23、王の広間の凶行
長くなりました。
切りどころを見誤った……。
コツリコツリと二つの足音と、シュシュと小気味のいい衣擦れの音だけが響く。
ここは王都にある王が住まい。青龍の宮の長が住む王城。この国の政がここで行われている。
この世界に来てから見たことのないような大きな門扉、その荘厳さに詩子は圧倒される。力強く無骨な柱と戸、しかしよく目を凝らせば、そこには細かな装飾が施されている。
奥に進めば、見上げても薄暗くはっきりとは見えない高い天井、石で作られているのだろうか、何本もの柱が並び、静謐で、ひどく冷たい空気に満ちていた。
右手には美しく整えられた庭が見え、そこからの光が差し込み、柱の影が濃く落ちている。
連れられるままに、詩子は進んだ。
「お待ちくださいませ」
柱の陰から、詩子たちを引き留める声がかかり、前を歩いていた者の、纏う空気がぴりりと硬くなった。
前をふさぐようにその者たちは出てきて、詩子をじっと見つめる。
詩子の前を歩く者たちと、身なりは変わらないが、その女は悠然と、不敵な笑みを浮かべている。
「そこを通していただけませんか?急いでおりますゆえ」
不快感をあらわに、きっぱりという。
「それは申し訳のないことをいたしました。では、後ろの者を置いて、早くお行きなさいな」
そんな言葉に動じることなく、鼻で笑う。
「なっ、なんということを申される。この方はキーレン様の客人であられます。すでにキーレン様はお待ちでございますゆえ、お戯れはご容赦くださいませ」
顔を引きつらせ、言葉はわずかにふるえた。
「戯言などではありません。その客人、わたくしがお連れするように申し使っております」
「何を申されているのですか?わたくしがキーレン様自ら、そのように申し使っております」
「その客人を所望されているのは、蒼王様でございます」
「――!」
「さがりなさい」
「し、しかし」
「あなたが傅くべきは、蒼王です。これは蒼王の命です。そのように簡単なことを忘れてしまったのですか?それほどまでに、そなたのキーレン様は蒼王をないがしろにされているというのですか?」
「……」
悔しそうに顔をしかめる。そして、ゆっくりとためらいながら、詩子をおいて、女は傍にさがる。
「では、参りましょう」
詩子はそのやり取りをぼんやりと見つめることしかできない。誰に会おうと何もかわらない。
あの人でないなら、誰でも同じ。
詩子を前を歩いていた女は顔をわずかにしかめ、詩子の背を見送ってから、すぐに踵を返した。
詩子は、前を歩く者の背を追う。
右手に見えていた庭は見えなくなり、左に曲がり、右に曲がり、少しの階段を降りたり、上ったりした。初めて訪れた王城をついて歩くだけの詩子には、どこにむかっているのかはわからなかった。
ただ、どんどん静かになっていき、漂う空気はさらに静謐さを増していく。
前を行く者の静かな衣擦れと、詩子の足音がひどく耳についた。
両端に槍を手にした衛士が対のように立っている。
それは置物か何かのようにその場に溶け込んでおり、詩子はその瞳がぎょろりと自分に刺さって初めて生きている人であると感じた。
そのたたずまいに、驚き恐れたのは自分だけであり、前を歩く者は立ち止まることなく、静かにその間を通り抜けた。詩子は少し身をすくめ、速足で衛士の前を通り抜ける。
その時、衛士の腰にある太刀と同じような太刀を知っていることを思い出した。
その太刀は詩子が両手で持っても、重いことを知っている。
詩子は痛みをこらえるようにぎゅっと瞳を閉じた。
顔をあげると、恐ろしく広い部屋にいた。
そこは薄暗く、冷たい。
前を歩いていたはずの者はすでに、少し前のほうで、膝をつき、両手を床に置いて深く、額ずいている。
「名乗られよ」
自分に問いかけられているとは思わない詩子は、ぼんやりと立っていた。
すると声は詩子のすぐそばで発せられた。
「名を聞かせていただこう」
「お、緒方詩子です」
なぜ詩子と、あちらで呼ばれていた緒方詩子を名乗ったのか、詩子にはわからなかった。ただ、その声が問いただすような厳しさが含まれ、偽ることは許されないように感じた。
「な、なんと?」
「緒方詩子です」
