いきなりトラブル
僅かな街路灯の灯りが申し訳程度に照らす夜の公園の一角に歪みが生じる。
生じた歪みが収まると、そこには各所に金属板を仕込んだ黒いコートを羽織りショルダーバッグを背負った少年が立っていた。
「あぁ、ちくしょう。もう当分はロックアーマーワイバーンの相手なんかしたくねぇ」
などとぼやきながら少年、伊久津島準騎は直ぐ側の公衆便所へと向かおうとして、直ぐ側で目を丸くしポカンと口を開けて固まる少女の存在に気付いてピシリ、という音が聞こえてきそうな感じで動きを止めた。
(しまった、見られたか?見られたよな?
くそ、向こうに行くときは人避けの符を使用してるとはいえ、それも完全じゃ無いことを忘れてた)
互いに思わぬ事態に遭遇して動きを止めること数舜。先に行動を起こしたのは準騎の方だった。
準騎は意識して自然に見える動作で少女から視線を外すと、努めて何食わぬ表情を作りながら最初に向かおうとしていた公衆便所に行くことを諦め、真っ直ぐに自宅へ戻るため公園の出口へと足を向けた。
その姿はまさしく何事も無かったかのごとくであり、つまり準騎は全てを無理矢理気のせいで済ませようとしたのだった。彼があの空間から帰還した瞬間を見られたことも、少女が突如現れた彼を見たことも、その格好も全て。
「ちょっと待って伊久津島君だよね!?」
がそれは不可能だったようだ。
しかも相手は彼のことを知っているようだった。その場を後にしようとした準騎の手をガッチリと掴んだ少女に視線を向けると、彼女はランニング中だったのか下はジャージを穿きながら上はタンクトップ一枚という非常にラフな格好をしており、外気にさらされた肌はうっすらと上気し、幾つかの汗の玉が浮かんでいるのがわかる。正直うら若き少女が人気の無い薄暗い公園でしていい格好ではないだろう。
「あぁ……………………、この時間この場所でその格好はどうかと思うぞ、女の子として」
「いや、今の君に言われたくないし!」
自分の格好のことを棚に上げた彼の発言はいたくお気に召さなかったようだ。恐らくこの場に他の人がいれば彼女の言葉に同意することだろうが、時間と場所を考えるとそれ以上に彼女は自身のことに気を向けるべきだろう。
「あぁ、えぇと……………………」
とりあえず彼女の拘束を解くための台詞だったのだがそれが空振りに終わり、準騎は言葉に詰まった。薄暗い中で彼女の顔を見れば、彼女が彼を知っているように、彼にとっても彼女の顔に見覚えがあったのだが、一向に彼女名前を思い出せない。
「もしかしてどちら様?とか言い出さないよね?
ついさっき、っていっても五時間くらい前だけど一緒に話したばかりでそれはないよね?いくら人の名前を覚えるのが苦手だって言ってもそれはないよね?」
五時間ぐらい前と言われて直ぐに脳裏に浮かぶのは倒したロックアーマーワイバーンの素材を討伐に参加したパーティーで取り分けていた時のことだが、それはあちらでのこと。こちらでの五時間前はと僅かに視線をずらして彼女の背後に立つ公園の時計を見てみれば、現在の時刻は夜の八時半を回った頃。となると彼女の言う五時間前とはちょうど学校の下校時刻辺り。彼にとっては数日前の下校時間、あちら側に行く直前のことだ。その頃に何があったかを思い出そうとして、そこで彼女のことを思い出した。
「あ……………………」
「あ、ってまさか本当に忘れてたの?
いくらなんでもそれはひどくないかな」
社交的かつ温厚な彼女だが、さすがに準騎の態度はカチンときたらしく語気を荒げる。心なしか彼の手を掴む手にも力がこもっているようだ。
「えぇ~、なんのことかな金城さんっ!?」
彼女に捕まれたてがミシリと鳴った。相当力が込められているらしい。
「だ、れ、が、根性か!!
