第二話 学園はダンジョンにある!
そこは、人類の生活圏がダンジョンにある世界。
生活の基盤がダンジョンにあるという意味ではない。人類の居住区が丸ごとダンジョンの中にあるのだ。つまり老若男女、生まれてから死ぬまでずっとダンジョンの中。学校も職場も、結婚式場から観光地まですべてダンジョンの中にある。
いつごろから人類がこのダンジョンの中で暮らし始めたのか、どうしてそんなことになってしまったのかは分からない。
そもそも人類をはじめとする、ありとあらゆる生き物はダンジョンの中で誕生しダンジョンの中で滅びていくという閉鎖空間輪廻説まである。このレンガや石、その他鉱物の壁面でおおわれたダンジョンの中こそが生命のゆりかごだというのだ。
それが嘘にせよ本当にせよ、人はダンジョンの中で生きていかねばならない。
なぜならこのダンジョンは脱出不可能なのだから。
その昔、人々は地上を夢見て天井を掘った。『地表』を目指してひたすら掘った。しかしいくら天井を削り取り、穴をうがとうともその幻想はいつまでたっても人々の眼前に姿をあらわさなかった。
だから人々はやがて地下に目を向けた。上へ掘っても無駄なら、まだ見ぬ地下に新天地を見つけようというのだ。だいたい人類が最初に居住区とした第一階層が地下一階なのか、それともはるか天空に続く塔の天辺にある一階なのかわからないのだから。
人類は求めた。人類の記憶に残っているものを。まばゆいばかりの『太陽』を。大地をうるおす恵みの『雨』を。視界の限りどこまでも広がる『海』を。『風』が、『夜』が、『星』が、『四季』が。それら失われしものの声を求めて潜った。
それゆえこの世界におけるダンジョン探索は人類の総意であった。人が人らしく生きていくために必要ななにかだった。冒険こそが人生で、人生とはすなわち冒険であった。
全人類が、生まれながらにして冒険者であった。ダンジョン探索者であった。
しかし赤子が剣を握り、魔法や知識を頼りにモンスターが闊歩する険しいダンジョンを踏破できるかといえば、そんなわけはない。
だから、その学園はダンジョンにあった。
生まれながらにしてダンジョン探索者であること運命づけられた人類のため、その学園はダンジョンにあった。
◆ ◆ ◆
――聖櫃歴1089年 5月上旬。
――ヒノモトブロック。
――サガミエリア。
――相模学園・高等部一年。F組教室。
「はい、では今日も朝のHRをはじめましょう!」
私、館山弓は教壇に立ち、出席簿を片手に元気よく宣言した。
背筋をピンと伸ばし胸を張り、極力凛々しい表情で。でも聖母のような微笑みもまじえて、決して怖い先生じゃないのよ、むしろ気軽に悩みごとを相談してねオーラをにじませつつ。でもでも総合的にはちょっとおっちょこちょいだけど頼れる先生感を出して。うん、そんな感じよ、ユミ。
私はばっちり理想の教師らしく振舞った。
「あー……おほん」
なのに、騒がしい。
私は大きめの声で呼びかけたつもりだったが、どうやら教室の生徒の大半には聞こえなかったらしい。そもそも担任の私が教室に入ってきたことにさえ気づいているのやら。
自分ではとっても似合っていると思う三つ編みが胸の前で揺れる。
(大丈夫。大丈夫よ、ユミ……いつものことじゃない)
私は一度深呼吸してから、あらためて自分が担任しているクラスを見渡した。
ひと言でいうならば、混沌。カオス。ケイオス。
何度見てもこの光景には慣れない。教師生活数年だが、ここまでひどいクラスははじめてだ。
(というか、こんなクラス他にあってたまりますか!)
私は心の中で叫んだ。
だって、机に突っ伏して寝ているだけならまだしも、机と机の間で上半身裸になって筋トレしている生徒や、机の上の木板で火おこししている生徒。化粧して丁寧にネイルまで塗っている子なんてまだマシ。せっせと造花づくりの内職――比喩ではない――をしている生徒や、教室の後ろで堂々と鍛冶――こちらもやはり比喩ではない――をしている生徒。
いつものこととはいえ、この惨状には担任として溜息しかでない。
このクラスの担任になってから一か月。そりゃ私だって改善しようと思った。けれどどうにもならなかった。レベルが違いすぎるのよ。
だってこのF組が、他の教室、学園全体からなんて呼ばれてるか分かるかしら。
――クズのたまり場。馬鹿の集まり。落第者の教室。ゴブリンの巣窟、etc.……etc.……。
つまり高等部への入学テストで成績が底辺だった者が集められている特殊教室なんだもん。
学園の中でも飛び切りの問題児ぞろい。そんなクラスの担任だなんて、完全に貧乏くじよ。
そういえばクラスの子たちと初顔合わせする前に、学園長から呼び出しがあったわね。
『教室から出るときは、決してやつらに背中を見せるなよ。刺されるぞ! 冗談じゃねーからな!』
そんなクラスの担当させないでよ。校長から、なにか嫌われることした私。
「はぁ、頭痛い」
あとで保健室にいって頭痛薬をもらってこよっと。
それはそうと、いまは自分の仕事をしなくては。
私は出席簿に書かれた名前を読みあげる。
「じゃあ……赤威セイジくん」
「おう!」
教室の中央あたりで、上半身裸で髪の毛をカチカチに固めてリーゼントにした男子が起立して返事をした。彼は腕を組んで堂々とした態度で私を見た。
私は苦笑いを浮かべながら、いつもの問いかけをする。
「あの、えっと……あなたは赤威くんじゃないわよね?」
「おう! 俺は柿谷大地だ、赤威のくそ野郎なんかじゃねえ!」
やはり彼は腕を組んだまま元気よく答えた。
私は頭を抱えた。
(もういや! この教室、いやっ!)