そう言いながら、目を前に向けると、何段か高くなったところに、やわらかな光に照らされた、蒼の長衣に身を包んだ壮年の男がゆったりと仰々しい椅子に座していた。
その衣の蒼は、まさに光の射しこむ深い海の蒼だ。透き通るような美しさ、引き付けられ目を離すことのできない色。
しかし、その衣をまとった男は何かに飽いたような、あきらめに似たような、けだるそうな視線を詩子に向けている。
そして、その男の瞳も『蒼』だ。
――ここは王都、王城。蒼王の住まう城。
何人もの人が言っていた、この国の王は蒼い瞳を持つと。リマムの瞳を見た時とはまるで違う。
この場で、あの玉座にいる者だからこそ、あの瞳が王の証である、蒼い瞳なのかと、今この時に詩子は知る。
そして、目の前の男は蒼王なのであろうと、詩子はその蒼い瞳から目を離せないまま思う。
この国で生まれこの国で育った者であれば、その瞳を持つ者が王であることは当然知っている。そして、その尊さも知っていたであろう。
しかし、詩子はこの世界でないところで生まれ、この世界でないところで育った。その尊さなどわかるはずもない。
膝を折ることもなく、額ずくこともなく、じっとその蒼い瞳を見つめていた。
その詩子の様子に、控えていた家臣たちは驚きを隠せない。
わずかにざわめいていく。
一言も発することなく、詩子を眺めていた蒼王の口元がわずかに上がる。
「……」
そして、いつもであれば座したまま動くことのない、飾り立てられた椅子、玉座から立ち上がる。
「蒼王様!」
家臣の引き留める声を気にすることもなく、詩子にまっすぐに向かってくる。
間近に迫る蒼の瞳に、かの隠里であったリオルルの瞳を思い出す。
彼女も同じ、蒼い瞳をしていた。
素敵な人を紹介してねと笑っていたリオルル、人でありながら獣人の里に暮らす彼女は明るく優しく働きものであった。人にも、獣人にも馴染むことのできない詩子とは違う。
何者にもなれない詩子とは違う。
「蒼王様、お戻りくださいませ」
家臣の声に、さまよっていた意識が、目前の蒼王に向かう。
「リオルルと同じ蒼、本当にきれい……」
「リオルル?」
「……」
「リオルルと申したか?そなたの知るリオルルはこの瞳と同じ色をしているのか?」
詩子はうなずく。
「そうか。……何も知らぬは余だけか」
蒼王はそうつぶやくと悲し気に目を伏せる。
「蒼王様、お戯れはおやめくださいませ」
凛とした、きっぱりと咎める声が響き、その姿を見た者が「キーレン様!」と言う。
そして、その悲鳴にも似た声を聞いて、詩子はその名を知る。
薄茶の髪を高く結い上げ、淡い青の長衣を身にまとい、ゆっくりと歩いてくる。その口元には微笑を浮かべているが、薄茶の瞳は鋭く、鋭く磨かれた刃物のような光を奥に宿らせている。
詩子はキーレンの姿を見て、体がこわばり、縫い止められたように動けなかった。キーレンは詩子ではなく、蒼王にひたと視線と向ける。
「キーレン。お前のとっておきの客に会いたかっただけよ。この者がナラティスの記録にあった『月の乙女』であろう?」
キーレンの視線を受けながらも、蒼王は平然と言い放つ。
「なんのことでしょう?月の乙女とは?ナラティス様の書物にそのような記録がございましたか?わたくしは記憶しておりませんが」
「こざかしい」
蒼王はキーレンの言葉を切り捨てる。
吐き捨てるように言葉を発し、キーレンに問うような瞳を向ける。
そんな蒼王に答えようとキーレンが口を開こうとしたとき、はっと表情を変え、軽く舌を打った。
次の瞬間に、ドンと強烈な爆発音が響く。
その衝撃はすさまじく足元がぐらぐらと揺れ、同時に空気がビリビリ震えた。
優美な曲線を描く壁面の繊細な装飾がその衝撃に、いとも簡単に次々に崩れ落ち、床に叩き付けられた。細かな破片をまき散らし、大きな音をたてる。
その広い部屋にいた者たちの悲鳴と何事かと問いただす声、それに続く、さらなる爆発音に、人々は混乱した。
ビリビリと震える空気が、人々の平常心を奪っていく。何が起こっているのかわからない恐怖に、死の危険に、うずくまり動けない者、逃げまどう者、怪我をして倒れた者、大きな声を上げ続ける者、静かな広間はいまだかつてないほどに騒然とする。
詩子はぎゅっと目を閉じて、うずくまる。足元から地響きが伝わり、体を駆け抜けていく。
