考えなしの少女で
「うぅ、このコートすごく重いけど何でできてるの?」
都市を目指し探索を行いながら迷宮を進む二つの足音。その足音の主の片割れである少女のどこか不満そうな声を聞いて、相方となる少年は肩をすくめて口を開いた。
「メタルモスっていう蛾型の魔物の幼虫が吐く鋼の糸を編んだものだ。おまけに各所に鋼竜種の鱗から作った装甲を縫い付けてる。薄くて軽いが、薄くて、軽い、が非常に丈夫で俺の自慢の一品だ」
重いという不満の言葉を認めるつもりはないらしく、軽いという言葉を繰り返し強調する準騎。そんな彼の説明に自身の羽織っているコートを見下ろした柚子香は小さくため息を吐いた。
「あれ、ボクがこれを羽織ってると……………………。伊久津島君の分は?」
「呼びなんて無いよ。それ一着でどれくらいすると思う?
日本円に換算すればローンを組まずに豪邸が数件建てられるだけの額は行くぞ」
「ぶっふぅぅっ!」
答えを聞いて吹き出す柚子香。彼女の目には羽織っているコートが札束に見えているのではないだろうか?
「じ、実はお金持ち?」
「こっちではな。ギルドでも上位の探索者だから依頼によっては一発で千数百年万(日本円換算)なんてことも多々ある。この前の受けた依頼もとある魔物の討伐で俺以外の探索者と組んでの物だったが、四人で受けて一人頭五百万に加えて取り分の魔物の素材を売却してさらに五百万だ」
淡々と事実を語る準騎に柚子香はただただ呆然とした様子で着いていくことしかできなかった。
ただそれも仕方の無いことだろう。ただでさえ自分と同じ年齢の少年が命を危険にさらしているというだけでも無理矢理理解している状態だというのに、その相手は簡単に千万円稼いでいると言っているのだ。彼女の脳内では準騎が本当に自分のクラスメイト、いや同じ年の少年なのかと盛大な議論が行われていることだろう。
「とはいえそれはあくまでこっちの金だからな。日本で使おうとしたらまずは向こうでも価値のあるものに替えて、向こうで売却するっていう手順が必要になってくるからな、こっちで金があっても日本で使える金なんてそう多くはない」
「それでもお金持ちであることには変わりはないんでしょ?」
「まぁ、そうだな」
どことなく気の無い返事をした準騎の足が止まる。ここまで来る間にも何度か立ち止まりタブレットを操作していたため、今回もそれかと思い柚子香は近くの壁に寄りかかろうとして準騎の表情が真剣なものに変わっていることに気づいた。
「伊久津島君?」
「しっ……………………、なにかが争っている音だ」
柚子香の表情に緊張が走る。
音と言われて彼女も及び腰ながら身構えて耳を澄まして準騎の言う争いの音とやらを聞こうとするが、いっこうにそれらしい音は聞こえてこない。
「……………………この先だな」
「ほ、本当に誰かが争ってるの?ボクには何も聞こえないんだけど」
「お前と一緒にするな。こちとら色々と鍛えてるんだ。迷宮内の探索では視覚以上に聴覚がものを言うんだよ」
ベルトに挟んであった短杖を手に取り小さく詠唱を終えると、準騎はそっと視線を閉じて遠くから聞こえる音に意識を集中させる。
「魔物同士で争ってるのかな?縄張り争いみたいな感じで」
「いや、迷宮内では一部の例外を除いて魔物同士で争うことはない。その理由はわからないがな。
その一部の例外にしても森区域にある湖に掬う水中型の魔物で石区域であるここら辺にいるはずがない」
「じゃ、じゃぁ他の探索者さん?
