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2.心を開く必要はない

 心に一物を抱えたような珪己の表情は、その時、仁威の心にほんの少しの隙間風を届けた。


(……なぜだろう。俺には触れられない何かがあるような気がする)


 家族や恋人でもないのに、誰にでも全てをあけっぴろげにするような者など普通はいない。つまり、仁威と珪己、この二人は上司と部下という関係である限り、心のどこか一部を閉じていることこそ普通なのだ。心のすべてを開くことなど、この二人の関係上ありえない。


 そのくらいのことは隊長職を拝する仁威には十分分かっているし、だからどの部下とも適度に距離を保ってきたつもりだ。近すぎない、けれど遠すぎない距離が、上司と部下の間には絶対に必要だと思っている。


 なのだが……先日珪己から感じた『心を開いてもらえた』という喜びが心の奥底に残り火のように存在していることを、今、仁威は認めざるを得なかった。しかしこの認識は彼自身によって即座に切って捨てられた。


(……あほらしい。こいつが俺に心をすべて開く必要などないというのに)

(第一、俺のほうは決してこいつにすべてをさらけ出すことなどできないのだから)

(俺達は上司と部下、それだけの関係でしかない。……そのほうがいい)


 嫌われるよりも、よほどいい。


 八年前の楊武襲撃事変のことを珪己に話すつもりは、仁威にはさらさらない。馬鹿正直に語り己を懺悔してみせるのはただの自己満足にしかならないからだ。


 仁威には分かっている。自分や侑生がこの事変に罪悪感を抱いているからといって、珪己にとっての二人とは、事変には何ら関わりがない部外者なのだということを。実際、二人があのときどう動いていようと、楊家での大虐殺を止めることは絶対にできなかった。すでに時は遅かった。


 正確に突き詰めれば、このような仁威の考え方にも看破される部分はある。だが今の仁威はそう考えている。そう考えなくては、今でもこうやって近衛軍で勤めていられるわけがない。


 しかし珪己と、上司と部下としてではなく、一対一の人間として向き合うとなれば――友としてでも恋人としてでも――自分と珪己、二人にとって重大な過去である八年前の事変について隠し通せなくなると仁威は思っていた。それを隠せば、今ここにいる自分自身を説明できないからだ。


 それは珪己のほうでも同じはずで、二人の仲が深まれば、確実に少女のほうから事変の話が持ち上がる時がくるだろう。そのとき、仁威には未関与なふりをして話を受け流すことなど決してできない。であれば珪己との間には浅い友情ですら望んではならないのだ。


 ――であれば、珪己が望むとおり、自分は最良の上司としてあり続けるべきなのだ。


 思案する仁威の表情に、彼に背を向けていた珪己は気づけなかった。ただ、先ほどちらりと見た仁威の笑みに、自分がどれだけこの上司を心配させていたかを察し、さらに申し訳なく頭を垂れるだけであった。


(……あ、でも。今なら訊けるかも)


 珪己は同じ武芸者である仁威に前から訊いてみたいことがあった。こうやって久方ぶりに仁威と打ち解ければ、やはり珪己にとっての仁威とはもっとも頼れる上司なのである。


えん隊長」


 問うような声音に、仁威は思考を現実の部下へと戻した。


「何だ」

「袁隊長も……これまで武芸を辞めたいと思ったことはあるのですか?」


 ――私のように。


 武芸者であれば誰もが通る道だ。そう仁威は言った。


 であれば、武芸者であり近衛軍最強の第一隊隊長を務める仁威がこの道を通っていないはずがない。


 いつの間にか、仁威を見つめる珪己の瞳は凛としていた。凛と真っ直ぐに仁威に向けられていた。その光の強さに仁威は虚をつかれたが、今の珪己に対してこの課題については嘘をつくべきではないと即座に感じた。


 なので「ある」と答えた。


「そ、それはどういったことがあったからですか?」


 気色ばむその表情には悪意ある好奇心は見当たらない。ただ純粋に、自身の現状を完全に打破するための糸口を掴もうと望んでいるだけだ。


 一瞬、仁威は口を閉じた。その珍しく口ごもる仕草に、珪己の眉がひそめられた。それを見てとり、仁威は口を開いた。内心、意を決して。


「……己の力を過信したとき、だ。やるべきことを見誤り、大きな過失を犯したことがある」

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