断続的に細かな破片が体に衝撃を与え、さらなる衝撃に備えようと、さらに体を固くする。
一瞬の静寂に詩子はそっと顔をあげる。
濛々と上がる粉塵の間から、蒼王を庇うように立つ、キーレンが目に飛び込んできた。同時に鼻をくすぐるのは、深い森の奥にいるような爽快な香りだった。しかし、それは一瞬にしてかき消えた。
ガンと大きな音が響き、見上げると天井の装飾が大きくはがれて、ぐらぐらと揺れている。それは今にも落ちて来そうだった。
詩子は身をかがめることができずに、落ちてくるそれをじっと見つめていた。
ーーあぁ、危ない
言葉にすることもできず、目を閉じることもできず、詩子は衝撃にただ、身構えた。
しかし、その途端に広がる強い清涼感のある爽快な香り。深い森の中で胸いっぱいに広がる爽快感が詩子を包んだ。
そして、その大きな瓦礫は蒼王に落ちることなく、そのわずか頭上で、ぴたりと止まり、一瞬にして細かく砕けた。
それは、さらさらとこぼれるように、舞う様に端から崩れ、いまだやまない爆風に流されて、床に散らばった。
さらりと舞う粉をキーレンは軽く払い、その砂塵は足元に流れるように落ちた。
「お怪我はございませんか?」
「……」
身を縮めていた蒼王は驚きに目を見張る。
足元にこぼれる砂塵を見つめ、それから、キーレンをじっと見る。
その蒼王の瞳を受け、キーレンは柔らかく微笑んでから、崩れ落ちた広間の入り口に目を向けた。
「ずいぶんな登城だこと。もう少し控えの間でお待ちいただければ、ご案内させていただきましたものを」
蒼王を庇う様に立ち、キーレンはゆっくりと振り返る。
そこには赤茶の髪のヤフィルタと、蒼い瞳のリマムであった。
「もう、何年も待った。そうであろう?」
リマムは瓦礫を避けて、ゆっくりと蒼王とキーレンの前に立つ。
傍らにはヤフィルタが控えているが、その顔色は白く、肩で息をしていた。
「ヤフィルタ、私の結界の内で、無茶をする。そんなことをすれば、呪力切れになることくらい、簡単に予想できたでしょう?」
地を這うような衝撃はやみ、爆発音も止まる。
王の広間にいる者はみな、動けない。それは単純にひどい怪我を負った者、恐怖のあまり動けない者、意識を失った者、命を失った者、それぞれであったが、みな、声を発することは出来ず、奇妙な静けさが広間に広がった。
広間の騒ぎを聞きつけた衛士や、何人もの武官と文官があつまる。
「何の騒ぎだ!」
王の間の様子に誰もが驚き、言葉を失い立ち尽くす。しかし、次の瞬間には悲鳴のような叫び声をあげた。次々に集まる人々は広間の有様に驚き、騒ぎ立てる。
「控えよ、ここは青龍の宮の長であるわたくしに任せなさい!」
キーレンの声が凛と響き、その者たちの口はぴたりと閉ざされる。
そして、その様子をただ見ていることしか、できない。
蒼王とキーレン、アリアロレスのリマムとヤフィルタの対峙であることに、気が付いた者は多い、蒼国始まって以来の事態に誰もが固唾をのんで、そのなりゆきを見つめていた。
一度、高く立ち上った瓦礫の塵が、ゆっくりと床に落ちていく。
「キーレン、待ちくたびれたぞ?」
リマムはそっと微笑み、キーレンを見つめる。
「申し訳ございません。時が満ちなくてはなせることも、なせません」
「ふふふ、いつも同じことばかり。月の乙女が必要なのであろう?」
「……」
「もう、そのような戯言に付き合ってはられぬ。そこに連れてきたではないか?月の乙女とやらを」
リマムの声に人々の視線が詩子に向く。
瓦礫を避け、しゃがみこんでいた詩子は自身が月の乙女として祭り上げられただけだと、そんなもの知らないと、言葉にすることは出来なかった。
「リマム様、わたくしは確かに申しました。月の乙女がこの蒼国の変換のかなめになると。それはナラティス様の記録にも残されています。しかし、その月の乙女の細かなことは誰にもわからぬと、本当にそのような者がいるのなら会ってみたいと、同時に申し上げました。ご記憶にございませんか?」
「そなたは、そのような言い方はしなかったではないか?月の乙女が現れるときにこの国は、新たな局面を迎えると、そう申したではないか!」