やっぱり忘れてるじゃないの!ボクの名前は本城、ほ、ん、じょ、う!!
ドゥ・ユー・アンダスタン!?」
「アンダスタン、アンダスタン!
痛い、痛い、手本当に痛いから!」
叫びながらの懇願にようやく掴む手の力が緩められた。ただし緩められただけであり両手で掴まれていることには変わりがないので抜け出すことができないのは変わらないのだが。
「ふぅ、まぁ私の名前を忘れてたことは後でじっくり追求するとして……………………」
あれだけ手にダメージを与えてもそれで十分という訳ではないようだった。ため息をつきたくなるのを我慢する準騎の顔を本城柚子香が覗きこみ、次いで今彼が出てきた空間に一度視線を向けてから口を開いた。
「今何も無いところからいきなり出てこなかった?」
疑問系の体を成していてもかけられた言葉は断定の言葉だった。一体何がどうなっているのかと目で問い詰める彼女の視線から逃げるように準騎は顔を逸らした。
「さぁ、なんのことだろうか。俺はさっきからそこにいたし……………………。コート黒いし急に出てきたように見えたんじゃないかな?」
そして返したのはそんな白々しい棒読みの答え。端で見ている人がいれば柚子香の額に青筋が浮かぶ姿を幻視できたかもしれない
「ボク三十分以上前からここでダッシュを繰り返してたんだけど、その間ずっと見つからなかったとでもいうつもり?
それにさっきも言ったけど何その格好。警察に見られたら一発で職質を受けるような格好だよね?」
「あぁ……………………、趣味がコスプレなんだ」
「ずいぶんと本格的なコスプレだねっ」
肘を守ることを目的に埋め込まれた金属板を叩かれ硬質な音が響く。それと同時に再び準騎の手を掴む手に僅かにだが力がこめられた。
「本格志向なんだ。
それより手、痛いんだけど?」
「痛くしてるんだよ。
それよりさっき話してたときと大分感じが違うけどこっちが素?」
「……………………」
いい笑顔を浮かべる柚子香に対し準騎の表情はどんどん悪くなっていく。何とかして追求を躱したい準騎だったがこうも色々と重なってしまってはそれも難しそうだった。
「それと……………………」
柚子香の手にさらに力がこもるが、準騎はそこで違和感に気づく。彼の手を掴む彼女の手が僅かに震えていたのだ。さらに目だけが笑っていないいい笑顔だったそれがだんだんとひきつった物へと代わり、その視線も準騎ではなくその背後に向けられていた。
「君の後ろにいるのは、お知り合い?」
その言葉と同時に準騎の背後に気配が生まれた。それも友好的な気配ではなく純粋な敵意塊のような気配だ。さらに生臭い吐息と息づかいを感じ準騎は振り返った。
準騎が振り返った先にいたのは灰色の毛皮に覆われた人型だった。準騎よりも二回りは大きな、歪な人型。
灰色の毛皮に包まれた腕の先には鋭いナイフのような爪を生やし、だらりと舌を垂らす半開きの口から唾液がこぼれ、生臭い臭いを撒き散らしている。
血走った眼、頭部にピンと立った一対の耳、鋭い牙の並ぶ突き出た口。
それはあちら側に存在する魔物だった。
こちら側でも物語など創作物の中に登場する存在。
「ワーウルフ!?」
(なんでCランクの魔物が!?歪みの付近はこの前掃除したばかりだぞ!?)
「キャッ……………………!?」
その姿を視界に収めるのと同時に準騎は柚子香に捕まれていた手を強引に振りほどき、背後に突き飛ばしていた。柚子香から悲鳴が上がるが今の準騎にそれを気にしている余裕はなかった。コートの内側へと手を伸ばし目の前の敵を睨み付けるが、そこで相手の視線が自分に向いていないことの気づく。
ワーウルフの視線の先にいるのは尻餅をついている柚子香だ。その意味するところに気付き舌打ちをする。
(こいつには本城が美味しそうに見えているってことか、ということの次のやつの行動は……………………。やっかいな!)
