口碑
「お前さん、こんな話を知ってるか?この村に伝わる話なんだがね。
ここから辰巳の方へずっと行くと森の入り口があるだろう?そうそう、あの龍神様の霊山の麓の森さ。あそこは怖いぞ、やたら静かでな。薬草毒草がやたらあるのも龍神様の御加護らしいが、まあ、実際は、何とも言えんがな。
ある独り身の男が、その霊山に薬草を採りに行ったんだと。
龍神様の山は厳しい岩山で、暗くなったら足元が危ねえもんだから、ああ、お前さんも行くなら気をつけなよ、崖みてえな山だからな。でな、朝靄の消える頃出発したんだが、森の入り口で真っ白な手がな、手招きをしたんだと。
ゆらゆら揺れるその手は綺麗だったが、こんな田舎の百姓村に、そんな綺麗な手の心当たりなんざねえ。訝しんで、誰だ、って尋ねると声がするんだ、熟れた桃みてえな色っぽい声でな、でも不釣り合いに笑っちまうようなことを言う。
『お腹が空いたのです』ってな。
根が優しくて豪気な男だったもんでな、怪しみながらも、何か持っていってやろうか、そんな風に返すと、こちらへきてください、とその声は言った。
言われた通りに、吸い寄せられるようにそちらへ行くと、真っ白な女が座ってた。
真っ白なんだ。
肌も、着物も、くるくる跳ねた髪も、みぃんな真っ白な女がいる、その割に肌はぴっちりと張ったみてえに若々しくて、その男よりいくらか年下に見えた。そんで、目は海みてえに青いんだと。そりゃあ仰天したらしい。おまけに別嬪だからこいつぁ雪女の類じゃねえかと思ったそうだ。
見ると女は裸足、綺麗な足だが泥だらけだった。また綺麗なってのが怪しいっつうか不思議だよな、どっかで囲われてた姫さんが逃げてきたのか、それとももっと別の何かなのか、どうしたのかと尋ねると、無一文で逃げてきた、という。
ははあこいつぁ面倒事だぞ。男は思った。当たり前のことだよな? だよなあ、逃げてきたって、大変なところからだったら、大層面倒だからな。それでどこから逃げてきたのかと訊いても、女はずぅっとだんまり。
でもまあ、気のいい男だったもんで、気の毒に思ってな、家に招こうとしたんだよ。
家になにがしか食えるもんはあるから家に来るかと尋ねると、女はちょっとびっくりしたように目を見開いてな。その様子がどうにも可愛らしかった、男は女の手を取って立ち上がらせると家に案内しはじめた。ひんやりと冷たい手は、きっと冷たい風が吹く時期だったから夜通し暖まれなかったんだろうなあと男は思ったんだと。
間違っちゃあいねえとは思うんだが、この辺の人間みんな似たようなもんだからなあ。別嬪はそれだけで得だよなあ、うちのなんか……ああ、そういうことじゃなくてなお前! ……ああ、まあ気にしねえでくれ、いつものこった。器量良しでも中身が良くねえとなあ、その点うちのは絶品よ。こんなことを言ったってのは他言無用だぜ? うん、よしよし。
でな、ええと、そうそう、それで女が『何か御用があったのではございませんか』って尋ねるから、薬草を採りに行く予定だったが、まあ急ぎでもないし天気も良くなさそうだから今度でいいんだって答えた。女はちょっと申し訳なさそうにして、それでも嬉しそうに男の家に行ったんだ。
流石に独り身の男だ、女を一人家に呼ぶってのが何となく後ろ暗い気がしてな、俺は独り身だがいいのか、と一応言ったんだが、女は『疚しいことを考える人はそのように言いませんもの』と笑って、それからちょっと首を傾げて『でも別に、貴方様なら構いませんね』と言うんだ。男は顔から火が出るかと思って、早足になると家についてすぐ炊いてあった飯を握って、それからちょっとした菜を付けて女に差し出してな、女はやっぱり、案外うぶなんですねえって笑った。
やがて朝日の出る頃合いになった。
急に女は頭を下げて、すみません、と呟いた。男は飯のことかと思い別に構わねえよと笑ったが女は俯いたまま、すみません、すみませんと謝り続けるんだ。どうかしたのか、流石に男は心配になって無理矢理女の頭を上げさせて、そんで顔を覗き込んだんだ。
男は瞬きして、吃驚仰天。
女の青かった目は血みてえに真っ赤で、白目は夜より真っ暗、おまけに白い肌にぬらぬら光るみてえな、────蛇の鱗みたいなもんが浮き出てるんだよ。
男はぎゃあと叫ぼうとしたが、その口は女に塞がれた。
男は女を振りほどいて、大慌てで友人の家に駆け込んだんだ。
それから家には帰れなくてな、ありゃあ妖怪の類に違いねえとぶるぶる震えながら男はふと自分の腕を見た、するとな、
腕に、女と同じような鱗が浮き出ているじゃあねえか。
男はそれっきり寝込んじまって、医者でも祈祷でも陰陽師でも駄目でな、その後間もなく死んじまったんだと。
よくある怪談なんだがねえ、嘘のような本当の話さ。お前さんも、白い女には気をつけなされよ」