「リマム様、わたくしはそのようには申しておりません。見たところ、呪力もない、ただの娘ではございませんか。このように祭り上げて、無関係な者を巻き込まれることをお望みか」
「その者は月の乙女であるぞ!」
「ならば、その証を」
「……」
あかしなどあるはずもない。なぜなら、詩子は『月の乙女』ではないのだから。
キーレンは大きく息を吐くと、ゆっくりと詩子に近づき、その腕を取り、そっと立たせる。
そして、じっと詩子を見つめる。
キーレンは詩子よりも小柄であり、細身で、長衣をさらりと揺らしている、その姿は優美であり、恐れる要素は何もないにもかかわらず、詩子は息をすることもままならないほどに、体をこわばらせていた。
詩子はキーレンの手がひどく冷たいと思った次の瞬間に、そのままギリリと捻りあげられた。
「ッ痛!」
「凡庸な娘ではないか。この者が月の乙女であるなど、笑止」
肩に激痛を感じ、詩子は顔を歪める。
「キーレンやめよ。無力な娘であろう」
蒼王でさえ、声をかけざるをえないほどに、キーレンの様子は狂気を帯びている。
普段のキーレンは決して、温厚とは言えないが、このように冷たい声で、他者に乱暴を働くことはない。
詩子はうめき声を漏らす。
キーレンの手は緩むことなく、キリキリと腕を捻る。
「あぁ!」
痛みに汗がにじんでくる。
髪飾りがシャラリと美しい音をたてたのが、ひどく場違いだ。
「この国の呪術師は、わたくしだけでいいのですよ。ご丁寧にわたくしの手の内にやってくるとは愚かもいいところ」
キーレンはそっと懐から、蒼い装飾の美しい短剣を取り出す。
その鞘を抜きはらい、大きく振りかぶると、軽く投げ捨てるように腕を振った。その所作は一瞬のことで、誰かがあっと声を上げることもなかった。
その短剣は磨き抜かれた刀身をきらりと光からせ、まっすぐにヤフィルタの胸に吸い込まれていく。
息を切らしていたヤフィルタの瞳が大きく見開かれ、そのまま崩れ落ちる。
どさりと倒れた床が赤く染まっていく。
「や、ヤフィルタ!!」
リマムの声が響く、傍らに寄り添い、その肩を掴み、強く揺さぶる。
「しっかりせぬか!ヤフィルタ!」
リマムはヤフィルタの閉じられた瞳をじっと見つめ、何度も何度も、その名を呼ぶ。しかし、ぐったりとした体は急速に熱を失い、その瞳がわずかにも開かれることはない。しかし、リマムはその名を呼び続ける。いつも自らの傍らに寄り添い、応えた声は聞こえない。リマムは固く瞳を閉じる。
「かつて、私の父に同じことをしたではないか。覚えていないとは言わさぬ。その時はサラスイが治癒を施したが、お前は誰が癒す?」
キーレンの声が広間に響く、だれも声を発することはない、その凶行と呼んでも障りがない行いをじっとみているしかない。
「おのれ!何ということをしてくれる!おぬしの言葉を信じて、今日という日まで待ったことを、おぬしを生かしておいたことをこれほどに悔やむことになろうとは!」
リマムの瞳は涙にぬれる。
「さあ、どうされる?あなたを守る呪術師はもういない。この王城には、ほとんど呪術師はいません。わたくしが排してしまいましたから」
キーレンは口元に微笑を浮かべる。
「キーレン、呪術のない政をしたいというそなたの願いであろう……。かつて、この蒼王に誓約したことは偽りであったと申すのか?その短刀は道なき道を進むというそなたに渡したもの、他者を害するためではないぞ」
「そのようなことを信じていたのです?ふふふ、蒼王、きれいごとだけでは、政などできませぬ。呪術なくして、政ができるとお思いですか?」
「キーレン。……そなたの言葉とは思えぬな。そなたの志は美しく、真摯であった。そなたを変えたのはなんであったのだろう」
蒼王の声はいまだかつてないほどに温かく、しかし、悲しみを含んでいた
「蒼王様、何をわかっておいでというのです」
「キーレン!許さぬ!」
リマムは青白い顔をしたヤフィルタを腕に抱き、キーレンを睨みつける。
キーレンは詩子を拘束する手を緩めることはない。
詩子はキリキリと締め上げられる肩の痛みに、意識がもうろうとしてきた。
涙がにじみ、視界はかすんでいる。
涙とともに流れてきたのは、心の底にいつも隠してきた怒り。
