5.突然の一騎打ち
近衛軍将軍・郭駿来の悩みはいつまでたっても解消されない。それどころかさらに深刻になってきている。武殿の中央、武官の稽古場に来てみれば、その劇的な変化は彼の目には一目瞭然であった。
ようやく先日第一隊の空気が改善されたばかりであったというのに、今日になってなぜかさらに悪化しているとはどういうことか。どうしてこれ以上悪くなりようがあるのか。そして原因はまたも隊長である袁仁威にあった。
大勢の部下を指揮する仁威の全身からは、稽古中であるというのに隠し切れない殺気が漂っている。殺気とはその名の通り、相手を殺す気でいるときに生じさせるものだ。
殺人という行為の重みを、経験数が多いからこそ、この男はよく知っているはずなのだ。だからこそ隊長を任せていられる。なのに今、そのどす黒い気がこの男の体から延々と尽きることなく垂れ流されている。
殺戮の場を経験したことのある者はもとより、経験したことのない若い者まで、この隊長の漂わせる雰囲気の奇天烈さにやられていた。誰もが殺伐とした表情、動きを見せているし、周囲の別の隊の者までもが感化されておかしくなりかけている。
もはや見守ることにも限界にあった。
老人と呼ぶほうが近いその体で、駿来は腰に佩いた長剣を抜くやいなや、一直線に仁威に駆けた。その体に仁威の比ではない殺気をまとって。
一陣の風のごとき素早さで駆け寄ってくる近衛軍将軍の鬼の形相、そして手に持つ抜き身の長剣に、気づいた男達から「ひいいっ」と声があがった。
だがそれよりも早く。
駿来に背を向けていた仁威がぱっと振り向いた。
その形相もまた、駿来に引けを取らないほどに鬼気迫ったものだ。目はつり上がり赤く充血し、ぎりりと歯を噛み締める音が聞こえそうなほどである。しかも振り向きざま、ためらいなく腰の剣を抜いたではないか。
上司と部下であるこの二人が己が命を懸けた戦いを引き起こそうとしている場面になど、当然誰も立ち会ったことはない。しかし実際、目の前に今、まさにその激突が起きようとしていた。
なぜ突然この場でこの二人が刃を交えようとしているのか――それは誰にも分からない。
二人の全身を包む殺気がこれ以上にないほどに膨らんでいく。その気に押され、誰もがその場に注目し、しかし動くことも言葉を発することもできずにいる。一つ間違えれば自分の命を危うくするかもしれないほどの、第三者の立ち入りをゆるさない闘いが始まろうとしているのだ。二人の気が押し合うさまは目視できなくても明らかだった。
(ここで本当に斬り合うというのか……?)
ここは宮城内、そして今は稽古の時間だ。普段は牧歌的な雰囲気すら漂うこの場が、なぜ今戦場と化す必要があるのか。それは誰にも分からない。が、もはやその事実は誰にも否定できないものとなっている。二人の剣気が、殺気が、その確実に起こる未来を予言していた。
だが二人の剣がまさに触れ合おうとしたその瞬間――。
駿来の殺気がふっとかき消えた。
まるで幻でも見ていたかのように、それは本当に突然のことであった。
拮抗していた一方の気が消えたことで、気のやり場を失い、仁威の動きがわずかに乱れた。そしていつの間にか目の前にいるその相手の顔をようやく眺め――それが自身の上司、駿来であることに合点がいったところで。
「ぐうっ……!」
仁威は腹に強烈な一撃をくらっていた。
予測不可能なうちに呼吸が遮断され、にぶい痛みが腹の中で踊り――耐え切ることもできず、仁威は無様に意識を手放した。そしてその場に崩れ落ちた。
それは見事な拳であった。
後にその場にいた男達はそう語り継ぐ。
最強を自負する第一隊の隊長は、さらなる強者によって一撃の内に葬られたのである。