そういう人たちが魔物と戦ってるってこと?なら急いで応援に駆けつけた方がいいんじゃ……………………」
「それも違うな。
今魔法で聴覚強化して聞いてみたけど、人の声も剣や鎧を着て発する音も聞こえなかった。動き回っているみたいだが足音も一種類しか聞こえない。
おそらく争っているのは魔物と魔獣だ。この様子なら直ぐに蹴りがつくだろう。おそらく魔物が勝つかな」
「魔物と魔獣?どう違うの?」
首を傾げて疑問を口にする柚子香の頭上にクエスチョンマークが浮かぶのを幻視しながら準騎はどう説明したものかと頭を悩ませる。
「そう、だな
本城はテレビゲームってやるか?あのドラゴンを探さないのにドラゴン探しって名前がついてるのとか最近めっちゃ未来都市な様相見せてきてる最後の幻想なやつとか」
「あ~、うんドラゴンの方は一通りやってるよ」
「そか、この迷宮にいる魔物って言うのは、言ってしまえばそういうゲームに出てくる敵キャラと同じようなものだ。どれだけ殺そうといつのまにか再出現してる」
準騎の説明に柚子香の頭が反対側に傾げられた。理解しづらかったらしい。
「ほら、ああいうゲームの敵ってレベル上げのために生態系が壊れるんじゃないのかってほど倒しても歩いてればすぐに同じ敵が出て来るだろう?
あれはゲームの中の出来事であり言ってしまえばプログラムそういう風になってるからだ。マップを歩いているとこれが出る、てな感じにな。
迷宮魔物も同じで倒しても時間がたてば同じ姿で再出現する。親が子供を生んで育ってまた子供を生んでといい生命としてのサイクルを持たず現れた時から死ぬまで姿を変えることの無い、ゲームに出てくる敵のような存在だ」
そこで一度説明を切って柚子香の様子を見れば何となくではあるが理解できたのか、難しい表情をしながら頷いたので準騎は説明を再開した。
「対して魔獣は一度倒してしまえば迷宮内に再出現することがない。何故なら魔獣は魔物と違って親から子として産まれ、成長し新たな子供を生んでと生命のサイクルを持っているからだ。当然殺せばその子供は産まれず成長することもない。
魔物はそういう物であり、ゆえに魔物。魔獣はそういう獣でありゆえに魔獣という。これは知り合いの言葉だけどな。
ぶっちゃけた言い方をすれば、魔物というのは迷宮で生まれる物であり、魔獣は迷宮の外から迷い混んだ俺達と同じ立場の存在だな」
【迷い混んだ】【俺達と同じ立場】
その言葉を聞いた瞬間柚子香は駆け出していた。
ここまでの道すがらに準騎から目的地である迷宮内にある《都市》について彼女は聞いていた。
そこは元は迷宮の外にあった石造りの都市であり、歪みが拡大して迷宮に呑み込まれて出来たのだという。
都市には様々な人が住んでいる。当然元より都市に住んでいた人やその子孫に探索のために歪みを通ってきた探索者の多くが都市を拠点としている。種族も準騎や柚子香のような人間や、昨日の蟻人間ことヒューマンインセクトや獣の特徴を持つビーストマン。魔族や鬼人、エルフ等々。
それぞれの種族が同じ世界から来ているかといえばそうではなく、同じ人間でも多くの世界から彼らはやって来ている。
また数多くの人達が住んでいればその立場も様々だ。準騎のような探索者から、グランダリア達のように国から派遣されてきている者もいる。
中には元の世界に帰れなくなってしまった者も。
都市に元々すんでいた人達が良い例だ。都市を呑み込んだ歪みはすでに消失しており、彼らはこの迷宮で生きることを余儀なくされた。同じように一瞬だけ生じた歪みに呑み込まれ元の世界に戻れなくなった者、他にも自分達が潜った歪みの場所が分からなくなってしまった例もあり、そういった都市の住人は多い。
そういった人々が力を合わせて暮らしているのが都市だという。
柚子香は準騎から聞いた都市の説明と、昨日のワーウルフのことを思い出す。彼女にとってあのワーウルフは【死】だった。あれと眼が合った時に感じた恐怖を今でも思い出しことができる。もしあの場に準騎がいなければ自分は死んでいただろうと今でも思っている。
ワーウルフと眼が合い感じた恐怖。突如として自身に訪れた理不尽。
魔獣が自分と同じように外の世界から迷宮へと来た存在ならば、そして自分の意志でここに来たのでなければ、彼らはあの時の自分と同じ思いをしているのではないか?
