12、獣人の隠里
一行はことさらに、険しい山道を登り、下草をかき分けて進む。
渓流の中は大きな岩がゴロゴロしていて、滑りやすく、また、冷たい水に足が痛む。
しかし、息も絶え絶えな詩子とは異なり、皆の表情は一様に明るい。
前を行く誰かの声が聞こえ、カランと美しい音が聞こえた。
その里の門は突然に、ポッと現れたように詩子は感じた。
その重厚な門は大きな素焼きの土鈴がぶら下がっていた。
その門をくぐると、たくさんの田畑が広がっている。収穫を終えた畑や、いくつかの作物の実った畑があり、そこに点在する家屋はどれもこじんまりとはしていたが、しっかりと作られていた。何人かの村人が働き、集落を訪れた詩子たちに、にこやかに応える。
「カロ婆!おかえり」
どこからか、子供たちが集まってくる。元気いっぱいの声で、カロロンに手を振り、ついてくる。
「ねぇ、お土産ある?また、楽しいお話聞かせて」
「いつまでいられる?冬はここにいるの?」
次次にかけられる言葉に適当に応えながら、カロロンは進む。
「うるさいよ、また後で来な。今はあっちへ行ってな」
群がる子供たちを邪魔そうに手で払う。そんな対応に子供たちは慣れているのか、全く気に留めることなく、にこにことついてくる。
その中の一人の子の頭に、小さな耳があった。その耳は薄茶のふわふわとした毛におおわれ、丸みを帯びた三角で、いかにも興味津々といった様子でピンと立っている。まるで犬の耳のようであった。しかも、その下ばきの尻のところから、くるりと巻いたふさふさの尾があった。
詩子はその耳と尾をじっと見つめる。飾りかなにかのようにも見えるが、耳はぴくぴくと動き、尾はみごとに左右に揺れている。
――本物だ
詩子がその耳と尾をじっと見つめていたことに、気付いたアミヒは、詩子にそっという。
「獣人の子だよ。時々、あんなふうに耳や尾だけ、人型になった時も残ることがあるんだ。大人になるにつれ、なくなることがほとんどなんだけど」
「そうなんだ、とってもかわいい」
「そんなこと言うのウタくらいだ」
あきれたようにアミヒは言うけれど、その目はとても優しかった。
「とってもかわいいか。前にもそういった人がいたな」
詩子とアミヒの会話を聞いてたいらしい男が声をかけた。
その声は、すこししわがれていて、年齢を重ねた落ち着いた声だった。
「あぁ、アルセイ!来てたのか!」
「一足先にミミンがうちまで来て、知らせてくれた」
アルセイと呼ばれたがっしりとした初老の男には、頬から耳にかけて、刀傷があった。ずいぶん古いようではあるが、はっきと見える。その傷を歪めて苦く笑う。
「アミヒ、ちょっとこっちにこい」
アミヒの手を引き、誰かの家の軒下に連れていく。
詩子も何となく、その二人についていった。
どのような要件か、アミヒもわかっているのだろう。おとなしくアルセイに従う。
二人は縁台に腰かけた。白髪の混じった髪をガシガシとかき、アルセイは大きく息を吐く。
「お前、自分が何やったかわかってんのか?いや、待て。もしかすると、ミミンの話が間違ってるかもしれない。お前、何した?」
「ミミンが話したことに偽りはきっとない」
「ないのか。まぁ、そうだよな。ミミンの情報に偽りがあることなどない。あいつはちょっと変わってるし、得体の知れないやつだが、嘘を吐くやつじゃない。確かなことしか言葉にしない。わかってはいても、信じられなかったが」
「……」
アミヒの心の中に、きっとピリカの微笑んだ顔が浮かんでいるのだろう。静かに瞳を閉じている様子を見て詩子は思う。アルセイも大きく息を吐き、静かにアミヒに問う。
「その人の名は?」
「……ピリカ」
「心からの哀悼の意を。安らかな眠りを祈る」
「アルセイ……」
「愛するものを喪うことは、身を割かれるようにつらいことだ。アミヒの心を癒す薬などないが、俺はお前の幸せを祈っている」
アルセイ自身にも、そのような経験があるのだろうか、その温かな声に詩子は感じる。アミヒはこみ上げる思いを堪えているように、大きく息を吐き、瞳を閉じたまま答えた。
「……ピリカと過ごした時間、その記憶が宝物だ。その宝を持っていれば、生きていける」
「そうか。レイが心配していた。早く行ってやれ。まぁ、無傷で済むとは思ってないよな。あいつ、怒り狂ってたぞ」
