1.新人武官の休日
その日は休日であった。
昼日中、新人武官の周定莉がぶらぶらと街を歩いている。
着任式の前とはいえ、第一隊における稽古はすでに以前よりも過酷な内容に移行していた。毎日肉体を酷使する日々は密度が濃く、非常に充実している。だが、その分、休日は一日体を休めるためにあてがわなくては体力がもたないわけで……。新人かつ小柄な定莉は特にそうだった。
そんな定莉だが、週明けに控える武官の着任式を前にしたら、気分が高揚して家で静養していられなくなってしまった。そこでこうして珍しく街中まで出てきたというわけだ。
とはいえ、まだ新人かつ裕福な生まれではない定莉には大した禄も資産もなく、本当にただ当てもなく散策しているだけである。
この頃、湖国では官吏である武官よりも商人のほうがよほど財があった。着ている衣の一つとってもそれが如実に分かるほどに。
ちなみに今日の定莉は丈夫なだけが取り柄の生成りの衣を身に着けている。染めのない生地は安く、定莉のような若者の定番の普段着だ。
日が高く今日はいつも以上に暑い。褌に巻いた裳(一枚布でできた腰巻)は飾り程度の薄っぺらい生地だ。
武挙のためにここ開陽に越してきて早二か月、定莉がこうやって街を歩くのは初めてのことだった。理由は先に書いたとおり手持ちがないこともあるが、朝餉をとる近場の屋台や、先輩や仲間に連れて行かれる大衆的な酒楼以外、立ち寄ったことも、その必要もなかったからである。
定莉はここ開陽で小さな一軒家を借りている。独り者の武官にあてがわれる家が住居街の一角にあるのだ。そこでは同じ武官同士、仲間意識が働き、ちょっとしたこと、例えば服がほつれたとかそういったことから何から、お互いが助け支え合う仕組みができている。総じて、贅沢を好まない定莉にとっては居心地のいい住まいであった。
そんな定莉にとっても、開陽の街の賑やかさやまぶしさは、たまのことであるから少年らしく心惹かれた。特に貿易船が出入りする船渠のあたりには異国情緒あふれる品が所狭しと見られて好奇心を刺激されている。異人だと一目で分かる人々が堂々と闊歩し、聞こえるのは全く意味不明の言葉であったりするのもこの少年をわくわくさせている。
そのような一角にも定莉の懐に痛くない程度の値段で休める茶坊があり、定莉は店の軒下にある一人がけの椅子に腰を降ろした。
不思議な髪形の女給が示す菜譜には、南の芯国や西の涼国から取り寄せたという、知らない茶の銘柄が並んでいた。その中で一番安いものを注文し、斬新かつ意外な美味しさに舌鼓を打ちつつ、定莉は一息つくと、あらためてここから見える虹橋を眺めやった。
さすがは湖国最大の橋である。船渠のすぐそばというだけあって、国の威厳を示すためだろう、橋に彫り込まれた意匠はたかが橋とは思えない渾身の力作である。開陽を横切る大運河・汴河に架けるにふさわしい橋だ。親兄弟にもいつか見せてやれたら、と小さく願う。
橋上には多くの人がおり、運河の下を渡る大小の船を楽しげに眺めている。そのうち一番の注目を集めているものはもちろん芯国の巨船だ。その豪華絢爛さや物珍しさだけではなく、この船がなぜここに長い間停泊しているか、その理由を知る多くの商人や民にとってはここ最近で最も重要な船であった。
船が停泊する理由――湖国と芯国の正式な貿易を開始するための調印式――は、あと一週間もすれば催される。新人官吏の着任式の数日後だ。
(その時には僕の出番も少しはあるのかなあ)
まだどのような任務があるのか知り得ていない定莉は茶をすすりながらそんなことをぼんやりと思った。
赤と黄を基調とした鮮やかな帆がいかにも異国然とした船員によって巻かれたり解かれたりしているのは、定常的な点検作業の一環か。長い停泊中のことゆえ、船員の動きはきりきりしたものではなく、ゆったりとして見える。どこか踊っているようにも見える。そうした一つ一つが湖国の民にとっては目新しい娯楽になるようで、橋上には数多くの見学人がいる。