そう思った瞬間彼女は駆け出していた。
準騎から受け取ったメイスの柄を握りしめ、陸上部で鍛えた脚力にものを言わせて迷宮を駆け抜ける。別れ道もない一本道を駆ける内に柚子香の耳にも何者かが争う音が聞こえてきた。
それはアスファルトの上を犬が走るような爪の鳴る音や、威嚇するような喉を鳴らす音、咆哮。昨晩のワーウルフを連想させる音に表情をしかめるが、迷宮を走る彼女の脚が鈍ることはなく、むしろ加速していく。
やがて争いの現場へと辿り着く。そこは今までが一本道だった代わりなのか二本の道が交差する十字路だった。
まず彼女の眼に入ったのは道を塞ぐように駆け回る十頭以上の狼型の魔物だった。灰色の毛皮に身を包む体長だけでも彼女と同等ほどの大きさを持つ巨体。眼は赤く、鋭い牙の並ぶ顎から垂れる舌はおぞけの走るような生々しい赤。
どれもが同じ姿を取り一頭として違う姿を持たない、まさしく準騎の説明にあったような魔物たち。
そんな魔物たちに囲まれ十字路の中央に立つのは巨大な虎だった。
柚子香よりも大きな体躯は本来ならば鮮やかな深紅と濡れガラス羽根のような黒によって模様を描いていたのだろうが、全身につけられた傷から流れる血がそれらを塗りつぶし汚されていた。
もしどちらが強そうかと聞けば虎の方だと誰もが答えるだろう。実際にこの虎にとって自身を囲む狼達など例え倍の数がいようとも、なんの問題もない相手であった。
しかし現実として死の縁に立っているのは虎の方だった。そしてその理由が、柚子香にも見えた。
十字路の中央に仁王立ちする虎の足元。傷を負い弱々しく胸を動かす小さな三つの影。
それは深紅と黒の毛皮を持つ小さな虎。おそらくはこの虎の、少なくとも同種の子供達。子供達を庇いながら戦っていたからこそ、本来ならばとるに足らない相手であるはずの狼の魔物達に追い詰められているのだと彼女にも理解できた。
柚子香の脳裏に昨晩の準騎の姿が過る。彼もまた柚子香を庇い、グランダリア達の助けがなければ命を喪う寸前だった。
あのときの恐怖と悔しさに歯を食い縛る。
狼の魔物が虎の魔獣へと飛びかかる。正面から二頭、背後から一頭。子虎達がいなければ避けることも容易い攻撃は、子虎達がいるからこそ避けるという選択肢を虎から奪う。残るのはどの攻撃を迎撃しどれを受けるかという選択肢のみだった。が、そこに新たな選択肢が現れる。
十字路へと駆け寄る足音がに僅かに首を動かし、狼の頭上を飛び越えた柚子香と視線が交差する。
それは不思議な感覚だった。言葉を交わしたわけでもなく、そもそそ言葉が通じるのかどうかもわからない同士でありながら、視線が絡まった瞬間互いの考えを理解しあい、深紅の巨虎は正面から飛びかかってきた狼の魔物を迎撃する選択肢をとった。
今まで不動で迎撃の姿勢を見せていた紅虎が、自ら前に出て敵ではなく自身のタイミングでその爪を、牙を振るう。
「ギュァィン!」「ギャンッ!」
紅虎の牙が一頭の首筋に噛みつきそのまま首を噛み千切り、爪が顎から下を引き裂き吹き飛ばすのと同時に、柚子香は紅虎のすぐ横に着地してその勢いを殺すことなくさらに駆け、鋼鉄製のメイスを振りかぶり、メイスが薄朱色に光を発した。
紅虎が動いたことで晒された子虎へと標的を変えた狼が大きな口を開く。唾液を撒き散らし子虎へと落下し始めた狼の顔面へ、柚子香の握るメイスが叩き込まれた。
スポーツをしているとはいえ少女が振るったとは思えない威力だった。
柚子香の振るったメイスは狼の顔面を叩き潰し、目玉を飛び出さした魔物の死体が降り下ろされたメイスの勢いそのままに迷宮の床に叩きつけられ吹き飛んでいく。
その威力に驚く柚子香だったが、すぐさま自分が敵陣のど真ん中へと飛び込んだと言うことを思い出し、紅虎と互いの背を預け合うようにメイスを構えた。
(やっちゃった。思わず駆け出してきちゃったけど、伊久津島君置いてきちゃった!
もしかしなくてもこの状況は非常に不味い状況だよね!)