3.いつまでも笑っていて
ここは礼部、今日の珪己は身も心も軽やかに官吏補の仕事をこなしていた。
昨夜の侑生との記憶は、今朝の仁威との会話によって完全に上塗りされている。自分にとって非常に大事な位置を占める武芸をもう一度この手に取り戻せる感触を得たのだ、それはもう暗い地面の下から一気に日の下に出た心持ちにもなるというものだ。
それは執務する席が前後する同僚、張温忠にも伝わっているようで、明るい珪己の様子に破顔した。
「よかったね。悩みが解決したような顔をしている」
ずばり指摘され、珪己は思わず赤くなった頬を両手で押さえた。
「え、分かります?」
「分かるさ。ここ最近の珪己の暗さっていったらなかったからね。珪己のところだけじとじととした雨が降っているようだったよ」
自分自身の悩みに一人閉じこもっていたことを温忠に見破られていた――そのことを珪己はたまらなく恥ずかしく思い、そして申し訳なく思った。
「ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません……」
「いいっていいって」
ひらひらと軽く手をふる温忠に、珪己はおや、と思った。その手は使えなかったのではなかったのか。
「あれ? 温忠さん、けがは治ったんですか?」
「あはは、今頃気づいたの? もう添え木をはずして三日はたつんだけど」
それだけ周りが見えていなかったということになる。
今度こそ本当に恥じ入るしかなかった。だが肩をすくませた珪己に、温忠がいたずらっぽく舌を出してみせた。
「うそ。実ははずしたのは今朝のことなんだ」
「んもう! だましたんですね!」
ぷくっと頬を膨らませた珪己に、温忠の垂れ目が一層垂れさがった。
「あはは、やっぱり珪己はまだまだ子供だね」
「どうせ子供ですよ!」
ひたすら自虐的にすねる珪己は温忠の笑いのつぼにはまったらしい。体をそらせてくつくつと笑い出した。
「ははは。いいよいいよ、珪己はそうやっていつまでも子供のままでいて」
「なんですかそれ」
つんと横を向いた珪己に、温忠は笑うのをやめると、そっとその横顔を見つめた。
「……恋におぼれないほうがいいってこと。黒太子との初恋も、今の珪己のままで、明るいところだけを楽しんでほしいな。そうやっていつまでも笑っていてよ」
言われたことを理解して珪己が振り返ったときには、温忠はすでに机の書類に向かっていた。その顔は下を向いていて、どういう表情をしているかは全く分からなくなっていた。




