変わるべきだという考えを持っている。

 そのヤフィルタはシンセントに襲い掛かった時、『月の乙女』を探しているようであったが、それがどういう理由からなのかシンセントにはわからない。

 シンセントは呪術師として、王と契約を結び、幸運にも青龍の宮に属した。その時、アリアロレスの存在はすでに周知であり、青龍の宮に敵対していることを宮長のキーレン様も知りながらも、静観していることに驚きを隠せなかった。

 青龍の宮に敵対するということは、つまり、王と敵対するということ、それは契約に反し、呪力を失うはずである。しかし、彼らは存在し、また王を弑殺しようとしているという。また、宮長のキーレン様が静観しているという事実。

 誰もが疑問に感じながらも、追及することなく、触れてはならないこととして、誰もが口を閉ざしている。


 柔らかな光りが室内を照らし、少しひんやりとした空気がシンセントの頬をなでる。

 シンセントは大きく息をする。

 ――考えても仕方のないことだ


「老師!はやく!!」

 詩子の声にシンセントは頬が緩む。

「ウタ、そんなに慌てなくてもいい。私を急かして転んだら大変であろう?」

「大丈夫、老師は元気!」

 詩子とともに、白髪の痩せた老人が入ってきた。

 垂れ下がった瞼の隙間からのぞく瞳は薄い灰色で、知性をにじませ、目元や口元に刻まれたシワは穏やか笑みを浮かべている。

「おお、本当じゃ、ウタの言う通り、目を覚ましておるな。そなたの名はシンセントと申すのか?」

 シンセントは小さくうなずき、肯定の意を表す。老師は顎をさすりながら、にこりと微笑む。

「ここは、サンタン山の麓の街、ナララコラにある清定館だ。私の名は、エメィルタ。まあ、皆は老師と呼ぶ。シンセント殿は、サンタン山中で瀕死の重傷を負い、清定館の下男に助けられ、ここに運ばれた。呪力の枯渇に加え、左腕と左肩の粉砕骨折、肋をはじめとした、多数の骨折、腹部の腸、脾の臓の損傷、他多数の打撲痕を認めた。ここは清定館であるからして、私の権限で、学徒の皆が総出で治癒を施した。ここまではよいか?わからないことや聞きたいことは、後でまとめて答えよう」

 詩子が老師のもとに椅子を運び、老師は詩子に微笑むとゆったりと腰を下ろした。

「そして、3日間、眠っていた。ときおり、目を覚ましていたが、またすぐに眠っていくような状態。ウタはもう目を覚まさないのではないかと、ひどく心配しておったわ。ここから張り付いて離れないくらいにな」

 老師はニヤリと笑う。

 揶揄われていることに敏感に気づいたようで、詩子が老師の腕を掴み、口をとがらせている。

 少し目の下にクマを浮かべてはいるが、変わりない詩子の姿を見て、シンセントは安堵した。

 ここが清定館であることに、重ねて安堵する。

 ――ここにウタを任せよう

 シンセントがそう思っていることを詩子は知らない。清定館であれば、王の保護もあり、市井に下りて暮らすよりは安心できる。たくさんの学徒が学び暮らすため、様々な仕事もあるだろう。どうしても、難しいようなら、清定館から仕事を探してもらえばいい。シンセントが探すよりも条件は多少よくなるだろう。

「ウタ、マーランのところに行きなさい」

 老師はゆっくりと蒼語を使うと、詩子は困ったように首を振る。

「ここにいたい。だめか?」

 ここで初めて、詩子が蒼語を話していることにシンセントは気がついた。

「仕方のない奴だ。わからない事ばかりであろうが、口を挟まず、大人しく聞いていなさい」

「大人しくする」

 そのやり取りをみて、驚きを隠せないシンセントに老師は笑う。

「驚かれたか?シンセント殿?あなたが眠っている間にウタは蒼語を学び始めたのだよ。サンエッタの民の言葉と発音が異なるが基本は同じであるし、何より頭の良い子だ、覚えがいい。すぐに不自由なく使えるようになるであろうよ」

 老師はニコリと深いシワのある眼を細めた。詩子も同じように微笑み、頑張ると言う。

「シンセント殿、そなたは青龍の宮の者か?」

 シンセントは小さくうなずく。

 ここは呪術師を養成する教育機関の清定館である。呪術師であることなど、一目見ればわかるだろう。師としてここに住まう老師が呪術の香りに気づかないわけがない。老師はシンセントの呪力、呪術師としての力量もわかっているはずだった。

