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19、吹雪の夜

 

 ごうごうと小雪混じりの風がうなり声をあげ、立ち並ぶ大きな樹木の枝を揺らし、勢いを増してすり抜けていく。

 その深い山の麓にある、その小屋にサラスイはためらうことなく声をかける。

「アルセイ、いるか?」

 戸口に立ち、ドンドンと戸を鳴らす。

 しばしの沈黙があって、勢いよく戸が開かれた。そして、若い女性がサラスイの腕を引く。

「サラスイさん。寒いから早く入って!」

「寒いわ!入るなら早く入れ!入らないなら、さっさと帰れ!!」

 奥からしわがれた声が響く。戸を開けた若い女の人は困ったように笑って、サラスイとシンセントを中に招き入れた。

「ごめんなさいね。今ちょっと怪我人がいて」

「いや、構わない。こちらもいつも突然だ。久しぶりだな、ラン。大きくなったな」

「うふふ、すっかりおばさんになっちゃった。……今日は一人じゃないのね」

 サラスイの後ろに立つ、シンセントを見て、ランはサラスイの真意を測るように、サラスイを見つめる。その瞳はどういうことだと、語っている。

「あぁ、これはシンセント、私の信頼する者だ」

「シンセント・ランサと申します。青龍の宮に属しております」

「呪術師なのね。私はラン。薬草師の勉強中。師匠のアルセイはちょっと山に行ってるの。たぶん、すぐに戻るわ」

 こっちに座って、と板間に腰を下ろす。

 ふにゃとサラスイに抱かれた幼子が声を上げる。

「サラスイさん……。さぁ、その子もお腹がすいているんじゃない?私に抱かせて」

 ランはやわらかな曲線の眉を少し下げ、困ったように笑って、サラスイに手を伸ばす。

 サラスイは外套の下から、幼子をそっとランに渡す。

「まぁ、かわいらしい子ね」

 うっすらと開いた瞳を見て、蒼い瞳、と呟き、さらに眉を下げた。

「青龍の宮の罪なことをするわ!」

 板間の奥に臥していた老婆からしわがれた声が響く。

「カロ婆!」

「本当のことじゃろ!いっそのこと、一思いに殺してやったほうがいいのじゃないか?殺すことができないからと言って、市井に生きるすべを持たぬ者を山に閉じ込める。そんなものは偽善だよ!お前らのしてることは、偽善だ!ただの己だけの満足だ。悪者になり切れないなら、政などやめてしまえ!!」

「カ、カロ婆。あんまりよ」

「いいんだ、ラン。事実だ。今の私のしていることは、なんの解決にもならない、その場しのぎにもならない。山に閉じ込めている。まさにその通りだ」

 サラスイはその詰りを受け入れ、息を吐く。その様子にシンセントは驚きを隠せない。

「サラスイ様!青龍の宮に対する、侮りでしょう!」

「いいんだ、シンセント。堪えてくれ」

 寒風とは異なる響きで、戸が揺れる。肩にかかった雪を払いながら、しっかりした体格の中年男性が入ってきた。

「おいおい、外まで丸聞こえだぞ。勘弁してくれよ。降ってきやがった。こりゃ、一気に積もるな」

「アルセイさん、遅かったね。」

 アルセイと呼ばれた男は、ちらりとランの腕の中の子に目を落とし、大きく息を吐く。

「サラスイ……」

 アルセイは苦痛を濃くにじませ、瞳を閉じ、たくさんの言葉を飲み込んだように見えた。

「アルセイ、本当にすまない。私は本当に至らない」

 アルセイは飲み込み、言葉にしなかったけれど、また、蒼い瞳の子を連れてきたのか、どうしてこんなことを続けるのか。サラスイには痛いくらいにその思いは届く。

「もう、いい。……で、誰なんだ?もしかして、あんたの役目を引き継がせようって訳じゃあるまいな」

 サラスイの背後にいるシンセントを顎でしゃくる。

「……」

 沈黙が肯定であることをアルセイは知っている。

「いつまでこんなことを続けるっていうんだ!もう、いいだろうよ。終わらせろよ!」

 先ほど飲み込んだ言葉が、さらに言葉をきつくさせる。

「青龍の宮は無能の集まりじゃ!何が稀代の呪術師じゃ!アリアロレスも押さえきれぬ。娘っ子一人、救えないっ!」

「……カロ婆」

 左の肩から大きく包帯を巻いた老婆は、白髪交じりの金髪をぼさぼさのまま、文字通り振り乱している。

「カロ婆、傷に響く。落ち着いてくれ」

「うるさいよ!なんてこった。このカロロンの刃で何とかならないことなんか、なかったんだよ。呪術師なんてのは、王都から出てくるんじゃないよ!わしも王都には入らぬ、それでいいじゃないか」

「すまない。先日、ちょっと辛いことがあったんだよ。ちょっといらだってて」

「?」

 向けられる怒気が強く、それはその幼子のことだけではない様子であった。それを察したランはシンセントとサラスイに大雑把に語る。

「カロ婆と旅をしてた人の子をね、事情があって、別の人のところに行ってもらったの」

「人身御供じゃ!そうじゃろ?あの里のために、なんの関わりもないあの子をくれてやったんじゃから!青龍の宮がアリアロレスを何とかしないからじゃ!」

「もう、少し落ち着いて、カロ婆。でも、あの子はそれでいいと言ったのでしょう?無理やりだったわけじゃないんでしょう?いくらなんでも、レイはそんなひどいことしないわ」

