15、シンセントの探し人
冬はもうそこまで来ている。
街道が雪で埋もれれば、シンセントでさえ、身動きが取れなくなる。
猶予はそんなにものこされていない。
厚手の外套を用意し、マーナンに干し肉などの保存の可能な食べ物の用意を依頼する。
マーナンはにっこりと微笑み、快諾する。
「シンセントさん、ウタを追いかけるのよね?」
「獣人が多く住むという、モラガイン山のほうへ向かって、ウタの痕跡を探します。黒目黒髪の者はきっと目立つでしょうから。街で衛士に尋ねれば、多少の情報は得られると思います」
旅には慣れている、準備が足りなくても、どこかで調達すればいい。
先を急がなくてはならない。
愛用の太刀を丁寧に手入れする。王都で警備の任に就いていたころから、手放すことなく使い続けたその太刀はしっくりと手に馴染んでいる。
この太刀があれば、以前はどこにでも行けるような気がしていた。
この太刀が重いと言っていた声を思い出し、シンセントは少し頬を緩めながら、腰に佩く。
「落ち着いてからでいいわ。またウタとここにきて」
干し肉などたくさんの日持ちのする食材をマーナンは用意し、シンセントに渡す。
「シンセント殿、気を付けていかれよ。この道がおぬしにとって、困難な道であろうと、進むことができると私は信じておる」
「老師、ありがとうございます」
「思うままに行け、思いの強さは、自身の力となる。強く想え、強く欲しよ」
老師の言葉は、温かくシンセントの心に響いた。
寒風の吹き付ける街道をかけるようにシンセントは進む。
街や村を通るたびに、小さな茶屋を見つけるたびに同じ問いを投げかけていた。
「黒目、黒髪の少女を見かけなかったか、女の子にしては背が高い。もしかすると男の子のような恰好をしているかもしれない」
しかし、誰もが否と、同じように答えるのだった。
砦の街は毎日、何人もの人が行きかう。その一人一人を覚えている者などいない。
シンセントはそう思いながらも、藁にもすがる思いで、人々に聞いて回る。
しかし、砦の衛士は誰もそのような者を見かけた者はいない。
――道が違うのだろうか
見当違いの道を歩んでいるのだろうか。
シンセントは大きく息を吐く。
比較的大きな街の食堂に立ち寄った際、その店の者に、尋ねてみることは、もう、習慣のようであった。
「黒目黒髪の者を見かけなかったか?」
「いやそんな者がいれば、目につくだろうからな。見たら覚えているだろうが、髪は被り物をしていれば、わからないし、瞳の覗き込むわけじゃねぇ、わからねぇよ」
やはり返答は似たり寄ったりであった。
どこまで進んでも、ウタの痕跡は見つけられない。
そこに、横の席で話を聞いていた旅の男がひょいと顔をあげる。
「なんだい?あんた、黒目の者を探しているのか?俺は旅の途中で見たぞ。あんたの言うような、黒髪じゃなかったが、目はほんとうに真っ黒だ。あんな目を俺はみたことがねぇ」
「本当か?その者はどこに?」
「お、おい、なんだよ。話すから、ちょっと待て」
つかみかかろうとしたシンセントの勢いに、男はたじろぐ。
「俺も長いこと行商を続けているが、あんな目をした者に会ったのは初めてだ。おかしなことなんだが、よく通る峠があるんだ。でも、あんなところに村があることを俺は知らなかった。その村にいたよ。あんたが言うような若い娘じゃねぇ。髪は白髪の混じった、若いころは黒髪だったと言われればそうかもしれねぇな。もういいおばさんだよ。呪術師か薬草師の連れ合いだ。その村の近くで腹を壊して、通りかかったやつが連れて行ってくれたんだ。呪術も使うみたいだったが、薬草を煎じて、飲ませてくれてな。少し休ませてもらった。よくしてもらったし、気のよさそうな人だったよ」
「白髪まじり……」
おそらく、ウタではないだろう。
しかし、黒目の者がいるという村にシンセントは向かった。
ウタと同じ黒目の者に会ってみたかった、そこでウタが何者であるのかが少しでもわかるのではないかという期待があった。
その峠は、なんの変哲もない、山道であった。
しかし、突然香る呪術のそれに、シンセントの体は、ピキリと固まる。
呪術の香りはその者によって、異なる。その香りで誰の呪術であるか、わかるのだ。また、香りの強さは呪力の強さに比例する。
この呪力の香りを知らない者は青龍の宮にはいない。
