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1.あなたは一人ではありません

 珪己はその夜、久しぶりに文をしたためていた。相手は菊花姫である。


 随分長い間返事を出すことができなかったことをまず詫びる。


 今日、龍崇に去り際に頼まれたのだ。菊花からの文に返事を出してほしいと。その時の龍崇の表情は真剣で、皇族としての責任感あふれるものへと変貌していた。


 その顔を一目見れば、珪己は自分が返答を放置してきたことの罪の重さに気づかないわけにはいかなかった。龍崇はそれ以上は何も語ることはなく、ただもう一度同じ頼みを繰り返し、それから去っていった。


 珪己はその日、仕事をしながらもずっと菊花のことを心の隅で考え続けた。


 菊花は外の世界に出られない自分を悲嘆している。現実は残酷で冷たいことを――外の世界が広大であることを知ってしまったから。


 珪己は菊花を芯国に連れていくことはできない。

 けれど、菊花に約束したことがある。


 そのことをもう一度思い出してもらいたくて筆を進める――。


『姫様、覚えていますか。私は姫様にこう言いました。どうしても辛くなったら私が姫様を後宮から連れ出してさし上げると。その心は今でも変わりません』


『ですが、このことも思い出してもらいたいのです。まずは一緒に考えましょう。何ができるかを』


『まだがんばれるのであれば、私から一つご提案したいことがあります』


 文を書きながら最近の自分についてあらためて振り返っていく。


 母を亡くしてから珪己が情熱を注いできたものは武芸ただ一つだった。ここまで強く生きてこられたのはひとえに武芸のおかげだった。本当に武芸が好きだった。


 だからその武芸に嫌悪を抱くような日が来るとは夢にも思っていなかった。王美人との一件をきっかけに一人自室にこもり散々悩み苦しみ――やがてあきらめにも似た気持ちすら芽生え始めていた。私はもう剣を握ることはできないかもしれない……と。


 これからの生きる道が全く見えず、惰性のように琵琶を弾いていた時期もある。


 でもそこに李侑生が現れた。今からでも、どのような道でも選べるのだと教えてくれた。……少し気が楽になった。そんな珪己に侑生は剣を握ることで心躍る気持ちをも思い出させてくれたのだった。


 そして袁仁威は珪己を見捨てることなく稽古をつけてくれた。侑生と剣を交えることができたのも、その先にある壁にき裂を作ってくれたのも、全ては仁威によるものだ。


 また、祥歌しょうかにはこう言われた。『あなたにしかできない何かを成しなさい』と。しかし『今すぐに見つけなくてもいいのだ』とも言われた。


 悩む期間、父は黙って珪己を見守っていた。そしてあの日――汚れた体を厭うことなく抱きしめてくれたのである。


 あらためて最近の父の所作を一つ一つ思いだして、珪己は父の愛情を深く噛み締めた。


(たぶんこうやって、何度も何度も、人は悩みながら選び生きていくしかないんだ)

(でもそれは決して一人で何もかもを考えなくてはいけないということではなくて……)

(だって人は一人で生きているわけではないのだから……)


 だから珪己は文にこう綴っていった。


『今の姫様のお気持ちや考えていることを、ご両親や侍女の方々に打ち明けてみてはいかがでしょうか。姫様は今、一人ではないのですよ。きっと皆さん、姫様のことを心配されているはずです。そして、その心の内を打ち明けていただけたら……と思っているはずです。お助けしたいと思っているはずです。姫様、あなたは決して一人ではありません』


『それでも姫様のほしい答えを得られず絶望されてしまうのであれば、その時こそ私の出番となりましょう』


 珪己は願った。

 私の言葉が、心が届きますように……と。

 菊花に笑みが戻りますように……と。


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