赤威セイジの日常
俺は微睡みの中で外の魔法太陽のかすかな明かり、薄く透き通るような朝の空気、そして若干の肌寒さを感じた。
無意識に薄っぺらい毛布を顎元まで引き上げ、暖を確保する。
「ああ、寒っ……まだ朝じゃねえか。なんでこんな時間に起きちまったんだ……?」
体感だがいつもより二、三時間早く目が覚めたんじゃないか。
昨日の授業で、変な疲れがたまってたせいかもな。
まあ、どっちでもいい。
「ふぁ~、もうひと眠り……」
『――だらっしゃああああああああああああい!』
「うぐっ!? く……なんだぁ?」
思わず二段ベッドの上から転げ落ちそうになりながら、俺は飛び起きた。パイプ製の安っぽい簡易ベッドがぎぃぎぃと音を立ててきしむ。少し動いただけで部屋にほこりが舞う。
普段から周りに指摘されるほど鋭い俺の目つきが、いまはさらに不機嫌に釣り上げられていることだろう。
「いや、早朝からこんなアホみたいな声出してるやつなんて限られてるよなあ……」
いま何時だと狭い部屋の壁にかけられた時計を見れば――。
「朝の五時って……あいつ、正気か?」
ここは第二階層にある学園寮。中でも俺たち高等部の男子が自室として利用している棟だ。
少し眠気覚ましの時間もかねて、自室を見回してみる。
狭い部屋に無理矢理詰め込まれた数点の家具。二段ベッドを除けば机ふたつとロッカーふたつ。それだけ。
実に殺風景で、オークの巣穴のような部屋。
それが俺ともうひとりのルームメイトの居城だった。
『いっち、にぃ! いっち、にぃ! ちくしょー、この野郎、馬鹿野郎ー!』
「だあああ、うっせえ! 何時だと思ってんだ……馬鹿はお前だ、柿谷ぃぃぃ!」
俺は寮室の上半身がぎりぎり通りそうにない小さな窓をあけて、三階から中庭に向かって叫んだ。
「出たな! 赤威セージ!」
中庭で上半身裸でマラソンしていた柿谷ダイチがこちらを睨んでくる。今日もむかつくほどカチカチにリーゼント固めやがって。
「お前はリーゼントのまま寝てんのか!」
「ばっきゃろー! 俺様のリーゼントは毎朝一時間かけて整えてるんだっつーの!」
じゃああいつは朝の四時に起きて、リーゼントを整えたあと中庭で自主トレしてるのか。アホだ。アホの王様だ。
「とにかく、自主トレするのは構わんが、静かにやれ……」
「うっせー、静かにトレーニングができるか! 声出して気合入れねーと、力入んねーだろうがよおおおおぉっ!?」
「……っ! だからお前、静かに……!」
「ふっ、そうか赤威セージ……俺様が自主トレによってお前よりも強くなるのが恐ろしいんだな……」
「お前のホームラン級の勘違いはどうでもいい。とにかく寮内で騒ぐな、まだ寝てるやつもいるんだ……」
俺もその一人なんだがな。
とりあえず柿谷がうるさくしないように注意する。
「嫌だね! てめぇの指図は受けねえ!」
「いや、だから指図とかじゃなくてだな、迷惑を……」
――ガチャガチャ、ガチャ!
「なんだ、なんだ?」
「また赤威のところが騒いでんだろ……」
「なに、また赤威んとこか! 毎朝毎朝迷惑な!」
「これだからF組は!」
あーあー、あー。
中庭に面した部屋の小窓がつぎつぎに開いて、そこから顔を覗かせたやつらに文句を言われる。みんな寝起きに不機嫌そうな顔でこちらを睨んでくる。
「待て。俺じゃない。悪いのはあそこのアホでな……」
「うっせえ、赤威! てめぇが見張ってたらいいことだろうが!」
「そうだそうだ、こっちは徹夜でアイテム製造してたんだぞ! あんまりうるさくするようなら、購買へのポーション供給止めるからな!」
「なっ!? おい、赤威どうしてくれんだ! ポーション買えなくなったらお前のせいだからな!」
「聞いてんのか、赤威!」
「赤威ぃ!」
「ふざけんな、赤威……!」
「…………」
ああ、そうか。そうかよ。
「赤威、赤威って……ああ分かったよ! 俺が悪かった。アホの監視を怠った、俺が悪かった……おい、アホ谷! ぶっ飛ばしてやるからそこで待ってろ!」
俺は中庭でこちらに挑戦的な視線を送ってくる柿谷に叫ぶとロッカーを開けて、パジャマからズボンに履き替える。
『うっせー、俺の名前は柿谷だ! 間違えんな、馬鹿威!』
「ぐっ! うっく……だぁーっ!」
――ガラガラ、ドシャーン!