仕方のないことといつも諦めていた。母がいないこと、父を知らないこと、祖父母に育てられること。かわいそうといわれること、施される手を拒んだときに憤りを向けられること。こちらに来てからの、どこにもない居場所、何も知らないことで向けられる驚き、そのどれもが詩子の怒りにつながる。
その感情を言葉にすることは出来なかった、また、してはならないと感じていた。それを見ないようにして、胸の底に押し込んで、ただ、自分にできることを精一杯にしてきた。
しかし、現状はあまりに理不尽だ。詩子は心の底から浮かんでくる言葉をそのままに言葉にする。
「……もう、やだよ。どうして私なの?私が何をしたっていうの?」
涙とともに、あふれる思いを詩子はこぼれるままに言葉にしていく。
誰にも聞こえなくても、誰も答えてくれなくても、かまわなかった。ちいさな声は少しづつ大きくなっていく。
「もう、嫌だよ。こんなところもう嫌だ!こんな怖いとこ嫌だ!呪力なんて嫌だ!」
嗚咽に交じり、詩子に叫びは、奇妙な静けさに包まれた広間に広がる。
「もう、やだ。……呪力なくても、私は生きてた。ここよりも、ずっと平和だった。こんなにお腹がすくことなんてなかった。こんなに怖い思いなんてしなかった。もうやだぁ」
詩子の突然の叫びに誰もが驚き、耳を傾けた。
その言葉に蒼王が詩子に問いかける。
「……真か、そなたは呪力のない世界で生きてきたのか?」
「呪力なんてない。そんなものはない!」
涙にぬれたまま、詩子は答える。
「そうか、聞いたか?呪力がなくても、暮らしは成り立つ。政もしかり。まさにキーレン、そなたが求めていたものであろう」
「このような娘の戯言に、蒼王様ともあろうお人が惑わされてはいけません」
キーレン微笑を浮かべる。
「そなたが呪力をなくすため、整えていたことは承知。傀儡の王である私にすべてをまかせようとしていたそなたの思いを知っていた。そこまで無能ではない。しかし、そのようなことができるわけがないと、思っておった。それこそが、呪力を持たぬ、私こそが、呪力にとらわれていたのだろう」
「……」
キーレンは静かに息を吐く。
詩子はこぼれる涙をそのままに、背後から殺気を感じ、背筋がゾクゾクと冷えていく。
――もう、ここで死ぬんだ。
その思いが胸を満たしていく。祖父の顔が浮かび、祖母の声が耳に聞こえた気がした。
そして、紫紺の髪と、濃紺の瞳が胸を締め付けていく。
――あぁ、嫌だ
突然に沸き上がったその思いは、詩子の胸にいっぱいに広がる。
何度も、どうでもいいと、思った。もう死んでしまいたいと、思った。しかし、今、死を目前にして、ありありと死を感じた詩子にあるのは、死にたくないという思い。
――助けて
飾り気のない実用一辺倒な太刀を振うたくましい腕、守られているという安心感の強い背中、さらりと揺れる紫紺の髪、時折優しく細められる濃紺の瞳。
――シンセントさん、助けて
涙にぬれて、にじむ視界。そのどこにも詩子の求める者はうつらない。
詩子は息を吐き、また、瞳を閉じる。
ふわりと香るのは、森の奥深くのいるときに感じる爽快感。その香りに詩子は顔をあげる。
キーレンがふわりと腕を振った時、それはすさまじい風となり、床を切り裂きながら、まっすぐに蒼王のもとに向かう。
誰もがその突然の攻撃に驚き、動くことができない。
青龍の宮の長が蒼王に刃を向けるなど誰が想像したであろうか。
その攻撃は爆音をあげて、蒼王のすぐわきをすり抜けていく。
蒼王の長い蒼い衣が翻えり、細かな装飾の施された衣がキラリと輝く。
その攻撃を蒼王は蒼い目を見開いて、避けることは出来なかった。
その風はそのまま壁面に激突し、ドンと重い衝撃を与え、ビリビリと震わせる。さきほどの衝撃でもろくなって崩れかけていた装飾や天井がその衝撃に落下する。
瓦礫は大きく崩れ、剥がれ、落ちて、砕け散り、破片が飛び散る。
呆然と立ち尽くしていた人々は逃げまどい、叫び声が上がる。
青龍の宮の長、キーレンの手が再び、ゆっくりとあげられた。
その腕が、ふりおろされると同時に起きる衝撃に誰もが、身を強張らせる。
キーレンの呪術が蒼王のその身に向かう。
床を砕き、瓦礫を巻き上げ、まっすぐに、誰もがこの王の最後を感じ、体を強張らせた。




