思惑失敗
窓の外から聞こえてくる雀の鳴き声で準騎は目を覚ました。
あくびをしながら目を擦り周囲を見回し、そこが都市ではなく生まれ育った世界の自分の部屋であることを確認してもう一度あくびをする。
左肩を回して違和感が無いことを確かめると、続けて右腕の調子を確かめるためにいつの間にか癖になった枕元に置かれたナイフを手に取り、流しの上に飾られた木の的目掛けて放つ。放たれたナイフは違うこと無くその中心を貫いた。
「こっちも問題なし。グランダリア様々だな」
立ち上がりナイフを引き抜きながら昨晩のことを思い出す。ワーウルフを倒した準騎は死体の処置等はグランダリアたちスレアントリアのメンバーに任せ、自分はそのまま自宅に戻ることにした。あの場に居合わすこととなった本城柚子香についてはとりあえず自宅まで送り、とにかく休めと言いつけてその場を後にした。
送り最中一切の会話が無かったのは彼女も突然起きた事態にいっぱいいっぱいだったのだろうと準騎は思っていた。実際彼が同じような立場に立ったときは、次から次へと起こる出来事の連続に頭がパンクする思いだった。
彼女には昨晩は一切説明をしていなかったので、一晩寝て起きて見れば昨晩の出来事が事実か夢かと悩んでいる可能性もある。
昨晩の状態では説明しても理解できなかっただろうし、そういう状態になってしまえばあとは此方が知らぬ存じぬを貫けば彼女の中で夢として処理されるかもしれない。
「頭の上までどっぷりと漬かっちまってる俺はともかく、彼女が命の危険があることに首を突っ込む必要は無い」
そうと決まればしばらく顔を会わせない方がいいだろう。今までと変わらぬ日常が続けばそれだけ彼女があの出来事を夢と思う可能性が高くなるのだから。
そう思いテレビの上に置かれた電子時計を見ると今日は土曜日。さすがに学校を休めばそれだけで不振がられる可能性もあるため登校せざるをえないが、今日明日は学校が無い。その上月曜日は祝日、三連休だ。土日加えて月曜日も彼女と出会わないように気を付ければ後は問題がないだろう。
「部屋に閉じ籠って居ればはち会うことも無いんだが………
……………。
トイレットペーパー、ティッシュペーパー、キッチンペーパーもな無いな。というかこれが同時になくなるとかなぁ。
後はサルマンに頼まれた缶詰も買いにいかなきゃいけないし、向こうの保存食も残り少ない。あぁ、シーザスに水を頼まれてたな。ついでに電池も補充しておくか。
やっぱり部屋に閉じ籠るわけにはいかないか買わなきゃいけないものが多い」
部屋の中を見回し指折り買う必要のあるものを数えた結果最低限買い物には行かなければいけないという結論に達した準騎は、もう一度時計を見て時刻を確認し出掛ける準備を始めるのだった。
「本城の家はあそこだから小学校前のクリエイトは不味いな。出くわす可能性が高い。となると16号線のクリエイトだな。少しばかり遠いけど文句は言えないか。急がば回れとも言うしな」
買い物先を決め、いつものショルダーバックを担ぎ上げ、部屋を出て自転車に股がった準騎は力強くペダルを踏み出し買い物に出掛けていった。
準騎の暮らすアパートから歩いて三分とかからないいつもの公園。
そこで昔から変わらずに時刻を告げ続ける時計が示す時間は夜の八時。なんのへんてつもないこの公園で、昨夜只人ならぬ存在達によって命をかけた戦いがあったなど一体だれが信じるだろうか?