く、あせってズボンに足をひっかけてロッカーにぶつかっちまった。振動で机の上に置かれた物がばらばらと落ちてくる。狭い部屋が散らかって、より狭くなる。一段と埃が舞う。
もう我慢の限界だ。
「とりあえず柿谷……あいつだけはボコボコにする!」
◆ ◆ ◆
今日は朝から散々だ。柿谷に無理矢理起こされるわ、ケンカ売られるわ。その上寮長に呼び出し食らって説教で朝飯は食えないわ。廊下で会う奴には白い目で見られるし、教室に行ったら行ったで柿谷と顔を合わせないといけないしで、本当に最悪だ。
放課後、ダンジョンに潜れば会うこともないと思ったら向こうもたまたま同じ階層で探索してたらしい。ばったり出くわしたとき奴は処理できなかったモンスターを周りにたんまりとため込んだ状態だった。
その直後、案の定アホはモンスターの群れの中で戦闘不能→決壊するモンスターの群れ→当然、壁役の俺へと流れてくるモンスターたち。
お約束のコンボ、お約束の展開。
正直、久々に死ぬかと思った。
でも、そこまではまだいい。なんだかんだ、その流れはいつものことだ。
俺が今日は最悪の一日だと確信できたのはバイト先のデパ地下に行ったときだ。
「あ! 標的泥棒じゃねえか!」
「うるせえ、俺たちが学園に連絡しなかったらいまごろまだ地下の冷たい床を枕にしてたやつがよく言うな!」
「はん! どうせ、てめぇがタゲの横取りのついでに俺を巻き込んだんだろう!?」
「違えよ! お前が敵の標的をこっちに擦り付けてきたんだろうが!」
「知らねえ! そんなこと、覚えちゃいねえな!」
くっ、蘇生魔法の副作用で今日あった出来事の前後の記憶が欠落してやがる。このまま言い合いしてても堂々巡りになるだけだな。
「はぁ……柿谷、お前は俺にそんなに嫌がらせしたいのか」
「は? たまたま試食コーナーで隣になっただけだろ、ソーセージ野郎」
「黙れ、チャーハン坊主」
俺はウィンナーソーセージの試食販売、やつは食用油の販売のためチャーハンを炒めていた。
「ふん、赤威、てめぇの調理系クラスはなにを取ってる?」
「唐突になんだよ、なんでそんなことを……料理人3LVだけだ」
「ふっ。俺は料理人5LVに、調香師1LV、狩人4LVの合計10LVだ! くはは、勝ったな!」
「くっ……」
なにに負けたのかは一切分からんが、むかつくことだけはたしかだ。
特にどや顔の柿谷がむかつく。顔の前で誇らしくリーゼントが揺れてるのが最高にむかっ腹立つ。
「どうだ、勝負するか」
柿谷がまたなにやらわけの分からないことを言いだした。
「勝負だと?」
「ああ、いまからここにある商品をどれだけさばけるか……」
「はっ」
俺は柿谷の言葉を鼻で笑った。
「なんだよ?」
「柿谷、いいか? お前がこの俺に勝負を挑むなんざ、100年早い!」
「へえ……いいんだぜ? この勝負降りてもらっても」
「なんだと?」
「どうせ勝てるわけない勝負だからな、俺は全然構わないんだぜ……負け犬赤威?」
「いいぜ……受けてやるよ、その勝負!」
「ふん、そうこなくっちゃな! よし、いまからこのデパ地下の閉店までが勝負だ!」
こうしてなぜか俺は柿谷の口車に乗ってしまい、自分でもアホだと思う勝負を受けることとなった。
なぜだ。どこで間違えた。
どうも柿谷とからむと、いつも調子が狂う。
◆ ◆ ◆
「いらっしゃい、ちょっとそこ行く学生さん見てくれよ、このソーセージ!」
「ん?」
「ぷりっぷりで中身が詰まってるのが分かるだろ?」
「へえ、たしかに……」
「どうだい、ダンジョンでの携帯食にもいいし、夕飯にもぴったりじゃないか? なんだったらここで試食していくといい」
俺はそう言いながら、お客へ半分に切ったソーセージウィンナーを爪楊枝で刺して手渡そうとする。
「んー……いいや。お腹いっぱいだし」
