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5.ささやかな望み

 珪己をしばらく眺めていた龍崇は、ふと立ち上がると珪己の背後に回り、髪に刺さるかんざしを抜いた。一本一本、抜くごとに髪がほどかれる。全ての簪が抜かれて髪紐まで解かれると、珪己の両肩に黒くたなびく髪が散らばった。それはあっという間のことだった。


「何してるんですか……っ!」


 突然の所業に振り向こうとした珪己を、龍崇はその頭を掴んで強引に前に向き直させた。


「このままじゃ職場に戻れないでしょ。直してあげるよ」


 そう言いながらも、その手はすでに珪己の髪をなで、まとめ始めている。その感触がくすぐったくて、珪己は少し恥ずかしくなった。こんなふうに男の人に髪を触られた経験は、初春の東宮での朝も含めて、この皇族の青年にしかない。


「いいですよ。自分でできますから」

「鏡もないのに?」


 言われれば確かにそうで、官吏らしいこのまとめ髪を手探りだけで作り上げる自信は珪己にはなかった。押し黙った珪己の背後で龍崇がくすりと笑った。


「前にもやってあげたじゃないか。あのときよりはさっきの髪形のほうがよほど簡単だしすぐにできるよ」

「……そういえば龍崇様は女性の髪を結うのがお上手でしたもんね」


 つい批判的な口調になるのは、龍崇と珪己のこれまでの関係からして、もう仕方のないことなのかもしれない。対する龍崇も、珪己の皮肉にはすでに何ら感じるところはないようで、「そうだよ。だから安心して」と手慣れた様子で結いあげていく。


 少しの沈黙がおり、珪己はやはり気になるその手際のよさについてつい尋ねていた。


「なんでそんなにお上手なんですか?」


 ほんの少し、龍崇の手が止まる気配を感じた。

 が、それも一瞬のことだった。


「僕ね、ここに来るまで妓楼で暮らしていたんだ」

「……妓楼?」


 思わず振り向きかけた珪己を「だから前を向いていなさい」と再度龍崇が頭を押さえた。


「僕が庶子であることは知っている?」

「……はい」

「僕の産みの母はね、願いをかなえてもらうために時の皇帝にその体を差し出したんだ」


 珪己の体が緊張によって硬直した。


 それは龍崇にも伝わったが、それでも話をやめることはなかった。


「で、彼女はその願いをかなえた。そして生まれてしまったのが僕。彼女には心から望むやりたいことがあってね。だから今更、側妃になって悠々自適に暮らすだなんて人生、我慢ならなかったらしい。で、僕を孕んだことすら皇帝には秘密にし、産み落とすなり自分にとって邪魔な僕を両親に押し付けた。そんな彼女の生家がたまたま妓楼だったってわけ」


 これまで龍崇は自分の身の上話を誰かに話したことはない。


 異母兄である英龍は父である二代皇帝や臣下から集めた情報で理解したつもりになっていたし、龍崇が自らを語る必要性も、語りたい相手も、この宮城という狭い世界にはいないからだ。ここにいるほとんどの人間は、男も女も、官吏も侍従も女官も、龍崇の最大の特徴を皇族であるとみなしていた。


 ただ、この楊珪己という少女は、最初から龍崇のことを皇族ではなくただの男として見てきた。立場を知った今でもこうやって気安くふるまってくる――皇族ではない龍崇自身を見ている。


 龍崇が相手にそれを望まなかったのもあるし、たとえ望んでも相手にそれをかなえる度胸など、通常人にはありえないのだが……。


 だから珪己と接していると、龍崇は己の内にある気づかなかった欲望に目覚めていくようであった。


 たとえばそれは、誰かと心を通わせたいというささやかな望みだったり――。

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