「そうだろうな」
アミヒは苦く笑うけれど、どこか嬉しそうだった。
「ところで、その子、どうした?」
アミヒの後ろで、そっと様子を窺っていた、詩子にアルセイは声をかける。
突然のことに詩子はびくりと肩をあげ、アミヒにおいでと手招きをされ、詩子は二人の前に立つ。
「うん、サナ湖で一緒になった子で。連れてきた」
「黒い瞳か、初めて見るな。闇夜のように黒い」
アルセイは覗き込むように、詩子の瞳を見つめる。その瞳があまりに真っ直ぐで詩子はたじろぐ。
「私、ウタ。はじめまして」
「あぁ、俺はアルセイ。薬草師だ。言葉が不自由なのか、耳が悪いのか?」
「耳は聞こえる。問題ない」
「ウタは遠いところから来たみたいで、よくわからないんだけど。蒼語は聞くのはほとんど問題ない。まだまだ、勉強中だけど。話すのも何とかなってるかな」
「勉強中」
「そうか」
アルセイは薬草師であるから、体調の悪いときはいつでも相談するようにと詩子に話す。いつもはこの里にはおらず、麓に住まいがある。大きな傷のある顔ではあったが、その瞳も声も穏やかで優しさを含み、詩子はどこか癒されるように感じた。
「アルセイさん、やさしいね。ここの人、みんなやさしい」
詩子の言葉に、アルセイは驚いたような顔を一瞬して、そうだなと笑った。
息を切らせて、深い紫の髪を高く結い上げた少女がやってきた。蒼い瞳を瞬かせ、微笑む。
「アミヒ!!ここにいたんだね。レイが待ってるから、来て。私、お願いされたの」
「そうか、偉かったな。おい、アミヒ、レイが待ってるってよ」
アルセイは愛おしそうにその頭に大きな手を乗せてなでる。気持ちよさそうに、目を細め女の子は笑う。
女の子のその蒼は太陽のまぶしい光を受けたどこまでも透き通った深い海の色を思わせた。それは、吸い込まれるように深く蒼く、目が離せないほどに美しい。
詩子はその瞳をじっと見つめてしまう。黒い瞳ばかりの国に住んでいた詩子にはとても珍しく、その色はとても美しかった。
「きちんとレイの言いつけができたな、すぐに行くから、行っていいぞ」
アミヒは大きな手で、少女の背をそっと押すと、女の子は来た時のように、かけていった。
その様子を詩子はじっと見ていた。
「ウタ、あんたは何者だ?どこからきたんだ。何か目的があるのか?」
女の子の背を見ていたアルセイは振り向きながら、ウタを見つめて問う。
その声は剣を含んではおらず、問いただすような響きはない。ただ、不思議だから、疑問に感じたからというような声だった。けれども、詩子の戸惑いは深い。
「え?」
まさか、会ってすぐのアルセイにその問を受けるとは思ってもいなかった。
「あんたは獣人じゃない。人だろう、長旅の疲れが出ている、顔の色つやはないし、唇もひどくかさついている。手足は細く、肉もついていない。獣人は総じて丈夫だから、旅をしても、そんな風に弱ったりしない。そしてなにより、その瞳から、生気を感じない。その瞳の色、黒いってことじゃなくてな。弱気な目をするのは、たいてい人だ。そして、あんたが人なら、あの少女を見て驚かないはずはない。しかも、なんで男の子の恰好をしている?」
詩子はアルセイの問いに答えることができなかった。
「私は、獣人じゃない。男の子の服しかない。それだけ。私は人、でも瞳の色の意味、分からない」
「アルセイ、ウタはね、ここじゃない別の世界から来たんだ」
詩子を庇うように、アミヒはアルセイに言う。しかし、アルセイはその言葉に苛立つ。
「アミヒ、お前な、そんな説明で俺が納得するとでも思ってんのか?」
「え、だって、本当だよ。ウタと初めて会ったとき、変な格好してたし、嘘なんかついてないよ」
「女の子が男の服着てる時点で、おかしな恰好だろう!お前はいつも適当に、ごまかそうとして。そんなことで、はいそうですかって言うわけないだろう」
「え、ほんとだよ。間違いないよ、呪術師のお爺さんも異界からの来訪者って言ってたし」
「なんで呪術師がそんなこと言うんだよ。お前に呪術師の知り合いなんかいないだろ!」
「こそっと、屋根の上から話していたのを聞いたんだよ。間違いないって」
「お前は!また、街でウロウロしてたのか。見つかって衛士にでも捕まったらどうするんだ!お前は何をやってんだよ。街は獣人に寛容じゃないんだ」
