18、呪術師の二人
冷たい風が戸を揺らし、囲炉裏の火がわずかに揺れる。
ユーリの手料理は温かく、ロキセイの語るキーレンという娘の話は、青龍の宮の長のキーレン様の印象とはまるで異なった。ロキセイの語る無邪気な子供であった少女が、シンセントの知る肉食の鳥を思わせるような獰猛さをまとっている宮の長と、同じ人物とは思えない。
宮の長であるということは、シンセントが思う以上に、重責なのであろう。その地位に立ち続けている宮の長の思いなどわかるはずもない。
「ロキセイ、いるか?」
寒風の吹き荒れる外から、誰かがやってきた。その気配を、鍛錬を欠かさないシンセントでさえ、感知できなかった。
ひどく驚いた様子のロキセイは大きく息を吐く。
「おぁ、サラスイ。何というときにお前はやってくるんだよ」
土間に下り、戸を開ける。
ロキセイの口から聞こえた名に、シンセントは聞き覚えがあったけれど、シンセントの知る人物がここに来るわけなどない。
上等な外套をすっぽりとかぶった人物が入ってくるのを、シンセントは見て、言葉を失う。
ここにきてから、驚くことばかりだ。
「!!」
外套を脱ぎ、そのサラスイと呼ばれた男は、シンセントの知る、『サラスイ』であった。
ロキセイと気安く言葉を交わしている。その言葉の意味をシンセントは掴むことなどできない。ただ、呆然と目の前で起こることを見ているしかなかった。
「わかっているんだな」
「まぁ、そこに誰がいるかは、」
「さ、サラスイ様!」
やっとのことで、言葉にできたのはその名を呼ぶことだけだった。
「久しいな、シンセント。旅はどうだ。ここで会うということは、そういうことなのだろうな」
「?」
シンセントにはサラスイの言葉の意味が分からない。サラスイの視線がそっとシンセントから自身の腕の中に落ちる。シンセントもその視線の先に目を向けると、その腕には小さな幼子を抱えていた。
『そういうこと』その言葉の意味はシンセントにはわからないが、ロキセイもユーリも少し困ったように微笑んでいた。
「ロキセイ、すまないが、この子に乳の代わりになるものをくれないか?ずっと重湯を飲ませてきたんだが、そればかりではな」
「おいおい、人さらいでもしてきたのか?もしかして、この子が王台に上がるのか?」
「そんなわけないだろう。こんな小さな子が呪力を使うわけがない。ただの訳ありだ」
「ただの、訳ありな」
ロキセイは笑みを浮かべる。その笑みはどこか悲しげだ。
青龍の宮の長、キーレンはまだ、王台に上がる者を見つけられていない。キーレンの腹心と言われるサラスイが旅に出るとき、人々は、王台に上がる者、次期青龍の宮の長をついに見つけたと、誰もが思うが、旅から戻るサラスイはいつも、一人で、王城に戻ってくるのだった。
王台に上がる。それは次期青龍の宮の長になることを意味する。
青龍の宮の長は、次期青龍の宮の長になる者が呪力に目覚めると必ず気づく。そして、王台の任を受けた者がその者を迎えに行き、王城にて大事に育てられるのだ。
たくさんの呪術師のその頂点に君臨し、王族ではないにもかかわらず、蒼い長衣を着ることを許されている。絶大な呪力、そして、権力。それを得るための代償が大きいことを、知っている者は少ない。
サラスイの腕の中にいる、幼子の顔を覗き込んだ、ロキセイは、目を見開き、「あぁ」とため息にも似た声を出した。その様子にユーリも何かを察したようだった。シンセントにはわからない。
ユーリは明るい声を出す。
「さ、こっちにきて。サラスイさんも久しぶりね。キーレンは元気にしているの?その子をもらうわ。あとで、ヤギの乳でももらってくるわ」
ユーリの手にゆだねられた幼子のぱっちりと大きな瞳を見て、シンセントは凍り付いたように動けなかった。
その瞳の色は、『蒼』だった。
その色の意味するところをシンセントは考えを巡らせるけれど、答えは見つけられない。
「今、この時に、ここで、シンセントと、居合わせるということは、この幼子のことを、この国のことを、聞かせよということなのであろう」
サラスイは苦痛に耐えきれず、瞳を固く閉じた。
「なぜ、この私の胸にとどめておくことを許されないのか」
「サラスイ様……。お聞かせください。この幼子は、どうして王族だけに許される、蒼い瞳をしているのですか?この子が王になるというのですか?」
「サラスイ、これが定めかもしれぬ。キーレンのしていることは、その場しのぎにしかならん。どんなに隠しても、隠しきれないものだ。必ず綻びる」
ロキセイはユーリの腕の中の幼子を優しい眼差しで見つめ、ユーリと視線を合わせる。
二人は悲しみを含んで、小さく微笑んだ。
そんな様子の二人にサラスイは背中を押されたように、話し始めた。
「何から、何から話せばいいのか……。シンセント、この国の王は、独特の蒼い瞳を持つ。その瞳を持つ者だけが呪術師と契約することができるからだ。この瞳を持つ者は、王が老いたり、病めたりしたときに、次の王が求められる時に、王族から生まれる。それは知っているな」
「はい、そういう理と。幼子でも知っていることです」
「そうだ。現王は、まだ息災であるし、老年と呼ぶには早く、先読みの術でも、病魔は迫っていない」
