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17、手輿の行方

 追い立てられるように、詩子は手輿に乗せられた。

 手輿は一人乗りで、とても小さく狭いが、細かな装飾が施されている。この乗り物が一般的であるかどうかはわからないが、かつての旅の途中で見かけたことはなかった。

 何人もの人が詩子の手輿の周りを囲み、仰々しく、ひどくゆっくりと進む手輿にゆられ、詩子はきつく瞳を閉じた。


 どれくらいの時間が経っているのか詩子はあまりわからなかった。

 何も考えられず、ただ言われ通りに、手輿を降り、出される食事をし、湯を使い、着替え、床につき、起きて、また、手輿に乗せられる。

 食事は詩子が今までに食べてきたようなものは、ほとんどなく、冷たく、甘かったり、塩辛かったりだった。朝に出される粥だけが、落ちついて食べられる唯一のものだった。

 川を流れてきた赤いカッザの実がひどく懐かしい。甘く香る柔らかな実を口に含んだ時に広がるかすかな酸味が一瞬、舌によみがえる。鼻の奥がつんと痛み、涙がこぼれそうになるのをじっとこらえた。


 一度、手輿を降りるときに、ヤフィルタの姿を見かけたが、リマムの姿は一度も見かけなかった。

 いてもいなくても、どうすることもできない。

 会いたい人に会えないなら、誰にも会わなくていいような気にさえなっていた。

 どこに向かうのか、詩子はどうなるのか。そのすべてがどうでもいいように思えてならなかった。


 誰とも話すことなく、狭い手輿の中で、ひとり、ゆられていた。

 手の中の濃紺の玉をそっと見つめることしか、詩子にはできない。

 手輿の中の右手には小さな小窓があり、外の様子がうかがうことができたが、外を見てみようと思うことすらなかった。後ろは乗り降りのため大きく開いているが、御簾と厚い布で遮られている。揺れて隙間から光と外の様子がうかがい知れたが、ひやりとした空気で隙間が空いたことに気付く程度であった。


 何日もそうして過ごした。

 突然、詩子の乗った手輿が襲撃を受ける。

 手輿が大きく傾き、左の肩に衝撃を感じた。次の瞬間に、耳をつんざくような大きな爆発音が響く。

「何?」

 手輿は左に倒れ、強打した左肩をさすりながら、後ろの御簾をあけて、外に這い出る。

 何人もの人が入り乱れ、太刀を合わせている。いたるところで響く剣戟、上がる怒号、土煙、外のあまりの様子に、詩子はその場から動けなかった。

 いったい何がどうなっているのかわからなかった。

「ウタ!」

 誰かに呼ばれる声に、振り向こうとしたときには、襟首をつかまれ、ふうわりと背中に乗せられた。

 その背中は固く小さい、アミヒのものだ。


「今、ちょっとがっかりしなかった?」

 アミヒは薄茶の瞳を少し細めて笑う。


 その瞬間、ドンと腹の底に響く爆発音に身をこわばらせ、アミヒにしがみつく。

「ひっ」


「おーい!早くしろ!こっちじゃ」

 聞き覚えのある声に、そっと目を開けてみると、怪鳥のように飛び上がり、長い衣をひるがえしたのはカロ婆であった。

「カロ婆!」

「馬鹿!名を呼ぶな!!」

 カロ婆はもともとしわのある顔にさらにしわを寄せる。詩子はアミヒとカロ婆が助けに来てくれたことに思い当たり、ぎゅっとアミヒの背の衣を握る。

「……ごめん」

「退け!皆の者!退け!!」

 カロ婆のしわがれた声は、地を這うように響く。

「しっかりつかまってて」

 詩子はアミヒの声にうんと小さく答え、ちょっとがっかりしてごめんと心の中で謝罪する。


 アミヒは風のように森の中を駆け抜け、その背に乗った詩子の、頭や足に小枝や下ばえがピシピシとあたる。

 顔を隠していたが、あれは旅芸人の獣人たちだった。短い間であったが、ともに旅をしてくれた人たち。とても親切で朗らかだった。危険を冒して、詩子を助けてくれた。誰か怪我でもしていないだろうか。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 そして、詩子は自分がいなくなって、リマムやヤフィルタは怒るのではないだろうか。その矛先は詩子ではなく、アミヒやカロ婆、旅芸人の獣人たちにむかうのでないだろうか。

