3.袁仁威の告白
具体的には語られないが、珪己はそれでも藁をもすがる思いで話を促した。ちらりと珪己を見やり、仁威は己の内から選んだ言葉をつないでいった。
「あの時の俺はまだ若かった。武官となったとき、俺は自分が世間に認められるべき存在となり得たのだと過信してしまったんだ。まあ、それはただの慢心であったのだが……」
とつとつと、話が続けられる。
「……ある事件が起こった。俺はそれに気づいた時、何もしなかった。自分には無関係なことだと思ったからだ。すぐにそれが間違いであることは分かった。だからがむしゃらに動いた。そして、『動いたこと』がまた間違いであったと即座に分かった。自分の心と体、正義や義務、何が正しくて何をすべきかが、それから全く分からなくなってしまった。
それに……俺はその時初めて殺しの現場に立ち会った。道場の稽古では知り得ない『殺気』、それがどういうものかを身を以て体験したんだ。武芸とは、つまるところ人を殺すことを目的とする手段なのだと、はっきりと悟った。それまで俺は分かっていなかったんだ。人を殺すということの本当の意味を」
静かに語られる言葉の一つ一つが、今の珪己にはしみいるようであった。
(……そう。そうなのよ!)
武官であれば、人を殺すことには必ず理由がある。その理由が正しいかどうかはともかく明確に理由がある。しかし殺す側はからくり人形ではない。心を有する人間なのだ。また、殺される側も自分と同じ人間であり、その肉体を傷つければ血が吹き出す存在なのである。
同じ人間同士が殺し合うということ、殺そうと向かい合うことは、なんと恐ろしい行為だろう――。
「それで……袁隊長はどうやってそれを克服されたのですか?」
仁威の唇がぐっと引き締められた。
(……もう言ってもいいか)
最初から何も考えさせずに正解を教えることは最も容易な指導方法だ。部下はそれで分かった気になるし、下手に苦しむこともなくなり次の段階へと進んでいける。上司である自分もこれ以上この問題で部下に振り回されなくてよい。
しかしそれでは部下はいつまでも自立できない。
自分自身で傷つき、もがきながらも答えを見つけること。その過程にこそ意味があるのだ。自分自身の力とするためにも、得た答えに自らが責任を持つためにも。
しかもこの問題には正解がいくつもある。そして、答えを得たと思って進んでも、また道半ばで再度同じことを問われるときが必ずやってくるのだ。本当に人を殺していいのか……と。
その時、この問いにまた立ち向かうための基盤として、自分の頭で考えてきた履歴が必要なのだ。その身の内に他人から与えられた答えしかないようでは、いつか壁を乗り越えられないときがくる。それはつまるところ武官を辞することを意味する。
部下がその職を辞するまで武官であり続けられるようにすることも上司の任である、そう仁威は思っている。
だが今、珪己に対しては己の考えを開示すべきだと仁威は判断した。
それでもためらいがちにその口は開かれる。なぜなら――。
「正直に言うと……俺もまだ完全に乗り越えられたわけではない」
「……え?!」
「そんなに驚かなくてもいいだろう」
これでもかというくらいに目を丸くして凝視してくる珪己に、仁威は眉をひそめた。
「俺だって人間なんだ。同じ人を傷つけ、そして殺すことに少しのためらいもないわけではない。それを失くしたら俺は人ではなくなる」
達人の域にある仁威ですら、まだ道半ばにいるということだ。
「だがな……この世にとって、そして自分にとって、何が最も重要なことであるのか、俺はだんだん分かってきている。……と、思う」
断言していいものか若干迷い、仁威は語尾にそう付け加えた。