「残念だな、この切り口からあふれる脂! 美味そうだとは思わないか!?」
「美味そうなんだけど……やっぱり腹いっぱいだから。悪いね」
「そっか、じゃあまた今度試食してくれ。そんでついでに一袋買ってくれ」
バイト先での商品販売数勝負を受けた俺は、商品が肉類ということもあって同学年くらいのやつに声をかけてる。しかも腹が空いてそうな男子学生を中心に、だ。
だが、どうにも上手くいかない。
少し柿谷のほうが気になり、ちらりと横目でうかがうと。
「奥さん奥さん……ちょっと、聞いてるすか? そこの若い奥さんっすよ!」
「え、わたし?」
「そうそう、お姉さんっす!」
「あらやだ、そんなお世辞久しぶりに聞いたわ、うふふ」
どう見ても四、五十代にしか見えない夫人を言葉巧みに誘い商品説明する。相手もお世辞だとは分かっていながらも、若いと言われて嬉しいのか柿谷のほうへと歩み寄っていく。
「俺のいま炒めてるチャーハン! これね、この油使って作ってるんすよ……とりあえずお姉さん美人だからひとつサービスするっすよ、ほら!」
さらなるお世辞をまじえつつ、試食品の小皿をスプーンと一緒に夫人に手渡すと柿谷は「ひと口、ひと口」だけでもとすすめる。
夫人は気分良さそうに、柿谷にすすめられるがままチャーハンをひと口、口に含んだ。
次の瞬間、ぱぁとますます表情が明るくなりご機嫌になっていくようだった。
「あら、おいしいじゃないの。お兄ちゃん、いい奥さんになるわよー」
「へへっ、あざーっす。でもね、お姉さんこれ俺の腕じゃなくて、油がいいんすよ」
「へえ、そうなの?」
「いいっすか? この油、なんと230階層の平均樹齢数百年っていう植物モンスター由来の食用油なんすよ。だからその油を食ってると若返ってくるんすよね、これが」
「まあ」
「それでね、ここだけの話っすよ、お姉さん。その植物モンスター木肌がつるつるで、油飲んだ人も肌が……って噂なんすよ!」
内緒話のようだが柿谷の声量は大きく、話してる内容はダダ漏れだ。
だが、それでいい。上手いこと宣伝しやがる。
「まあまあまあ」
「どうっすか、今夜はチャーハンに野菜炒め、この美容油をたっぷり使ったから揚げなんていいんじゃないですか!?」
「でもお高いんでしょ?」
「残念っすね、お姉さん……ひとつ、5ゴールドっす」
「まあ、安いじゃない! ひとついただけるかしら?」
「まいどあり!」
正直、柿谷の手際というか口の上手さに俺は舌を巻いていた。
舐めていた。ただの馬鹿だと、アホだと思っていたがまさかここまでやるとは。
「ふん、どうだ赤威? 俺は勝負事になるとどこまでも強くなる、そういう男なんだよ!」
しかしそのドヤ顔は純粋にむかつく。
認めたくない。
あのリーゼントへし折ってやりてえ。
「くっ、まだまだ勝負はこれからだ……そこのお姉さん、明日のお弁当にソーセージなんてどうですか?」
「あ! 汚ねえ、俺のパクりやがった!」
「ふっ、勝負の世界はバーリトゥード、なんでもありなんだよ!」
「卑怯者のてめぇらしい戦法だ、赤威。だったら俺も秘密兵器を出すしかねえな」
「なっ、秘密兵器だと!? なにかあるっていうのか……」
「ふっふっふ……秘密兵器、中華料理の素! これを入れるとチャーハンの匂いが食品売り場隅々まで行き渡り……客は、買う!」
「汚ねえ! お前のほうがずっと汚いだろうが! そんなら俺は数で勝負してやる、ソーセージ焼きまくってガキだろうが貧乏学生だろうが容赦せずに、手あたり次第配りまくってやる!」
「なっ! てめぇ、外道に落ちる気かよ!?」
「くっくっく、何度も言わせるな。勝負の世界は非情なんだよ……」
俺が試食品用のソーセージの袋をビリリと破る音が合図となった。
それからの戦いは熾烈を極めた。