それは、青龍の宮の長、キーレンの香りだった。
しかし、その香りは残渣のよう。その呪術はすでに効を成していない。
進む山道、開けたそこには、小さな集落があった。
――キーレン様がこの村を隠していたのだろう
そう考えることが一番、自然であった。
しかし、その効果が切れていることが解せない。
不思議に思いながら、村に足を踏み入れていく。
「すみません、この村に、……薬草師がいると聞いたのですが」
畑で作業していた老婆を呼び止め、問う。
「あぁ、ロキセイのことだろう?この道をまっすぐ行って、左に折れて、その角をまた、左。薬草がわんさか植えてあるから、すぐにわかるだろうよ。誰に聞いても、ロキセイのところに行きたいと言えば、おしえてくれるわ」
言われた通りの道を進む、通りかかる人はみな、シンセントを物珍しそうに見る。閉ざされていた村をおとづれる者はいないのであろう、シンセントは軽く会釈をして、教えられた道を進む。
薬草畑に囲まれた家屋が見え、奥に進む。木々は整えられており、畑は緑の葉を広げていて、丁寧な作業がされている様子がうかがえた。その薬草畑を抜けて、家屋の戸に手をかける前に、中にいるらしい二人の人物にシンセントは声をかける。
「ごめんください」
「はい」
そこから出て来たのは中年女性。
白髪交じりの髪を高く結い穏やかに微笑みを浮かべている。そして、その瞳は闇夜のように黒い。
シンセントはその瞳から目を離せない。
――ウタと同じだ
その瞳を見つめたまま、シンセントは言葉を発することができずにいた。
「どうされましたか」
つづいて、様子がおかしいことに気が付いたのか、中年男性が出てくる。
「私はロキセイと申します。どのようなご用件ですか?」
何も言わずに、じっと動かないシンセントをロキセイは見つめながらも、その瞳に敵意はなく、困惑の表情を浮かべている。
「……」
「とりあえず、こちらにどうぞ。少し散らかっていますが」
「は、はい」
ロキセイに軽く促され、シンセントはやっとのことで声を発する。
板間に切られた囲炉裏から、やわらかな煙が立ち上り、家の中は温かく、出された茶を口に含む。
ロキセイは薬草師であり、呪術師であるという。しかし、ほとんど呪術は使えないため、薬草の力を借りているという。ユーリという女性とともに暮らしており、二人きりで住んでいるとのことであった。
「すみません、私はシンセントと申します。人を探していまして、その者も、黒目をしております。何かご存じではないですか?名はウタというのですが、……確か、その名は違うのですが、私には発音が難しく、ウタでいいと…」
出会ってすぐのころに、名前を聞かされたが、耳になじみがなく、うまく発音できなかった。困ったように笑い「ウタでいいよ」そう言っていたことを思い出す。今さらながらに名前さえ、まともに知らなかったことに気付く。そばに長くいながら、その名前すら知らなかった。なぜもっと、知ろうとしなかったのだろう。いつもそばにいることは当たり前で、ウタと離れるのはまだまだ先のことと思っていた。ウタが自分から離れることなど想像もしていなかったことを悔やんでも悔やみきれない。
「そうですか、残念ながら、ウタという名の黒目の人を私は知りません。ごめんなさいね」
ユーリは、手元の茶器を包み込むように撫でながら、「今までに黒目の人に会ったことはないわ」と呟く。ロキセイは囲炉裏のそばで、道具をしまいながら何かを思い出したように、空を見つめてから、ユーリを見る。
「ユーリ。君の名もたしか……」
ロキセイはそっと瞳を閉じ、思いを巡らせている。
「そう、私も本当の名は、ユーリではなく、百合子というの。ロキセイも私の名をうまく言えなくて、ユーリって呼ばれているわ」
「あぁ、そうです。ウタの名も、そのように!」
「うふふ、ウタコさんというのかしら」
ユーリの言葉は確かに、かつて、ウタの口からきいた言葉であった。もう一度発音しようにも、うまく紡ぐことができないように思う。ユーリは困惑の表情を浮かべ、そっと傍らのロキセイを見つめる。その瞳をロキセイも見つめる。
「そのようなことがあるのだな」
「ほんとうね。今までそんなことはなかったもの」
二人に交わされる言葉には何か、シンセントには想像の及ばないことが含まれているようであった。
「どういうことなのですか?」