「……さようでございますか、それは何より、喜ばしいことです」
「おかしいと思わないか?そんな王がいるにもかかわらず、ここにこの子がいることを」
「はい」
「間引いてきたのだ」
「は?」
「政の混乱を招くという理由で、この瞳を持っている子は、胎児のときに、青龍の宮の者の手によって、殺められている。次期王が求められる時に生まれる子だけが、生かされる。皆の知る理は、青龍の宮によって作り出されている物なのだ」
「……」
あまりのことにシンセントは言葉を喪う。
「シンセントよ、子を持たぬ私でさえ、子を喪う悲しみが深いことを簡単に想像できる。たくさんの犠牲の上に、蒼国は建っているのだ」
シンセントは幼子を見つめる。ではなぜ、この幼子はここに生まれているのだろう。
「キーレンはそれを憂いて、私を遣わせるのだ。私の呪術は少々特殊だ。私は人の記憶に関与できる呪術を使う。」
「……はい、存じております」
「王の盾と言われたお前であれば、耳にしたことがあったかもしれないか。」
そんな風にシンセントのことを呼ぶものがいたことも知っていた。しかし、その名は自分のこととは感じられなかった。他にも優秀な呪術師はたくさんいたし、呪術を持たない武に優れた者もたくさんいた。
「話がそれたな。この子が蒼い瞳を持つこと、無事に生まれることを、先読みの術でキーレンは知った。そして、私が赴き、その子を預かる。蒼い瞳で生まれたことを呪術で歪める。生まれたのは蒼ではなく、空色もしくは群青と記憶をあいまいにして、朝起きたら、息をしていなかったというように、さらに呪術で記憶をすり替えていく。時間とともに、そのこと自体を思い出すことが困難になっていく。いつしか、その子が生まれたことさえも、ぼんやりと思い出すことがやっとになる」
「キーレンは、蒼い瞳の子供が、蒼い瞳をしているというだけで、殺されることを憂いている。なんとか状況を打破しようと、画策してはいるが、状況はかわらない」
シンセントは今さらながらに、キーレンの父という、ロキセイがたくさんの事情をしっていることに驚く。
それゆえ、この里はキーレンによってかくされていたのだろう。
「……これが、定めであるのか」
シンセントはそのサラスイの苦しいつぶやきの真意を知るのは少し後のことであった。
ひどく風が強い朝、幼子の世話をしていたユーリは、
「ヤギの乳をここに入れておくわ。肌着も大急ぎであつらえたから、少し硬いけれど、ないよりはいいと思うの。持って行って」
「あぁ、助かる。ありがとう」
サラスイは微笑む。
シンセントは腑に落ちない。
「サラスイ様、この子はここにおいていくのではないのですか?」
「シンセント」
言いよどむサラスイに変わって、ロキセイが苦痛をにじませて語る。
「ここは、この村は人の村だ。ここでその子を育てることは出来ない。まず、その蒼い瞳の意味を知る者がいる。ここには王族の絵姿さえ、ろくに回って来やしないから、似ているが異なると言って、なんとかごまかすことくらいできるかもしれない。しかし、この村にも子供はいるんだ。呪力をもつ子がいて、その子と契約を交わすことがあってはならない」
「シンセント、私は、ここで会ったことを、本当に申し訳なく思う」
サラスイは固く瞳を閉じる。
「サ、サラスイ様」
「そなたに、背負わせることになろうとは、まったく思ってもみなかった。あえて、見通しを使うことを制してきたことを、本当に後悔している」
「サラスイ、後悔したところでどうすることもできないだろう。それにいつもキーレンも言っていたじゃないか。見通しを使って、事実を避けられたことなどないのだろう?できるのは準備くらいだ。準備しかできないなら、過去の資料から想像ができる、そうだろう?」
ロキセイの言葉にサラスイは表情を和らげる。
「そうだな。この事実は私だけが、この背に負い、死していくと思っていた。そうあるべきだと思っていた。しかし、ロキセイ。誰かに伝えねば、このゆがみは御しきれぬのかもしれぬ。不可能なことなどないと言われたフローセイ・ナロナビの呪力に次ぐという、稀代の呪術師のキーレン様でさえ、なんともできないのだ」
おとぎ話のフローセイの話を持ち出し、あえて、サラスイは冗談めかす。そうでなければ、若き青年に伝える事実がつらかった。
寒風の吹き荒れる街道を進む、サラスイの厚い外套の下には、蒼い瞳の幼子がいることなど、誰が想像できたであろう。
足早に進みながら、立ち寄る街でシンセントは口に馴染んだ言葉を衛士に、街人にかけていく。
――黒目黒髪の少女を知らないか?もしかすると少年のような恰好をしているかもしれない
誰の答えも一様であったが、その答えに期待はずいぶん以前から、しなくなっていた。
衛士に聞いて回ることと、街を行きかう人の中に黒髪が混じっていないか目を凝らすことが、もはや習慣のようであった。
サラスイは迷うことなく、足早にモラガイン山の麓の山に分け入っていく。
その背に、シンセントはただ、ついていった。
山道を逸れて、細いけもの道を進む。大きな樫の木を左に曲がると、急に視界が開けた。泉の湧き出る草原に小屋が建っていた。