「馬鹿言え!あの状況で拒むことなどできまい!もう、おぬしのかわいいレイとは違うんじゃ。里の長じゃからの」

「アルセイ、どういうことか話してもらってもいいだろうか」

「そうだな、それよりも、お前の後ろにぼさっと立ってるシンセントさんに説明するほうが先なんじゃないか?あんた、何にも話さずに来ただろう?」

 アルセイは呆然としている、シンセントに沸かした茶をそっと渡す。


 シンセントはサラスイにこんな風に話す者がいることにまず驚いた。王都において、青龍の宮の長の腹心であるサラスイを呼び捨てにし、あのような気軽さで語り掛け、辛辣な言葉を並べる。そして、サラスイ自身がそれを当たり前のように受け止めている。このようなことが信じられるわけがなかった。

 交わされる会話の内容など、シンセントに入ってこない。


 大きく息をはいたサラスイは、同じように渡され手にしていた茶を口に含み、そっと語り始める。どこからはなせばいいのかと瞳をそっと閉じた。




 それしか方法はないのかもしれない。

 獣人の隠里に蒼い瞳の子を隠す。

 獣人には呪力はない。契約を交わす心配はない。

 獣人の誰かが、獣人の里に蒼い瞳を持つ者がいるという話をする危険も少ないだろう。それは、自らの里を危険にさらすことだ。そのようなことを軽々しく言葉にするとは思えない。

 その里にしか、蒼い瞳を持つ人が生きる場所などないように、シンセントは思った。


 獣人とのかかわりの少ない、いや、ほぼないシンセントにとって獣人の暮らしがあまりうまく想像できない。

「なんら人とかわらないさ。そこにいるカロ婆も獣人だ」

 アルセイは笑う。

「え、」

 ひどく威勢のいい老婆であるが、長い旅の途中には、このように矍鑠とした老婆に出会ったことがある。

 アルセイは言う、気が付いていないだけで、街にも村にも獣人たちは暮らしている。誰もが気が付いても、気が付かぬふりをするという。

 何代か前の蒼王がひどく獣人を厭い、王都には呪術師による結界が張られている。そのため王都に住む者が獣人に対して、疎くなるのも仕方のないことなのかもしれない。

「王都は臭くてかなわねえ」

 獣人だというカロロンは、その匂いを思い出したように顔をしかめる。


「それで、里に何があったんだ?人身御供なんて物騒だな」

「あぁ、里でちょっと揉め事があってな。借りを返すために、たまたま里にいた何の関係もない娘がアリアロレスのもとに行ったんだ。別にとって食おうって訳じゃないだろうから、ひどいことにはならないだろうが。何もかも諦めたみたいな、目をしてたな。もともと、身寄りのない娘で、里に置いておこうか、処遇に迷っていたところもあったんだ。まぁ、カロ婆は青龍の宮がアリアロレスを抑えていれば、こんなことにならなかったって言ってるが、あの里にとっては、ミミンに借りを返せたことはいい巡り合わせであったのだろう」

「いいめぐり合わせなもんか!この先、そのことを決めた者たちは一生、罪の意識にさいなまれるだろう」

「だからと言って、カロ婆のしたことは褒められたことじゃない。しかも、失敗したんじゃ、目も当てられない」

「うるさいわ!!」

「もしかして、いったん引き渡したその娘を盗り返そうと、アリアロレスに襲撃したのか?」

 サラスイはカロロンとアルセイの会話に割ってはいる。

「そうじゃ!文句があるか!」

 カロロンは勢いよく振り返り、サラスイをにらみつけた。

「いや、ヤフィルタの呪術は強烈だ。何人もの獣人が束になろうとも、かなう者ではない」

「そんなこと、わかっとる。でもそれが、やらない理由にはならんのじゃ!お前ら腑抜けどもと同じにするな!」

 その詰りでさえ、サラスイは甘受し、暫しじっと考え込み、瞳を閉じていた。

 カロロンの詰る声もその耳には届いていないようだ。

「アルセイ、すぐに王都に戻る。すまないが、その子を頼む」

 手にしていた茶碗を置き、立ち上がる。そのまま、外套と手にとるサラスイにアルセイは驚きを隠せない。

「おい、何を突然言い出すんだ。雪が降り始めたから、もう山道はもちろん、街道も雪で埋もれる。通れないぞ?」

「いや、大丈夫だ」

「あんたの呪術で街道を飛んで行くのか?死んじまうぞ?」

 風を操ることに長けたサラスイであれば、雪道を進むことができる。しかし、王都は遠い。とてもではないが、サラスイの呪力では王都までたどり着くことができない。呪力が尽きて、行き倒れてしまうことが容易に想像できた。しかし、サラスイは表情を険しくさせたまま、外套を羽織る。

「なんとしても、王都に、王城に行かねばならない」

「サラスイ様、なにがどうされたというのですか?」

 シンセントの問いは、当然のことであった。それほどまでに、サラスイの行動は突然で、突拍子のないものだった。

「あぁ、これもすべてキーレンの思いのとおりであったのだろうか」

 このことまでを語ることになろうとは、サラスイはシンセントを見て、苦く笑う。

 しばし、呆然とたたずみ、じっと目を伏せていたサラスイをアルセイは外套を脱がせ、座るように促し、その言葉を待った。


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