8.二人の枢密院事のさらなる考察
珪己は二人と別れもうしばらく甲板にとどまり、武芸者の目をもって調査を続けた。特に気になるようなところはなかったが、船内の構造等、できる範囲でその頭に詰め込んでいく。今回得た情報が役に立つときが来る可能性は低そうだな、と内心では思ってはいたが、仕事とはそういうものなのかもしれない。下っ端の自分は命じられたとおり動くのみだ。
それから祥歌の元へと戻ると、礼部の官吏も枢密院の官吏も、皆すでに集合していた。思った以上に時間がかかっていたようで、小走りで近寄った。
「馬侍郎様、お待たせしました!」
「いえ、大丈夫です。それでは宮城へと戻りましょうか。戻り次第、知見をまとめて提出してくださいね。では枢密院の方々ともここでお別れします。ごきげんよう」
祥歌は事務的な笑みを枢密院の三人に向けると、先んじて船から降りていった。その後をまた籐固がぺこぺこと頭を下げてついていき、さらに部下が小走りについていく。宮城での出立前の光景が再現されるかのようだった。
最後尾の珪己は枢密院の官吏の前を通るとき、ちらりと侑生のほうを見た。が、小さく会釈をしてそのまま去っていった。
侑生はといえば、遠ざかる珪己をまたも何も言えずに見送るしかなかった。それでも背後に立つ隼平の分かりやすい動きくらいは察せられ、腕を組み顔だけを向けてじろりとにらんだ。
「……呉枢密院事。なぜ彼女に近づいた」
隼平は胸の前で小さく珪己に手を振りながら、にやりとした視線を侑生に投げた。
「さっきたまたま偶然。な?」
「ええ。たまたま偶然です」
きりりと答える良季にも一遍の嘘もないようである。
侑生は大きくため息をつくしかなかった。
「いいか。手は出すなよ」
その命令に二人の部下が心底驚いたかのように大げさに目をむいた。
「手を出すだなんてとんでもない。楊枢密使の娘御にそのような恐れ多いこと」
「それに他の男のことで胸中をはちきれんばかりに膨らまらせている少女に対して、応援こそすれその道を妨害するようなことなどできませんよ」
嘘くさい彼らの所作、けれど侑生はその発言のほうに驚かされた。
「他の男? 珪己殿は何か言っていたのか」
とたんに隼平のみならず良季の顔までもがにやりと歪んだ。あっと息を飲み、侑生はぐっと唇をかんだ。これ以上からかわれたくはないし真実を暴露したくもない。
侑生の矜持ゆえの態度は兄のような二人にとってはかわいく映り――そして全ての情報のつじつまが合った。
(なるほど。つまり彼女は今、どこかの男に遊ばれてしまっているんだろう。そんな彼女に侑生は恋してしまっているというわけか。噂の恋人である女官というのも楊珪己だと考えた方が自然だ。……実際は相思相愛ではなかったというだけで。楊家であれば女官となる資格は十分にあるしな。……艶だとか品位だとか、いわゆる女官らしさには欠ける少女ではあるが。……それにしてもあの楊枢密使の娘御に恋するなど、侑生もなかなか度胸のあるやつだな。まあ、それはともかく)
ぐわしっと隼平が侑生の頭をなでた。
「いやあ。お兄さんはうれしいよ」
愛を利用するだけの、楊玄徳のためだけに生きるような男であったのに。
「おい、いきなりなんだ! それに外でこのようなことをするのはやめろ!」
「はは、すみませんね。では李副使、我らも宮城へと戻りましょう」
すたすたと歩きだす隼平に、侑生は追いかけながら、
「だからなんと言っていたのかだけは教えろ!」
と、何度も迫ったが、隼平は「さあ仕事ですよ仕事!」と、もう枢密院事としての応答しか示さなかった。
良季はそんな二人の後に続きつつ、隼平よりもさらに深く考察をしていた。
(それにしても、なぜ楊珪己は女官となったのだ? 一体いつから? そのような話があれば我らの耳に入らないはずがないのに、これまでそんな話は聞いたことがない)
(それになぜ今は官吏補となっている? しかも礼部侍郎付という破格の処遇だ。突然の変わり身、しかもこの重要な時期に礼部侍郎付だと?)
(侑生は皇帝から愛する女官を奪ったというが、あの二人の様子を見るとそれすらも嘘だろう。二人の間にはそのような深い愛はない。あったとしても侑生の一方通行でしかない。しかしこの話はいまや公然と語られているし、実際に皇帝が女官を東宮へ招いた夜に警備が増やされた記録も残っていた。……ではこのような嘘は何のためになされたのか?)
めぐらされた思考は、源である一つの大きな謎に行き着く。
(私と隼平が宮城にいない間に一体何があったというのだ……?)




