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9.皇帝をうらやむ

 それから二人は椅子に座り直して話をした。はじめはおずおずと、けれど次第に珪己はこの皇帝の前でも元の快活さを取り戻していった。


 英龍の言葉には何一つ嘘はなかった。出会ったときの印象のまま、英龍は誠実で真摯な青年だったのである。それは英龍の瞳を、表情を見れば分かった。声音やちょっとした動作からもそれは分かった。


 珪己が保有するこの国の常識は、そんな青年像に何度も抵抗した。それを受け入れることすなわち、死に至る危険を抱えるのと同義だからだ。


 保身したい側にとってもっとも簡単なこと、それは相手を一段高い位置において接することで、そしてもっとも危険なこととは、相手が同じ人間であると認めることだ。同じ人間だと思えば必ず相手に感情を持ってしまう。気が緩み、好き嫌いが生じ、愛憎が湧く。


 それらの感情のいずれかが自身の命を損なうとしたら――?


 未遂ではあるものの、それはまさに珪己がわが身で体験したばかりのことだった。そのときの恐れがいつになく珪己を臆病にした。が、やはりそれは当然のこと。このような状況下で臆病にならない者のほうが奇怪だろう。


 ただ、この青年は非常に忍耐強かった。そして己が発言どおりのことを望んでいることをあらわにした。勘違いやうぬぼれなどではなく、本心からの望みとしか珪己が思えなくなるまで。


 そのような望みをこれほどまでに純粋かつ強く向けられたことは珪己はなかった。……であればどうして無下になどできようか。確かに、否定することで皇帝の怒りを買う恐れはある。だがそれ以上に、珪己はこの青年の心に応えたいと思ったのである。


 気づけば、二人の間には何の壁もなくなっていた。面白いくらいに会話がはずみ、苦も無く続けられていった。剣による立会いのさ中、まれに自分と相手の動きが不思議と同調してしまい、いつまでたっても決着がつかない場合があるが、それに近い奇妙な興奮をお互いが感じ始めていた。生まれも育ちも、年も性別も、その立ち位置もまったく異なる二人だが、確かに共通する何かがお互いの間にあった。


 そして話はいつしか武芸に関するものへと移行していった。


「そなたは武芸は誰に習ったのだ」

てい師匠です。街によくある道場の先生なんですけど」

「ほお。しかしその者、腕は確かなようだな」


 わずかに片眉をあげた英龍に珪己はあわてて否定した。


「いえいえ。師匠はものすごいものぐさで、最近は全然稽古もつけてくれないし、そんなすごい人なんかじゃありませんから」

「そうか? 先ほどのそなたの腕前からしてその者は相当の強者だと思うぞ」

「……そうでしょうか?」


 師匠であるてい古亥こがいが元近衛軍将軍であったことを珪己は知らない。稽古においても、実は古亥は己の実力を隠して――つまり手を抜いているのだが、それも珪己は知る由もない。


 しかし珪己には一つ思い当たることがあった。そう、なぜ自分が英龍に対して攻撃をしかけることができたのか、この一点についてはよく分かっていたのである。


「最近、近衛軍第一隊の隊長に稽古をつけてもらっているからだと思います」

「なるほど、袁だな」


 英龍は公の場でそれなりに仁威と行動を共にしているから、仁威の人となりもある程度は理解している。仁威は皇族の警護にあたる第一隊の隊長だから、それも当然だ。


「あの者は年若いのに相当の強者だ。余も一度袁と手合せしてみたいものだよ」


 聞けば、英龍の武芸の師匠は近衛軍将軍であるかく駿来しゅんらいであるという。駿来が将軍となる以前から、そして英龍が物心ついたときから、二人は師匠と弟子の関係なのだそうだ。そして駿来からたびたび仁威の話は聞いているという。


「郭将軍……! うわあ、陛下がうらやましいです!」


 きらきらと目を輝かせる珪己に、英龍が不思議そうに尋ねた。


「うらやましい? 余がか?」

「はい! だって、あの有名な郭将軍の手ほどきを受けられているのですよね? 私も郭将軍に教わってみたいです」

「そうか」

「あ、でも、袁隊長もすごくいい隊長なんですよ?」

「うむ。そうだな」

「でもでも! 憧れの猛将と一度でもって思うのは、武芸者としては当然というか」


 少しはにかんだ珪己に、英龍は静かにほほ笑んだ。


「……そうか。うらやましいか。では今度、余の稽古にそなたを招こうではないか」

「ええっ! いいんですか? お邪魔になりませんか?」

「邪魔になどなるか。いつもあの強面と二人でいい加減飽き飽きしていたところだ。三人で稽古をすればまた違った発見もあろう。余にとってもそなたにとっても良いことづくめではないか」

「ありがとうございます!」


 勢いよく頭を下げた珪己に、


「だから頭を下げるではないと言っただろう」


 英龍が苦笑すると、珪己はややすました顔で答えた。


「これはいいんです。お礼をするときには頭を下げるものなんです」

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