 大丈夫のだろうか、きっと大丈夫ではないだろう。アミヒもカロ婆もきっとわかっていたに違いない。しかし、カロ婆はアミヒに問題を持ってくると文句を言いながら引き受けたのだろう。

 ミミンの顔をまたつぶすことになったのではないだろうか。レイは怒っているのではないだろうか。

 詩子はアミヒの背の上で、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 カクンとアミヒの足が止まり、詩子は大きく投げ出される。

 いくつも並ぶ、大きな木の幹が目前に迫る。

 それはひどくゆっくりで、その木の皮のささくれ、蒸した苔、這いまわる小さな虫までもが、みえた。

 ――あぁ!!

 このまま、木に叩き付けられて、死んでしまうのだろうか。

 詩子はその衝撃に備え、身を固くして目を閉じる。

 ――いやだ、ばあちゃん、まだ嫌だ!


 しかし、その衝撃はいくら待っても訪れない。

 鼻腔に届いたのは、辛みを帯びた強い爽快感。突然の香りに詩子は目を開ける。

 目の前には太い幹、そして、詩子の体は空に浮いており、ゆっくりと草地におろされる。

 わが身に起こった事実はとても信じられることではなく、衝撃のあまり、言葉を失う。そして、強く腕を取られる、その痛みに顔をしかめ、見上げた傍らには、赤茶の髪をしたヤフィルタがいた。

「くれてやるわけにはいかぬ」

 左手に詩子の腕をつかみ、右手には太刀を持っている。その太刀は赤く濡れている。

 磨き抜かれた刀身につつっと血が滴った。

 草地にごろりと横たわっている人がいて、それがアミヒであることに気付いた詩子は、アミヒの脇腹辺りが赤く染まっている様子を見て、息を飲む。

「いやぁ!!」

 アミヒに駆け寄りたくて、掴まれた腕を振り払おうと、もがくけれど、その拘束は固い。

「いやだ!離して!アミヒ!!アミヒ!!」

 がさっという音がして、何者かがヤフィルタに襲い掛かる。

 けれど、その攻撃もヤフィルタはいとも簡単にはねのけてしまう。

「うりゃ!」

 ひらりと舞い下りたのはカロ婆であった。見た目からは想像のできない動きを見せている。前腕と同じくらいの短刀を逆手に持ち、ひらりひらりと舞う様に、ヤフィルタを襲う。ヤフィルタは左手に詩子を掴んだまま、体を素早くひねり、その攻撃を躱す。

「やるじゃないか。アリアロレスのヤフィルタ。こんな婆の攻撃、痛くも痒くもないかい?」」

 カロ婆の攻撃の手は緩むどころか、どんどん早くなってくる。太刀のぶつかる衝撃が詩子にも伝わる。ヤフィルタの表情はピクリとも動かない。カロ婆は肩で息を切らせている。

「やめて、やめてよぅ。私、行くから」

 ともに旅をした仲間が傷ついていくのを見ているのはつらかった。

 ヤフィルタは強い、カロ婆だけでなく、かつてともに旅をした見知った者たちが、何人もが襲い掛かってくるけれど、表情を変えず、息も乱さず、相手の攻撃を躱す。そして、ヤフィルタの太刀は血に濡れていく。