私は自分でもわかるほど引きつった笑みで、間違えて起立した男子に問いかけた。
「どうして、赤威くんの代わりに返事しちゃったのかな、柿谷くん……?」
「赤威の野郎に負けるのは俺のプライドが許さねえ! 出席でも俺が一番だ!」
「アホ……出席に負けも勝ちもあるか」
なぜか出席しているのに代返された赤威くん本人が答える。
ナイス、さすがだわ赤威くん。クラスの良心その1ね。先生内申点あげちゃう。
「なんだと、赤威! もいっぺん言ってみろ!」
「何度でも言ってやるよ。お前はアホだ、柿谷。アホアホマンだ」
「それはつまり……俺はアホの一位ってことか!?」
「あー……一位だ、お前はアホの王様だ」
「――なーらっ、よし!!!」
「…………」
「か、柿谷くんと赤威くん出席と」
うん、あきらめよ。ユミ、難しいことわかんない。考えるのやーめた。
私はもはや思考を捨て、一台の出席マシーンになることを心に硬く誓った。
「碧山ソラさん」
「はいっ」
「御納戸秋さん」
「ちぃっす……あ、爪割れた……」
「木村凪くん」
「館山先生って何カップなんすか!?」
無視よ、無視。
スムーズに返事してくれた人のチェックさえすれば、この地獄のようなHRが終わるんだから。
「鉄真くん……鉄マコトくん? くろがね……」
「もっと硬くなれよ……」
「へ?」
そのとき教室の後ろから金属を叩く、硬質な音が響いてきた。
――トン、チン、カン……トン、チン、カン!
どこか静謐で、それでいて誰の耳にも届くような甲高い音。
鍛冶の音だ、金属をハンマーで殴打する音が聞こえる。
そんな鍛冶音に紛れて。
「もっと硬くなれよぉぉおおお! あきらめんなよ、お前! いけるいける、お前ならいける!」
いや紛れずに、自己主張激しく響く罵声。
――トントン、カン、トンッ、カンカンッ!
「お前ならダマスカス鋼も越えられる、もっと硬くなれよおおぉぉぉぉぉっ!!!」
「鉄くーん」
「しゃあああ、なろおおおぉっ! こんにゃろおおおッ! だあああああ、駄目だ! もうお前駄目だこんなもーん!! 失敗作じゃあああああぁぁぁ、どぅりゃあああああああ!!」
――パリーン!
「はあーっ、はあー……」
「鉄くん、教室の後ろで鍛冶することについてはもう先生止める気がありません。だからせめて、気に入らない成果物を教室の窓から投げ捨てるのだけはやめてください。この前、教頭先生に被害が出ました」
「はぁ……! はぁ……! む、館山先生! おはようございます!」
手足がスラっと長く、モデル体型の黒縁メガネくんがいまはじめて私に気がついたかのように挨拶してくる。
いや本当に、いま気づいたんでしょうね。
鉄マコトくん。製造クラス、特に鍛冶師を極める男の子だ。普段は穏やかでいい子なんだけど。そう、普段は。
「はああ、窓が割れてる! いったい誰がこんなことを……!?」
鉄くんはかけた黒縁メガネのブリッジを押さえてクイクイしながら、真剣な表情で驚いていました。
先生はその驚きが、驚きです。
自分の世界に入ると周りが見えなくなっちゃうタイプの子なのよねえ。
「もういいです……次、佐倉坂アマネさん」
「はいっ」
「いい返事ですね。佐倉坂さんの返事を聞くと、先生ほっとします」
「……?」
このF組で唯一といっていい優等生の佐倉坂さんが不思議そうな顔でこちらを見つめてくる。
いいのよ、あなたはそのままでいて。
(というかどうして、佐倉坂さんみたいな人がF組にいるのかしら? 成績優秀者(A組)でもおかしくないのに……)
まあいいわ。
彼女はこのクラスで唯一の心の癒し。あなたはそれだけで十分なのよ、佐倉坂さん。
「えっと次は……なんだ、西村くんか」
「はい! ……なんだってなんですか、館山先生?」
「いえ、他意はないのよ。西村ハルヒコくん、出席」
その後の出席はあまりまごつくことなく、順調に進んだ。なにかあっても私が意識の外に追いやっていたといったほうが正解だったかもしれないけれど。
けれど後半も後半の名簿、ここでアクシデント発生。
「藤村恵梨香さん……」
「イッッッツ、ワンダホォォォ―――!」
「ひぃっ!?」
急に女生徒が立ちあがって私に向かって拍手する。
感嘆の大声をあげた彼女は修道服を身にまといながら、早口に感情を込めて私にいう。
「どうしたんですか、先生? ワタクシ、褒めているのですよ。この出席確認という行事、実に、実に実に素晴らしいですわ! 生徒それぞれの席を見ているかいないかを確かめればすぐに確認できることを、わざわざ名前を呼び確認する! この建設性の欠片もなく、なんの意味があるのかさえ分からない、ただ時間を浪費するためだけにある一時! 破滅的、破壊的なまでの無意味な行為! ああ、毎朝おこなわれるこの神聖な時間こそが最近のワタクシの楽しみですわ!」
「え……えっとものすごくけなされている?」
「けなしている!? とんでもない、ワタクシ心の底から褒めているのですよ、先生!」
――バコン!
