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5.唐突な講義

 独りになった気楽さから、珪己は甲板で一つ大きく伸びをした。大河を吹き抜けてゆく涼風が心地よい。見上げれば空は高く澄み渡り、一列に並んだ水鳥の群れがゆったりと大きく翼を広げて飛んでいくのが見えた。


 交渉は成功した。湖国側の意向は全面的に受け入れられたのである。芯国としても、湖国唯一の息女と関わるという貴重な機会を得られることを良きことであると前向きに捉えたようであった。


『湖国が我々にこれほどまで開かれた対応をしてくださることに心より感謝いたします』


 そう大使は言い、懸念されていた警護が重層化する件についても快く了承されたのであった。


『姫の初のご公務なのですからそれは仕方のないことです』


 本来は好まないのですがね、と付け足してはいたが。


「……なんでそんなに武官がつくのが嫌なんだろう」


 自分達を護るためにそばにいるというのだから嫌わなくてもいいのではないか、と思うのだ。武芸とは突き詰めれば相手を傷つけるもの、必要とあれば命を奪うもの……分かってはいるが、護るべき人を護るためにも武官はいるのだから。


 珪己のつぶやきはそのまま甲板の向こうに広がる水面に吸い込まれて消えていくだけのはずであったが――。


「それは芯国が周囲の国に武力によって奪われ踏みつぶされた歴史を有しているからだよ」


 背後から聞きなれない男の声がし、珪己は反射的に振り返った。


 そこには緋袍に身を包む二人の青年官吏がいた。――そう、先ほどまで侑生とともに常に動いていた枢密院の官吏だ。


 体格のいい青年の方がにこりと笑った。


「戦が長く続いた果てに今の国になったというのは、芯国も湖国も同じなんだ。だけど武の扱いという点では二つの国は大きく違っていてね」


 突然現れた青年に目を丸くする珪己にかまわずその青年は語り続ける。


「湖国は内政に力を入れるために文官を重用し、対する武官が冷遇された経緯がある。まあ、今では武官の地位は少しは回復傾向にあるけれど、まだまだ昔に比べれば低い。けれど、芯国は逆に武官を重用した。だから文官は武官を恐れているらしいし、重要な地位には武官または武官着任実績がないとなれないらしい。それに国内の至るところに武官が配置されているらしいし、他国の武による行動には敏感になるし基本的に信用しないってわけ」


 するともう一人の細身の男が言葉を継いだ。


「だから今回、我らの提案を受け入れさせるのは難儀となる可能性があった。菊花姫の関与によって芯国側が得る利と量られて、それでようやく、というところが正直なところだろう」


 唐突に現れた二人による講義に驚きはしたものの、その話は非常に興味深く、終わったところで珪己は素直に頭を下げた。


「とてもためになりました。ご教授ありがとうございます」


 二人の青年が珪己の所作にふっと笑った。


「私は高良季。そしてこっちが」

「俺は呉隼平! 二人で李副使の枢密院事をやっているんだ」


 体格のいい方、隼平が、良季と名乗った細身の青年の肩をがしっと抱えてにかっと笑った。二人の仲の良さは初対面の珪己にも明らかで、好ましさゆえにつられて笑っていた。


「私は楊珪己と申します。礼部で馬侍郎付の官吏補をしております」

「馬侍郎付い?」


 なぜか嫌そうな顔をした隼平の脇腹に良季が肘鉄を食らわした。


「こら、隼平。思っていても口に出すんじゃない」


 珪己には何のことかさっぱり分からず、思わず小首をかしげた。同じような反応を示した李清照の顔が脳裏に浮かびはしたが、さすがに清照と目の前の二人の青年ではその理由は違うだろう。


 腹を撫でた隼平がからからと笑いながら珪己に無遠慮に近づいてきた。


「ところでさ。君は李侑生とどんな知り合いなの?」


 珪己は隼平、そして良季を見て、それから目をぱちくりとした。こうも堂々と自身について尋ねられたのは宮城で働きだして初めてのことだったからだ。


(枢密院の方なのだから言ってもいいのかしら? でも父様からは、枢密院でも父様と侑生様だけの機密事項だと聞いているし)


(あれ? でも私は一応侑生様の恋人ってことになっているんだっけ)


(……あれ? そもそもあれは女官の珪己のことであって、今ここにいる官吏補の私と同一人物だってことを知る人はいないのよね。まだ馬侍郎ですら知らないのだし、二人には知られないほうがいいのかな)


 いつまでもぱちぱちと目をしばたく少女に、隼平と良季はその心の内の葛藤が手に取るように分かった。つまりは『言うべきか言わざるべきか』。


 隼平がにかっと笑った。


「大丈夫、大丈夫。俺達、李侑生とは仲がいいんだよ」


 天真爛漫な隼平に偽りの色は見えない。

 珪己は少し逡巡してこう言った。


「えっと、実は侑生様は――」

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