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2.隊長の私生活を暴く

 と、定莉の視線の先に周囲に比べて一つ頭の飛び出た青年が現れた。


 焦点を合わせれば、遠目でもそれが隊長である袁仁威だと判別できた。


 普段見慣れた茶一色の武官の服ではなく、今日は伽羅色の服を身に着けているが、その体格の良さは周囲から抜きんでている。見る者が見れば武芸者であることが一目で分かる風体だ。隣にいる誰かと会話をしているようだが、椅子に座る定莉からは人込みもあって相手の姿はよく見えない。


 定莉の胸の内にまず沸き起こったのは、隊長の未知の私生活を少し暴いたことへの小さな満足であった。


(さすがは袁隊長。休日はこういうところで過ごすんだな)


 たとえ本人が朴訥とした実直な人であっても、近衛軍最強の隊長であるのだから、こういう華やかな場所が似合うべきなのだ。それに、位などなくても、仁威の持つ独特の空気はこの場の雰囲気に負けるようなものではない。と、定莉は思う。例えば、紫袍の官吏と一緒にいても、だ。


 先日の食堂での、馬祥歌や李侑生と渡り合う自身の隊長の落ち着いた所作を思い起こし、


(あー、袁隊長のいる第一隊に入れることになって、僕って本当に運がいいなあ)


 などとあらためて幸福をかみしめていると、大勢の人混みの中、ちょうど隙間が生じ、仁威の隣にいる女性――少女といったほうがいい風貌――が視界に入った。


 仁威とその少女は定莉に背を向け、橋の欄干で足をとめると手すりに体を預けた。周囲の者達のように橋から見える景色を楽しんでいるようだ。


(……袁隊長と一緒にいるあの人は誰だろう?)


 別に仁威が誰と歩こうが、部下の定莉が構うところではない。ちなみに先日見た年上の女官吏が恋人ではないことは、仁威本人から念押しのように説明されている。


 だが。


(あの時、恋人はいないって言ってたのになあ……)


 二人の距離の近さはただの知り合いのものではない、そう定莉には思えた。少なくとも家族や親類、従姉妹といった近さを感じる。だが仁威は定莉と同じように独り身の武官の住む地区に居を構えている。隊長専用の、通いの従者のついたやや広めの家ではあるが、仁威が一人暮らしなことは周知の事実なのだ。


 それに、仁威には遠い故郷に兄と弟が一人ずついるだけで、姉妹はおらず、かつ親類とは音信不通、ほとんど絶縁状態に近いらしい。そう先輩の武官から酒の席で聞いている。仁威の家に女がたずねてきたことも一度もない、とも聞いている。妓楼にも通わず、酒楼でも女給の艶めいた視線に何の反応も示さない禁欲的で厳格な堅物、けれど部下を想い武に通じる全信頼をおける隊長――それが定莉の知る袁仁威の姿なのだ。


 いや、別に隊長に特定の女人がいてもいいのだ。そのほうがよほど人間らしくて親しみを感じる。実際、先日の女官吏の件以降、また第一隊において袁仁威の人望が増したくらいなのだから。たとえ勘違いであっても、そういった話題は部下を喜ばせ上司との距離を縮める効果がある。


 ただ――。


(嘘をつかれていたのかな)


 それが寂しい。


 だがすぐに思い直した。


(僕たちに気を使ってくれていたのだとしたら申し訳ないことをしているなあ)


 第一隊は最強の名のとおり、近衛軍の中でも最も厳しい鍛練を積む部隊だ。だからこそ、任務以外の時間に外を出歩く者が他の隊に比べて少なく、実際、恋人を作る暇など全くない。かつ、今もっとも不人気の『筋骨隆々とした体勝負の男』の代表格とくればなおさらだ。


 だが、隊長ともなれば、普通の男にとって欠点とみなされる要素が一切の不利に働かないのだろう。


 実際、連れの少女がいるというのに、通り過ぎる幾人もの女性が仁威にちらちらと視線を送っている。今日のように武官の服を脱いで人並みに小奇麗な装いをすれば、体格の良さに目をつむれば美丈夫の青年としか見えないのだからそれも道理か。たとえすでに誰かのものであるとしても惹かれてしまう種類の男だ。


(でも袁隊長が好きになる人っていったいどんな人なんだろう……?)


 第一隊全員がこよなく愛する隊長の、恋人。


 どんな人なのかぜひとも知りたい。


(あとで先輩たちにも教えてやろう。知ったら口では文句を言いつつも、皆さん絶対に喜ぶぞ)


 定莉は少し椅子から腰を浮かせ、背を伸ばして向こうに見える二人のほうへ目をこらした。元々目はいいほうで、だいぶ遠いが二人のことはそれなりによく見える。


 その横顔だけが確認できる少女――定莉よりも若干年上と思われる――は、いたって普通の少女らしく、ここ開陽でよく見かける形に髪を結い、この季節らしい若葉色の上着と揃えの裳を身に着けていた。


 ただ、腰帯の金糸の刺しゅうはひどく手が込んだ一品であり、髪に挿した簪や船を指差す手首を飾る腕輪に光る宝玉からも、その少女が良家の娘であることは一目で推測された。控えめだが質の良いそれらは商人が好む類のものではない……ということが判別できるくらいには定莉も自身の育ちから推測できる。


 やはり隊長たるもの、家柄の良い女性を選ぶのだな、と思いつつ、かつ、


(袁隊長は年下が好みだったんだな)


 あとで先輩たちに教えるための重要な情報を頭に入れ、さらにその少女を観察し続ける体勢に入ったところで。


「あ……あーあ」


 思わずため息がもれた。


 仁威がその少女の肩を抱き、手すりから離れると、二人はあっという間に人込みの向こう、定莉のいる店とは反対側へと去ってしまったからである。背の高い仁威の頭だけが人の海に浮かんで見えていたが、それもやがて識別できないほど小さくなり、ついには掻き消えてしまった。


(残念、もうちょっと見たかったなあ)


 後ろ髪をひかれながら、ちょうどいい頃合いと席を立つ。


 店を後にし帰路につきながら、道中、定莉は思わずつぶやいていた。


「さっきの女の子、どこかで見たことがあるような気もするんだけどなあ」


 二人が立ち去る直前、一度だけ少女が振り返ったのだ。背後にいる仁威に抗議するように。けれど仁威が強引に胸元に引き寄せてしまい、結局それきりだったが……。


 しばし頭をめぐらせたが、どう考えてもあのような知り合いはいなかった。ここ開陽に来て少しでも顔の分かる女性といえば、酒楼の女給や屋台の店員だけだ。だがあの少女とは明らかに格が違う。


「勘違いかなあ。うーん……、まあいっか。帰ったらさっそく皆さんに話してあげようっと」


 いい土産が手に入った、と帰路を急ぐ定莉の足取りはいつになく軽いものとなった。


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