「もう、小言はいいよ。アルセイ、あんまり怒ると体に良くないよ」
「怒らせてるのは、お前だろう、アミヒ!まて、おい」
アミヒは詩子の手を引くと、駆け出した。ちゃんと話を聞かせろと、アルセイの声をアミヒは聞かずに、詩子とかけていく。
「アミヒ、いいの?」
「大丈夫、アルセイはいいやつだから。……この里に出入りしている『人』はほんの数人しかいないんだ」
「どうして?」
「ウタ、ここはね。獣人の隠れ里なんだよ」
モラガイン山中は人が住むには困難な場所であっても、獣人であればなんとか暮らしていける。人の住む場所では暮らせない獣人たちがひそかに暮らす里。衛士に見つかってしまえば、襲撃されてしまう恐れもある。だから、人はこの場所を知らない。
獣人だけの里は、獣人であることを隠す必要はない。うっかり耳や尾をだしている子供たちがいても、咎める必要はない。親も子も、決して豊かとはいえなくても、穏やかに過ごしていける。
旅の一座で保護した子供たちは、ここにやってきて暮らす。ここには、親のない子のための家があり、里の皆で助け合って育てる。
旅芸人は各地を回り、様々な人たちと交流を持ち、獣人たちが暮らしやすいよう、情報や支援を得る。また、こちらが、支援することもある。互いに助け合う、窓口となっている。
アミヒは詩子にもわかるよう、ゆっくりと言葉を重ねた。
語りながらアミヒは、一つの小屋に向かった。
その小屋に二頭の真っ白なヤギがいた。一頭は大きく、そしてその頭には大きく立派な角があり、もう一頭はそれよりも少し小柄で、角はなく、寄り添うように小屋の奥にいたけれど、大きいほうのヤギは詩子たちの姿を認めると、警戒するように、こちらまでやってきて、柵に角をゴツゴツとぶつけてくる。
アミヒはそのヤギの背をそっと撫でる。その毛はやわらかそうで、ふわふわとしている。詩子も触ってみたかったけれど、噛まれたり、角をぶつけられそうで、怖かった。
「ここだと、思った。アミヒ」
突然かけられた声に、詩子は肩をあげて驚いた。
けれども、アミヒは知っていたかのように、うっとりとヤギの背を撫でたままだ。
「レイ、ヤギを立派に育ててくれてありがとう。ほんとうに、うれしいよ」
「とても、いいやヤギだ。ヤギは質のいい毛を取ることができる。柔らかくあたたかい。上質の毛だ。それを細く撚り、糸にしている。」
「そっか、ならよかった。レイならちゃんとやってくれるってわかってたけど、こうして触れると、大事にしてくれているのがよくわかるよ」
アミヒは後ろに立つ、二十代と思われる、整った顔立ちの青年、レイに目を向けることはない。
「アミヒ、俺にちゃんと話せ」
レイの声に怒気が混ざる。しかし、その表情は険しく、苦しそうだった。
「……二年前、ヤギをもらい受けるために訪れた村の、女の子のことが好きになって、その子も俺のことが好きだと言ってくれて、どうしても、どうしても離れたくなかった。でも、そこにいたら、その子、ピリカは別の男と結婚することになるから、俺は耐えられなくて」
「それで、連れて逃げたのか。それで、死なせたっていうのか」
痛みをこらえるように、レイは顔を伏せ、手を固く握りしめ、肩を震わせている。
「……そうだ」
アミヒはどこか、人ごとのように、うつろで、ヤギから手を離すと、くるりとレイのほうを向き、まっすぐに見つめる。
「アミヒ、お前のしたことは、誰も幸せにしていない。なぜそんな方法を選んじまったんだ。一言でいい、俺に話してくれたら、なんとかできたかもしれない。なんともできなかったかもしれないが、どうして、一言も言わずに!せめて、ここに帰ってきてほしかった」
レイの懇願にアミヒの表情は一変して、険しくゆがむ。
「……」
「アミヒ、俺は、お前の愛したその人に、会ってみたかった。そうだろう?お前の選んだ、お前を選んだ人に俺は会いたかった」
「会わせたかったよ。ここに連れてきてあげたかった。みんなに祝ってほしかった。きっとレイもアルセイも、みんなピリカのことが好きになったよ。とても、いい子だから」
アミヒの頬を涙が伝う。それを隠すこともなく、流れるままにして、レイにつぶやく。ほんとうにいい子なんだと。
「アミヒ」