「……もう、やめて」

 声が震える。涙で視界がにじむ。見ていられなかった。

 自分のために誰かが傷つくのは耐えられない。自分にはそんな価値などないし、自分は何も返すことができない。もう、十分であった。

 震える足に力を籠め、ヤフィルタの太刀を握る腕につかみかかる。

 ヤフィルタの太刀を握る太い腕に触れることなく、首筋に強い衝撃を感じ、詩子の意識は遠ざかっていった。


 ――シンセントさん、助けて

 思いは言葉にはならなかった。




 詩子はまた、手輿に乗せられていた。


 気が付いた時には寝台に寝かされており、誰も何も言わない。ヤフィルタの姿を見ることもなく、まるで、夢か幻のようであった。

 しかし、右の腕に赤黒いあざが、ぐるりと腕に巻きつくようにできていた。間違いなく、ヤフィルタの手の痕で、何かの拍子にズキリと痛む。草地に血を流して倒れたままのアミヒは無事なのだろうか。カロ婆は、旅芸人たちはどうなったのだろう。聞きたくても、誰にも聞けずにいた。どうしていいのかわからず、詩子はじっと言われるままになっていた。


 何日もかけて、たどり着いた街は、とても賑やかで、手輿の中まで、そのざわめきが聞こえてくる。

 詩子はふっと顔をあげて、手輿の小さな窓から外を盗み見た。


 通りを歩くたくさんの人々、活気にあふれた露店が並び、その奥には立派な構えの家屋。屋根には青瓦が乗せられており、やわらかな日差しを受けて、きらきらと光っていた。その光は街の人々の活気のようでもあった。

「すごい」

 今までに訪れた街とは、明らかに異なる様子に詩子は目を離せなかった。

 露店の野菜を売る男の声、その野菜を買い求める女の声、客引きをする声、たくさんの荷を乗せた荷台が勢いよく通り過ぎる音。

 何かの飾りだろうか、風にクルクルと回り、きらきらと光る、小さな風車のようなものを山のように乗せた荷台が詩子の乗った手輿とすれ違う。

「わぁ」

 詩子は窓に手をかけ、身を乗り出すようにして、その風車が光る様子を見ていた。

「中にお入りください」

 詩子の様子に気が付いた供の者から、言い含められ、大きく息を吐き、詩子は窓から離れる。

 帯飾りの濃紺の玉をそっと握った。


 手輿が止まる。

 誰かの話す声が聞こえ、手輿の外から、ここで待つように詩子に声がかかった。

 手の中の小さな玉をそっと、撫でて、転がす。

 おそらく、ここが目的の場所なのだろう。

 宿でも詩子の世話をしてくれていた人たちは、詩子に必要なことしか話さなかったけれど、どこか安堵するような様子であったし、表情もやわらかくなっていた。

 今までで、一番の繁栄を感じる街の様子。おそらくここは王都なのだろう。

 この旅の目的は、キーレンに会うこと、キーレンは王都にいたのだろう。

 老師の言葉を思い出す。


 ――大きな門の美しい青の瓦、そこから真っすぐにのびる大通り、見上げるほどに大きく美しい王城。日に煌めく、瓦が連なる様子が、今でも瞼に浮かぶ。ウタもそこに行くがよい。おそらく、宮の長はそなたを待っているであろう



 手輿の御簾が開けられ、出てくるように言われ、詩子は振り向く。

 そこにいたのは、上品な様子の女の人であり、高いところで一つにまとめ上げられた髪は薄い青ではあったが、身に着けている物に汚れなどなく、清潔であった。

 とりあえず、いきなり、目の前の人が詩子に乱暴を働くようなことはないと感じた。

 しかし、詩子は体がうまく動かない。

「……」

「お手をお貸しいたしましょうか?」

「い、いえ。大丈夫」

 言葉も思うように出てこない。

 その人は失礼します、というと詩子の腕を取り、ゆっくりと立ち上がることを促し、詩子が震えていることに気付いたのであろう、大丈夫です、とにっこりと微笑んで見せた。

 詩子はその微笑を見て、自分が不安と恐怖を感じていることに気付く。

「キーレン様がお待ちでございます。参りましょう。キーレン様はあなたに危害を加えることなどなさいませんよ」

 詩子を立たせ、手輿から降り、微笑んでから、手を離した。ついてくるように言い、詩子に背を向けて、歩き始める。



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