「信じられないかもしれないけど、私はね、ここじゃない世界から来たの、突然。それで、ロキセイに拾われて、そのままここでくらしているの」
「!!」
「信じられないでしょう?何をとぼけたことをと言われると思うわ。私が一番信じられないもの。でも私は確かに前山百合子だったの。他にも私のような人がいたのね。そんなこと考えたこともなかったわ」
「ユーリ」
ロキセイはそっとその名を呼び、かつては滑らかであったその手を握る。
「……ここではない世界」
かつて、老師もそう言っていたことを思い出す。戯言と聞き流していた。
ウタはここではない世界から来たというのだろうか。そのような世界があるのだろうか。シンセントにはやはり信じられないことではあったが、嘘をつかれているようには思えなかった。また、シンセントに嘘をつく理由などなにも思い当たらない。
「そうなんでしょ?黒目黒髪の者はすでにこの世界では滅んだとされているって聞いているわ。だから、あなたの探している人も、私と同じように、こことは違う世界から来たのかもしれないわ。言葉も違う、習慣も違う、私はロキセイに助けてもらえて、本当によかったわ」
ユーリは目じりのしわを深くして、ロキセイに微笑みかける。
「本当に、私はしあわせね。それに私はあの子のおかげで言葉に困らなくなったけど。その詩子さんは本当に困っているでしょうね」
「ユーリ」
ロキセイのたしなめるような声がかかる。
「あぁ、ごめんなさい」
しまったというようにユーリは口元を抑える。
「ど、どいうことですか?」
シンセントはあの子のおかげで言葉にこまらなくなったという言葉の意味が分からない、そして、そのことについて話すことができないということなのだろう。
「何でもないの。ごめんなさい。これ以上話すことは出来ないわ」
ユーリのやわらくもきっぱりとした拒絶にシンセントは思いを巡らせる。
この村に訪れた際の、わずかに残る青龍の宮の長の呪力の香り。それは、この村とかかわりがあることを示唆しており、遠い昔に同僚の酒席での戯言を思い出した。
――幼少期のキーレン様は言葉の異なる者との言葉での意思疎通を可能とする呪術を成した
意識を集中するとユーリからは、キーレン様の呪力の香りが濃く残っている。
「それは、このあなたに濃く香る呪術の香りに関することなのですか?ここは青龍の宮の長、キーレン様とかかわりのある所なのでしょう?」
「あなたは青龍の宮の者か?」
ユーリは困ったように微笑み、となりのロキセイを見つめる。困らせるつもりはないが、見過ごすことは出来ない。
「はい、キーレン様の命で、旅をしています」
「そうか、ここのところ、この村に時折、旅人がやってくる。それは、これまでになかったことだ。もしかすると、キーレンの術が薄れているのかと思ったが、キーレンの意志であるのだろうか。あなたがここに来ることも、キーレンはわかっていたのだろうか」
ロキセイは呪術師であるなら、青龍の宮の長の名を当然、知っているだろう。しかし、その声に親しみがにじみ、宮の長を『キーレン』と呼ぶことは呪術師であるなら不可能である。
すると、考えられることは一つ。
「キーレンと。あなたはキーレン様にゆかりのある方なのですか?」
「キーレンは私の娘だ」
「キーレン様の……」
「すると、あなたはキーレン様の呪術で、この蒼語が話せるようになったというのですか?」
「そうなのよ」
「なんということだ」
戯言などではなく、それは紛れもない事実であり、シンセントは驚きを隠せない。そのような呪術を見たのは初めてであるし、自身もウタに成してみようと試みたことがあるが、当然、成すことは出来なかった。
あらためて、青龍の宮の長の呪力を見せつけられ、シンセントは言葉を失った。
外は夕闇が迫っており、天候も悪化していた。山道を駆けて近くの街に行くというシンセントにロキセイとユーリは泊っていくようにすすめた。この村に宿などなく、ロキセイとユーリの勧めに従い、シンセントは滞在することとなった。
この時、ロキセイの勧めを断って、この村を出ていたら、シンセントの未来だけでなく、この国の未来は変わっていたかもしれないと、後になってシンセントは思うのだった。
ユーリとロキセイ、キーレンの物語は「黎明の蒼国」です。
読んでいただきますと、楽しんでいただけると思います。




