6.二人の枢密院事の推理
「侑生様は?」
にこにこと繰り返す隼平に、珪己は意を決した。
「侑生様は――父のことが好きなんです!」
「……へ?」
「あの、私の父は楊玄徳なんです」
言われ、隼平とそれに良季までもが、そろって目の前の少女を上から下までじっくりと眺めた。言われてみれば、確かに楊玄徳に似ている部分がある。へにゃりと下がった眉とか、ちょっと小さな口とか。
「え。……てことは、君が楊枢密使の噂の一人娘か!」
隼平の本心からの驚きに、「噂?」と珪己がきょとんとした顔になった。良季も声には出さずとも息を飲んでいる。
「もしかして何か父が言ってますか? ……変なこととか」
心配になった珪己に、二人は我に返った。二人の脳内を瞬時に駆け巡ったのは忌まわしき楊武襲撃事変のこと、そしてこの少女が事変の唯一の生き残りであるということだ。若き枢密院事の二人はそのことを知識として十二分に知っていた。
良季が視線を下げ、隼平は申し訳なさげに口元に手を当てた。
「いや……なんでもないよ」
「本当ですか? 父のことだから『うちのお転婆娘が』くらいのことは言ってそうですけど」
じとっとした目を向けられ、隼平はあわてて目の前で両手を振った。
「ほんと、ほんと。いや、楊枢密使には溺愛する娘さんがいると聞いてたから、君がその子なんだなって思っただけで」
それは事実で、事変で生き残った娘を唯一の宝のように大切にしていることは、枢密院の上級官吏であれば誰もが知っていることだった。たまに玄徳が家に早く帰りたいと願えばそれは大抵一人娘のためで、そういう時は叶えるための協力を皆が惜しまない。
ちなみに珪己の武官就任の件はいまだに枢密院内では玄徳と侑生しか知らない。珪己の着任式出席が延期されたため、現時点において公開する必然性もなくなり、その時期はもう少し様子を伺いつつ決められることになっている。
「ちょっとこっち」
隼平は良季の腕をつかむと問答無用で珪己から距離をとった。
「……だから侑生はこの子のことを気にかけているんじゃない?」
こそこそと耳打ちをすると、これに良季もひそめた声で返した。
「うむ、そうかもしれん。もしかしたらこの少女が侑生の恋人なのではないかと思ったが、我々の勘違いのようだな。楊枢密使に絶対的に服従している侑生がその娘御に手を出すなどあるわけがない」
「だから言ったじゃん、侑生の恋人は女官だって。父親は枢密使だとしても、この子はどう見てもただの普通の女の子だよ。名前が一致していたのはただの偶然だって。いつもは賢い良季ちゃんなのに今日は冴えないなあ」
無能だと指摘され良季はむっとした表情を隠さない。だが、
「……そうだな、今回は私が間違っていたようだ」
「おっ、珍しい。良季が潔く負けを認めるなんて。明日は雨かあ?」
「この馬鹿。空を見てみろ、明日も晴天に決まっている」
珪己には二人の内緒話は全く聞こえなかったが、念のため一声かけた。
「……あの。呉枢密院事、高枢密院事」
「何? ……あ、俺達のことは名前で呼んでいいよ」
顔を上げた隼平の軽い言い方に、良季が「なんでお前が決めるんだ」と文句を言ったが、その顔は隼平の発言を否定するようなものではない。
「では……隼平様と良季様」
「様なんてつけなくていいって。俺らそんな偉くないし」
緋袍の官吏、しかも枢密院事の二人が偉くないわけがない。だが、言われてみると二人の名に様をつけて呼ぶのは硬すぎるように思えた。不思議と親近感を覚える二人だ。
「隼平さん、良季さん」
「そうそう、それでいいよ。で、何?」
「あのお……私が枢密使の娘であることはあまり口外しないでおいてもらえますか」
「ん? そうなの?」
「いや、普通そうだろう。枢密使の娘御が官吏補では、礼部の官吏もやりにくいだろうし、珪己殿も気を使う」
了承した、と良季が言い、隼平が後に続いて笑顔でうなずいた。珪己はほっとして礼を述べた。
(この人達、いい方だわ)
私のことも『殿』なんてつけなくていい、と提案すれば、二人はさらりと受け入れてくれた。年のころは三十歳間近と見えるこの二人には、侑生や仁威の放つ一種独特の人を威圧するような雰囲気や、その原資ともいえる孤高の気高さは見られない。かといって例に挙げた若年の二人に比べれば精神的な余裕がみえ、そのため経験豊富で大人な男性に珪己の目には映った。そういう異性の知り合いは珪己にはいない。




