桜の下で会いましょう
ひとひらひとひら、薄いピンク色の花びらが、空を舞っていた。
ちらちらと踊るようにして、遠くへと飛んでいく。
ぼくがいるのは、川に架けられた橋の上。
川の両脇に植えられた桜の木はずっと遠くまで続いており、どの木も惜しげもなく満開の花を咲かせていた。その下を行き来する人々は、それを見あげながら、歓声をあげている。
橋の下を見れば、川面にはたくさんの花筏が浮かんでいて、まるで桜色の川のようだった。
春の暖かな晴れの日だった。
青い空の下、桜は美しく映えていた。
「綺麗だな」
そうつぶやいた。
そして、そんなことをつぶやいた自分に驚く。
いつになく情緒的だ。恥ずかしげもなくそんな台詞を言うなんて。
けれど、それ以外に言う言葉なんて見つからない。
ただただ桜は美しい。
そんな美しい花は、春の訪れとともにやってきて、すぐに儚く散っていく。
日本人は、そんな桜が大好きだ。
そこに理由なんてない。
きっとそれは、遺伝子に刻み込まれた生まれ持ってのものなのだ。
ぼくはそんな美しい桜を愛でながら、そこである人物が来るのを待っていた。
約束をしたのは去年の春。
偶然街で出会った彼女と意気投合し、一緒に花見をした。
中学時代の同級生だった。
そのころはお互い恋愛感情などというものもなく、ただ仲の良いクラスメートとしてつきあっていた。
去年の春に偶然再会した彼女は、学生のころよりも女っぽく美しくなっていて、とても驚いた。と同時に、彼女に対し、ドキドキと自分の胸が高鳴るのを感じていた。
彼女はそのとき、つきあっていた彼氏と喧嘩したという話をぼくにしてきた。
そして、気晴らしに桜を見にやってきたのだと言った。
一人で家にいると、悶々としてしまうからと。
それを聞いたぼくは、とても複雑な気持ちになった。
励ますとか、慰めるとか、なにか言うべき言葉があったはずなのに、ぼくはそれに対してなにも言葉をかけることができなかった。
なぜなら、心に浮かんでいたことはそれとは正反対のことだったからだ。
そんな彼氏となんて、やり直さなくていい。
そのまま喧嘩別れをしてしまえばいい。
そんな酷いことを思っている自分が嫌だった。
彼女の幸せを願えないような、小さな自分がたまらなく卑屈に思えた。
けれど、彼女は笑っていた。
桜を見て、綺麗ねって言っていた。
それを見て、ぼくもうなずいたことを覚えている。
それが去年の今日のことだ。
彼女とは、その日以来会ってはいない。
彼氏とその後どうなったかはわからない。
ただひとつだけ、ぼくたちはある約束をしていた。
――次の年の今日、もしお互いに独り身だったら、またここで会いましょう。その日が晴れて桜が満開だったら、そこでまた一緒にお花見をしましょう。
ぼくはその約束を果たすために、今日ここに来ている。
けれど、彼女がここに来るかどうかはわからない。
いや、きっと来ないだろう。
きっと彼女はあれから彼氏とよりを戻したはずだ。
きっと彼女のあの言葉は、気まぐれで言った言葉にすぎない。ぼくを少しだけからかってみただけなのだ。
けれど、それでもわずかな望みが捨てきれなくて、ぼくはここで彼女を待っている。
儚く散りゆく白い淡雪のような花びらを、ただひたすらにながめて待っている。
きっときみは来ないだろう。
そんな夢みたいなこと、起きるわけがない。
ぼくはただ、儚く美しい桜の夢を見ているだけだ。
そんな夢は、ちらちらとどこか彼方へと飛んでいって、消えてしまうものなのだ。
現に、もうここで、ぼくはだいぶ待っていた。
一年も前の気まぐれな口約束。
忘れていたとしても仕方のないようなもの。
そして、あれから彼女が独り身でいたと考えるほうが馬鹿げたことなのだ。
ぼくはもたれていた橋の欄干から、ようやく身を起こし、そこから離れた。
――帰ろう。
彼女は来なかったのだ。
それが答え。
あきらめなければいけない。
桜並木の下は、たくさんの桜吹雪が舞っていた。
ふわりと吹く春の風に、ぼくは軽く目を細めていた。
ふいに風がやんだ。
と同時に、ぼくは視線をあげて遠くを見つめた。
ぼくは、はっと息を飲む。
遠く桜に煙る景色の中に、その人がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。
――桜の下で会いましょう。
去年の今日、きみはぼくにそう言った。
FIN
2015年のELEMENT春号に寄稿していた作品をちょっと手直ししたので、マイページにもアップしてみました。本当はあちらも直したいところ……。いろいろ間違いを発見して恥ずかしいです。
イメージソングはいきものがかりの「SAKURA」なんですが、山下達郎の世界だという話も(笑)
季節感をはずさないようにこの季節に投稿しました。