「キーレン様の御用でここに来たのか?それでアリアロレスに襲われたか?」

 呪術師は多くはない、また優秀な呪術師は青龍の宮に属し、王都に住まう。そうでない者も大きな街に住まい、裕福な者たちを相手に見通しの術や治癒の術を使い生計を立てている。

 小さな町には呪術師はいないか、いても大した呪力を持ってはいない。

 シンセントほどの呪力を持つ者が旅をしていると、それは青龍の宮の者、とどのつまり、宮の長であるキーレンの用向きということになる。

 シンセントは小さくうなずく。

「ならば、このウタを伴うことはキーレン様の指示であるのだな」

「……いや、ちがう。……襲撃もわからない」

 シンセントは自らの声が思いの外、かすれて出ないことに驚きながらも、否と伝える。

「はて?それは、シンセント殿はキーレン様の御用でここにいるが、ウタとは無関係と?何故、襲撃されたのかもわからないと?」

 老師の問いにシンセントはどのように答えていいかわからなかった、そのため、しばらく言葉を探して、返答に詰まった。それを老師は他言できないことと解釈した。

「シンセント殿、言えぬこともあるのでしょう。ただ、私は黒眼、黒髪の者を初めてみた。もう、何年、いや、何十年も前に滅んだとされているからの。しかも、同じように滅んだとされるサンエッタの民の言葉を話す。なんとも不思議な者なのだ。この者から事情を聞きたいと思っても、言葉が通じないせいか、うまく伝わらぬ」

 シンセントは老師の言葉にうなずく。

「シンセント殿、ウタはいったい何者なのだ?」

「いや、……わからないのだ」

 下がった瞼がひょこりと上がり、文字通り、目を丸くしている。

「……シンセント殿もわからぬと?キーレン様は何も示唆されなんだか?」

 シンセントはうなずく。

「キーレン様は、北へ行けと。それだけ」

 思った以上に言葉を発することができない。それがもどかしい。

「……キーレン様は何が見えているのであろうな。あの方は言葉少ない」

 老師にも何か思うことがあるのか、そっと瞳を閉じた。

「シンセント殿、つまりは、キーレン様から北へ行けと言われたが、具体的な指示はない。ではウタとはどこで?」

「老師!私、シンセントさんと一緒に来た。私、助けた」

 自分の名前が聞き取れたのであろう詩子は嬉々として、声をあげる。

「ウタ、黙ってなさい」

「……ごめん」

「サナ湖にいた。独りだったから、保護した。私も不思議に感じている。あんなところでどういう経緯でそこに行き着いたのかは…」

 静かな湖面を見つめていた詩子の背中を思い出す。一人きりで、生活していた小屋には粗末な衣類にわずかな食料。柔らかな足底と白く並んだ歯は、最低限の暮らしとは程遠いものだ。

 詩子は一体、何者なのか、シンセントは知りたかった。

 シンセントの望みを見通したように、老師は言う。

「シンセント殿、ウタのこと少し調べても構いませんかな?私は少々、変わった呪術を使うのですよ」

 薄灰の瞳を一瞬、きらめかせ老師は微笑みを浮かべる。

 シンセントは記憶の片隅にぼんやりとした何かがかすった。

「もしかして、老師は、記憶を…」

 青龍の宮に記憶をのぞき見ることができる者がいた。名を思い出す。

「ローサ…、エメィルタ・ローサ。老師は……」

「久しぶりにその名を聞いたわ。ここでは家名を名乗る必要などないからの。そう、ローサだ。私は記憶をのぞき見ることができる」

 王城での警備の任を受けていたシンセントは、青龍の宮の中のことがことさら多く耳に入る。しかし、そういった類の噂話がシンセントは苦手であったし、興味の持てないことであった。それでも、シンセントの耳に届いたということは、とても有名な人物であるということだった。しかし、何年か前に青龍の宮を辞したと聞いている。シンセントの表情に疑問を感じていることがありありと浮かんでいたため、老師はふっと笑う。

「キーレン様だ、あの方がナララコラの清定館への異動を突然、言われての。その時はとんでもないことを言い出したと反発したが、ここで師として暮らすことは、とても楽しく、やりがいもある。しかし、全てはこの日のためと、今はわかる。おそらく、記憶をのぞき見ることができる私がここにいる必要があったのだ」

 シンセントは老師の言葉にうなずく。

「では、早速始めるとしよう。ウタ、おいで」

 シンセントと老師の会話をある程度理解していた詩子は小さくうなずくと、老師に続いて立ち上がる。

 その細い肩がわずかに震え、手が白くなるほど握りしめていることに、シンセントが気づき、声をかけようとしたときには、詩子はシンセントに背を向けていた。



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