「はひっ!」
修道服の彼女はいつの間にか立ちあがり、手に握ったメイスで自分の机を真っ二つにしながら、涙を流す。
教師であり担任である私が、生徒に向かってこんなこというのもなんだけど。
正直、怖い。
(背中から刺されることはないけど、今度からヘルメットくらいつけてこようかしら)
「いいですか、ワタクシが敬愛し崇拝する破壊と破滅の神ケェレフ様もとてもお喜びになっております……我が神が愛するは破壊、破滅、退廃! 無駄、無為、無理!」
「あ、あの、そう……それはよかったわね」
「ええ、こちらこそ、ごちそうさまです」
なにがごちそうさまなのかわからないけれど、お互いにこやかにそのまま次の点呼に移れるかと思った。
その刹那――私の放った次の言葉がまずかったようで。
「ところで藤村さん、壊した机はあとで直しておいてね」
「なっ……!? な、直せ……うっ!」
「どうしたの、藤村さん!?」
急に床に伏せる修道服の女子。その顔面は蒼白で、視線が千々(ちぢ)に乱れ尋常ではない様子だった。
教室がざわつく。
えー、私なにかやらかした。
「『直す』ですって……そんな、そんななんて……建設的な行為……うっ、想像するだけでワタクシ吐き気が……!」
「せんせー、藤村さんは破壊神を信仰してるんですから物を直すとか、建築、創造という言葉に気をつけてください」
ショックをうける藤村さんの代わりに、別の生徒に忠告される。
なにこれ私が悪いわけ。どうして、もうなにがなんだか。
そもそも、なんで。どうして。
「どうしてそんな人が神聖術法者なんてクラスを履修してるのよ……もう先生、わからない!」
あまり深く考えても答えなんて出ないわよね。気を取り直して出席の続きよ、ユミ。
「ます……」
「先生!」
「ひっ、今度はなんですかー!?」
私が名簿を読み上げる前に生徒のほうから呼びかけられる。
立ちあがったのは浅黒の肌に、頬に幾本もの白化粧をし、頭のヘアバンドにカラフルな羽根をつけ、両肩に三つ編みをたらした独特のファッションの女の子。
「いつも言ってるでしょ、ワタシの魂の名前は『欲深き鷹と踊る風』!」
「よ、欲深き……?」
「ワタシの名は、欲深き鷹と踊る風! オクラホマ州出身のアーカム族が鷹の戦士! 何度言えば分かるんですか!」
「うるさいぞ、増田明美」
「ちょぉぉぉ、その名で呼ぶなといってるでしょ!? 誰よ、ワタシを汚れた名前で呼ぶ不届き者は!?」
「不届き者はお前だ、増田アケミ。私の眠りを邪魔しおって、うるさい。おかげで眠れんだろうが……」
欲深き鷹と踊る増田アケミさんの後ろからむくりと起き上がったのはたしか黄泉冬子さんだ。いままで机に突っ伏して、寝息ひとつ立てずに眠っていたロングストレートの女子だ。
寝起きなのかそれとも元々か、目つきがとても悪い。
「二度も、二度もワタシをその名でぇー! ワタシのことはいつも魂の名前で呼べっていってるでしょ、フユコ!」
「だからうるさい。黙れ、ますみ」
「略すな―――!!?」
よし。全員出席、と。
私はぱたんと出席簿を閉じ、いまだ騒がしい教室から逃げ出すためそそくさと教室前の扉から廊下へ出た。そして教室の中に顔だけ出して、満面の笑顔でいった。
「それじゃあ、これで朝のHRは終了です! あ! 伝え忘れてたけど、今日はうちのクラスが午後からダンジョン大掃除の番だからねー!」
一瞬教室の空気がよどみ、完全制止する。そして、すぐに爆発した。
『それを早く言えええええええええっ!!!』
「てへぺろ、ゆみよく分かんな~い…じゃあ準備よろしくねー」
私は駆け足で職員室へ戻った。
私は過去を振り返らない女、館山ユミ。
だって振り返ったら、怖いんだもん♪
※二話は終わりです。明日はまたショートを挟んで、このまま三話に続きます。