柿谷のジャージャー音を立てて炒められるチャーハン。隣から空腹を刺激するような強烈な香りに屈伏しそうになりながらも、俺は俺でソーセージを馬鹿みたいにホットプレートに並べて焼く。焼く。焼く。
そして俺の前を通るやつには問答無用で押し付けていく。
「お兄さん、お姉さん方ソーセージはいかが? 肉汁がしたたってるよ!」
「あ、あの……じゃあそこのソーセージください」
「まいど!」
「素人でもプロのチャーハンが作れるこの食用油! どうだい、お姉さん!?」
「油、食用油ください!」
「はいよ!」
「俺も、俺も!」
「私も、私も……!」
俺たちふたりの前にはいつの間にか長蛇の列ができていた。試食品は飛ぶようにはけていった。同時に後ろの商品も順調にさばけていっている。
だが、このままでは勝負は五分五分。どちらかがミスでも犯さない限り、この流れ変えられないだろう。
「な、なんだと!?」
そして、ミスを犯したのは俺だった。
俺は気づく、痛恨のミスを犯していことに。
「くっ……試食品の在庫が!」
さすがに無差別に配りすぎたのか、在庫が切れた。
いまある、このホットプレートの上の残弾で勝負するにはあまりに心もとない。
「ふっ、残弾が尽きたんじゃあどうしようもないな?」
「残念だったな、柿谷……言っただろう? 勝負の世界はなんでもありだと」
「な、なんだと……?」
「俺はこの商品……ここにあるソーセージも、全部投入する!」
「はあああ、馬鹿なあ!? 正気か、そんな禁じ手……お前そこまでして!」
「男にはな、勝ちに行かないといけない勝負があるんだよ!!!」
俺はあせる柿谷に涼しげな表情を見せつけ、商品の袋に手をつけた。
――結果。
「今日使った商品の代金、給料から引いておきますので。今後このようなことはないようにしてください。次やったらクビです」
「すみませんでした……」
バイト先から怒られた。
「ダハハハ! バッカでえ!」
「くっ!」
「柿谷くん、君もですよ。フロアマネージャーから『あの匂いはなんだ!?』とお叱りを受けました……私が」
「あ、はい……すんませんっす」
「あとふたりとも試食品を作りすぎです……どうするんですか、この試食品」
俺たちふたりの前にはどこかで立食パーティーでもするのかというほどこんもりと産業廃棄物が皿に盛られて置かれていた。
◆ ◆ ◆
夜。寮内、自室にて。
「おい、赤威! ソーセージよこせ、お前取りすぎだぞ! はぐっ、ぐっ!」
「いいよ、食えよ、いくらでもあんだから! それよりチャーハンもっとわけろ、販売してたときから横でいい匂いさせやがって……もぐもぐ」
「調理系クラス合計10LVの俺の腕に元服したか? もぐもぐ、むぐっ、んぐっ!」
「ドヤ顔で言ってるところスマンが感服だからな……ああ、もう食べカスをこぼすな、汚いな!」
「うるへえ、ソーセージ野郎!」
「なんだと、チャーハン坊主!」
※次回、第三話――予告。
ソラ :「お疲れ様、セージ」
セイジ :「ああ、危うく減給どころかクビだったぞ。商品売れたから温情もらったが……柿谷め!」
ハルヒコ:「はは、セージでもヘマすることあるんだね!」
セイジ :「嬉しそうだな、ハルヒコ?」
ハルヒコ:「そりゃね。なんたって、次回はこの僕が活躍する回だからね!」
アマネ :「ええ!? ハルヒコくんが活躍するんですか! こ、これは●RECの用意を……」
セイジ :「…………」
ハルヒコ:「なんだよ、セージ。その目は」
セイジ :「不安しかない」
ハルヒコ:「ひどいな! 僕だってやるときはやるよ!」
ソラ :「やるときはやるのがハルのいいところ。やるときしかやらないのが、ハルの悪いところなのよね」
ハルヒコ:「どういう意味さ!?」
ソ・セ :「そのまんまの意味だ」
次回、『掃除場所はダンジョンにある!』
アマネ :「ハァハァ、いいビデオ用意しなきゃ……」
ソラ :「ああ、アマネがまた遠くに……」