そんな人気の無い公園にやって来た準騎は静かに辺りを見回し人の姿が無いことを確認して、公園の半分を閉める木立へと近づいてゆく。
目的はあちら側、迷宮へと向かうことだ。理由はいくつかあるが最大の理由は昨晩の戦いに巻き込まれた少女、本城柚子香から逃げるためだ。
彼女は準騎の家を知らない筈だが調べる方法は幾らでもある。せっかく出くわさないように部屋に閉じ籠って居ようとも、向こうから来られてしまってはそれも意味がなくなってしまう。ならばちょうど用事もあるのだし向こうに隠れてしまえばいいだろうと考えたのだ。
本当ならば買い物を終えたあとさっさと向こう側へと行きたかったのだが、休日の公園は平日と違い日のある内は親子連れで賑わっており、そんな人の目のある中で歪みを通って向こう側へと行く訳には行かなかったのだ。
「それにこんな格好してるところを人に見られたら一発で通報されるしな」
呟く彼の現在の格好は、昨晩も着ていた鋼糸を編み装甲を付けたコート。ショルダーバックを肩から下げながら反対側には多目的機構銃、コート下にハンマー、短杖、都市で作った魔力型グレネード等々。
警察に声を掛けられればその説明に困ることこの上ない格好である。
普段であればこちらの世界に居るときからここまで物々しい格好をすることはない。精々がコートを羽織りその下にハンマーと短杖を備える程度である。
だが今回は事情が違う。都市や歪みの位置は変わらずとも、迷宮がその姿を変える変動が起こった直後であり、準騎自身は体験したことはなかったが体験者から聞いただけでも魔物の数の増加や生息範囲の変化、見たことこの無い魔獣の存在など無視できない事が多く起こるという。
都市までの路が変わってしまった以上、まず始めにしなければいけないことは都市への道順の確定である。迷宮内を手探りで探らなければならず、場合によっては都市に辿り着けず野宿をしなければいけない可能性だってある。
さらに生息範囲の変化に数の増加が迷宮の変動とともになされているならばまだいいが、いまだ現在進行形で起こっている可能性だってある。その場合、先日グランダリア達が迷宮内の掃除を行っていたとしても、歪みを通って迷宮へと入った直後に戦闘になる可能性があるうえ戦う相手が格下ばかりである保証はなく、昨晩の相手であるワーウルフと同格かさらに格上の魔物と当たる可能性だってあるのだ。そんな状態でテンペスターという最大の武器をすぐに使用できない状態にして迷宮へ入るなど自殺行為に近しい行為に違いない。
そういった事情で準騎は完全装備状態でこの公園へとやって来ていた。
歪みの前で再び周囲を見回して人の姿が無いことを確認して、準騎は歪みを潜った。
歪みを潜り迷宮の床に足がつくのと同時にテンペスターを構え、左右に伸びる通路の先へと交互に銃口を向ける。
薄暗い通路に敵がいないことを確認し、準騎は僅かに溜めていた空気を吐き出した。
「取り敢えず歪み周辺に魔物の姿はないか。
これもグランダリア達が頑張ってくれたお陰か」
構えを解き、しかし周囲への警戒を怠らずに懐から折り畳まれた紙を取りだし、それを開いて周囲を見回し始める。
「歪みの向きがこっちだから……………………、都市は向こうの方角か。真っ直ぐにたどり着ければいいけど………………………、しばらくはマップ作りだな」
紙をしまいショルダーバックの中からタブレットを取り出し、それを起動させると画面にきれいな方眼が映し出される。
画面を操作して印を入れるとタブレットを手に持ったまま通路を歩き始めた。
「痛ぁっ!?」
がそれも背後から上がった声に止められることとなった。
突如上がった声に驚いて背後、迷宮と彼の世界を繋ぐ歪みへ振り返ると、そこには向こうとこちらとの地面の段差に足を取られたのか、売ったらしい臀部を擦る本城柚子香の姿があった。
「な、おま……………………!?」
この迷宮に関わることの無いようにと気を配り、ここへ来る時も誰もいないかと気を配っていたというのに、その御本人の登場に驚き言葉を失う準騎を他所に、臀部を擦りながら立ち上がった柚子香は驚き固まっている彼の姿を見つけて爽やかな笑みを浮かべる。
「やぁ、伊久津島君」
「やぁ、じゃ、ねぇぇぇぇっ!!」
こちらの気も知らぬ挨拶に悲鳴のような叫び声が上がっていた。
「本城、お前、こんな所で何やってるんだ!?」
「ちょ、伊久津島君声を大きいよ。そんなに叫ばなくても聞こえるって」
「そんなことは、どうでもいい!」
自らの叫び声に我を取り戻した準騎が声を荒げて詰め寄ると、柚子香は彼が声を荒げる理由を自覚しているのか困ったように笑いながら宥めようとするが効果はなかった。
今にも胸ぐらを掴んできそうな雰囲気すら見せている準騎の様子を見てひとつ大きく深呼吸をすると、表情を一転して引き締めて彼と視線を合わせた。
「伊久津島君、こうでもしないと何も説明してくれなかったでしょ」
「当然だ。昨晩お前も見ただろう。
この迷宮は命の危険に満ちているんだ。今後関わらずに済むならそれで済ますに越したことはない」
「それでも伊久津島君は関わってるんだよね?関わらずに済むならって言うのは君にも言えることなんだし。それはなんでかな?」
「今は俺のことなんて関係ないだろう!」
「関係あるよ!!」
さらに声を荒げる準騎に対して柚子香もまた声を大きくし強い意思を感じさせる視線で睨み返す。
「関わらずに済むならそれにこしたことはないって言うのは伊久津島君だって同じなら、何で君はこうしてこんなところにいるのさ!?