「……この里の丘から見える夕日も、朝日を浴びて光る樹氷も、そのすべてをピリカに見せてあげたかった」
アミヒの頬から流れおちる涙を詩子は見ていられなかったけれど、詩子の目も涙に濡れ、景色はにじんだ。
ピリカのはにかんだ顔が瞼に浮かんだ。ころころ笑った声が耳によみがえる。
アミヒにレイは寄り添い、肩を抱く。アミヒは静かに涙を流した。
しばらくそうして、アミヒの涙が切れたころ、息を吐いて、レイは言う。
「今回のことに関しては仲介にあたった、ミミンに大きな迷惑をかけ、その後の処理にあたったのも、ミミンだ。ミミンの話によると、何とか矛を収めてはくれたとのことだが、お前はミミンの大きな借りを作ったと思って間違いない。返しきれないくらいだ。それはこの俺たちにも言えることだ」
「わかった」
ミミンはこの里の者ではない。旅芸人のカロロンが出会った。たくさんの人脈を持ち、膨大な知識を持つミミンのことをよく知る者はいない。この里を訪れ、この山の気候や採れる植物から、この里に上質な毛を取ることができるヤギの飼育を勧めたのは、ミミンであり、そのヤギを入手できる伝手を紹介したのもミミンだ。
ミミンの紹介で、この里は新たな収入源を得ることができたし、その毛の流通先もミミンの紹介によるものだった。
そのミミンの紹介先のヤギを飼育する里を訪れた際に、里の代表として同行したアミヒは、ピリカと出会ったのだった。
ヤギだけでなく、大事な娘を盗られたことに、その里の者は大変な怒りだったという。
その怒りもミミンが何とか治めたのだった。
アミヒだけでなく、この里全体の、失態であり、この里の長のレイにとっても、大変な失態であった。
ミミンに返すことが難しいくらいに大きな借りができたことを、この里の者はみな知っていた。
「次は、その子だな。何者だ?その髪は染めてるけど、ほんとは真黒だそうだな。カロロンが話してた。その髪はともかく、瞳は見事に真っ黒だ。闇夜のようだ。」
「あぁ、その子はウタ。異界からの来訪者だそうだ」
「異界からの来訪者?」
「清定館の呪術師の話だから、間違いないとは思うけど」
「また、なんで清定館なんかに……」
「いや、ウタが清定館にいたから、様子を窺いに行ったんだ。その時に爺さんが話してたんだよ」
「ほんとに、お前のすることが時々、本当にわからん」
「とにかく、ここに置いてほしいんだ」
「人なら、ここでなくても生活できるだろう?アルセイに相談すれば、どこか働くところも見つけられるだろう?年は十三くらいか?」
「そういえば、ウタって何歳?」
「え、十六、いや、違う十七」
こちらがあちらと時の流れが同じであるならば、詩子の誕生日はすでに過ぎたはずだ。毎年、誕生日を祝ってくれた祖母の顔が浮かんだ。
「十六?それにしては声変わりもまだのようだし、手足も女のように細い」
「レイ、ウタは女の子だよ」
「……すまない。女にしては背が高いし、髪も短い、来ている服も男物だから、男だと思ったんだ」
「いい、気にしない」
もう身長は伸びてはいないだろう、あちらで最後に測った時、百六十八センチだった。この背はあちらでも高いほうではあったが、男の子に間違えられるほどではない。しかし、こちらでは、やはり高いようだ。アミヒは詩子よりわずかに低く、老師も小柄であった。レイは詩子よりも大きいが、詩子が見上げるほどではない。
「ウタも、女の子の服を着ないとね。きれいな髪飾りも、帯飾りも何にもつけてないから」
先ほどの女の子たちの結い上げた髪に小さな花を模した飾りがついていたことを思い出す。街を歩いた時に帯に長くつないだ玉が日に照らされてきらきらと揺れていたことも、思い出した。
背の高さ、髪の短さ、服装、そのどれもが、男性を思わせるため、性別を間違えられるのであろうか、女性らしい丸みのない体を見て、詩子は苦く笑う。
――紫紺の髪のあの人も少年と思っていたな
それが間違いであることを伝えてしまえば、旅が終わるような気がしていた。
言い出せなかったけれど、女の子であることに気が付いてほしかったことも事実だ。
この思いにもう、名をつけてもいいだろうか。
見知った人が出てまいりました。
『呪術師である理由』はレイ、アルセイの物語です。
ご一読いただきますと、さらに楽しんでいただけると思います。