それってここに来なければいけない理由があるからなんじゃないの?
昨日言ってたよね?迷宮を掃除とか、まだ出るまで時間があるみたいなこと。それってさ、伊久津島君がこの場所から昨日の狼男みたいなのが公園に出てきたりするのを防いでくれてるってことじゃないの?」
「な……………………!」
図星だった。
準騎がこの迷宮へと潜るのは、こちら側での交遊関係やここ生活を楽しんでいるというのもあるが、それ以上に迷宮内の魔物が地球に溢れでないようにするためという理由があった。
準騎達が掃除と呼ぶ行為とは迷宮と他世界との出入口である歪み周辺の魔物を倒しその数を減らすということを指しているのだ。
「伊久津島君がいつからこういうことをしているのかは分からないけど、ずっと一人でやってきたんじゃないんかな?
昨日のグランダリアさん?あの人?みたいな知り合いはいるのだろうけど、ボク達のところは君しかいない。そうじゃないの?」
「……………………だったら、どうなんだよ」
「ボクにも手伝わせて。こんなこと知っちゃったら、じゃあ後はお願いします、なんて知らん顔できないよ」
真剣な表情で視線を合わせる二人。
先に視線を逸らしたのは準騎の方だった。
「……………………このまま顔を突き合わせてても時間の無駄だ取り敢えず場所を移動するぞ」
「伊久津島君」
その言葉に嬉しそうな声を上げる柚子香だが準騎の表情は憮然としたままで、その視線は彼女の背後の歪みへと向けられている。
「勘違いするなよ。歪みが使えれば今すぐにでもそこから公園に放り出してるところなんだからな」
「え?」
準騎の言葉に柚子香の表情が固まるのはなぜか。それは知らなかったとはいえ自身の行った行為が自分の考えていた以上に危険な行為であったと知ったがゆえだった。
その様子を見て、歪みを潜った先で準騎を直ぐに見つけることができなかった場合は即座に引き返すつもりだったのだろうと当たりをつけてため息を吐く。
「歪みを潜って向こうに帰る場合は問題ないが、向こうから迷宮に来る場合、歪みを通るとしばらくの間歪みが不安定になる。不安定になると歪みは向こうから迷宮への一方通行になる。安定させるには時間を置くしか無いがそれにどれくらい時間がかかるかは一定ではない。二、三時間で安定することもあれば丸一日かかることだってある」
自分の考えの甘さに掌で目許を覆う柚子香を尻目に、準騎は周囲を見回して他に姿がないことを確認すると、肩から下げていたショルダーバックとテンペスターを床に下ろして羽織っていたアーマーコートを脱ぐ。
「ほら、これを羽織ってろ」
「え、わ、なにこれ重い」
鋼糸で編まれ各所に装甲を縫い付けられたコートは当然それ相応の重さがある。そんなものを突然頭から被せられた柚子香が悲鳴を上げるが、準騎はそれに取り合わずに床に下ろしたテンペスターを再び担ぎ直す。
「迷宮内はその構造が換わったばかりでどこに何があるか俺にも分からない。だから念のためにそれを羽織ってろ、見た目はただのコートだが防御能力は高い。
それとこいつも持ってろ」
返事を待たずに柚子香に持たせたのは、金属の塊に持ち手を付けたような外見の、いや外見はまさにそのままな武器だった。
「あくまで護身用だ。もし敵と戦闘になってもそれで倒そうなんて思うな。
敵に攻撃されそうになったりしたとき、それを振り回して牽制するだけでいい。いいな」
準騎の有無を言わせぬ様子に柚子香は黙って頷き、コートに袖を通し武器、メイスの柄を両手で握りしめた。
「戦闘は全部俺に任せて自分の身を守ることにだけ集中しろ。いいな?」
手にした武器の重さと準騎の言葉に唾を飲んで頷く様子に、準騎もまた小さく頷き今度こそ都市を目指して準騎は足を踏み出した。