「グゥゥゥォォォォォォォォォォォン!!」
ワーウルフが咆哮を上げて地面を蹴った。地を這う灰色の矢となって向かう先は当然事態を把握できず混乱している様子の柚子香だ。飛びかかりながら振り上げられた腕の先でナイフのごとき鋭さを持つ爪が鈍い光を放つ。
そんなものがただの女子高生である柚子香の身に降り下ろされれば、待っているのは悲惨な結末しかない。
が、そんな行いを準騎は黙って見ているつもりはなかった。ワーウルフの行動は彼の予想した通りのものであり、身体は既にそれを阻止するべく動いていた。
準騎の脇を駆け抜けようとするワーウルフに向けてコートの下、ベルトに吊るしていた物が振るわれる。
それは陸上競技のハンマー投げで使われるハンマーに似ていた。違うのは鉄球と持ち手を繋ぐのがワイヤーではなく太い鎖であり、長さも三分の一ほどと短くなっていること。そして何より……………………。
「グゥグァァァァァァッ!?」
投げるのではなく近づく敵を叩きのめすための武器であることだ。
振るわれた鉄球が鳩尾を的確に撃ち抜き、ワーウルフは悲鳴を上げて後方へと吹き飛ばされた。山なりの軌道を描いて吹き飛ぶワーウルフだが、この程度では一メートルも飛べば御の字といったところだろうか?
既に軌道の頂点を迎え落下し始めるワーウルフに対し、準騎は再び懐へと手を伸ばしていた。
「大気よ集いて槌となれ、立ち塞がる愚者へ裁きの一撃を。エアハンマー!!」
懐から取り出されたのは緑色の宝石の埋め込まれた短杖だった。
吹き飛ばされたショックから復帰したのか着地のために体勢を整えようとしているワーウルフへと杖先が向けられ、準騎の詠唱に力が宿る。
そして放たれたのは空間が歪んで見えるほどの大気の塊。ワーウルフを丸々一体包み込めるようなサイズの大気の塊が、今まさに体勢を整え着地しようとしているワーウルフに直撃し、準騎が振るったハンマーの比では無い衝撃が襲いかかりその身を後方へと勢いよく吹き飛ばし、公園に生える木の一本に叩きつけた。
「……………………グ、グルルルルルルゥゥゥゥゥゥゥッ!」
悲鳴を上げることすら叶わなかったワーウルフだったが、これで仕留めるということはできなかった。実際準騎もこれで倒せるとは思っていなかったため驚きも落胆もしていなかった。
とはいえ準騎の攻撃がなんのダメージを与えていないかというとそうでもなく、一連の攻撃を受けたワーウルフはその攻撃の主を敵と見なし威嚇の唸り声を発しながら怒りに染まった瞳で彼のことを睨み付けていた。
(状況は最悪だな)
本来ワーウルフという魔物は準騎にとってとるに足らない相手であった。
特に先日探索者ギルドにてギアソンから依頼を受けて共に戦った相手であるロックアーマーワイバーンなど準A級の魔物であり、それに比べればワーウルフ程度準騎にとってはダースで来ようと容易く退けることのできる相手であった。
いつもの彼であれば……………………。
準騎の探索者ギルドにおける位階は特一級。ギルドで設けている位階でも上から二番目、《都市》に4人しかいない間違いなく最高位の探索者だ。そんな彼の強さを支えているのが多目的機構銃、テンペスターの存在だ。
だがそのテンペスターも今はショルダーバックの中。都市の技術にて空間を拡張し容量を増やしたショルダーバックの中にしまわれている。
火力も手数も兼ねるテンペスターをショルダーバックにしまい、普段ならば滅多に行わない近接戦を行っているという現状が準騎に彼の本来の実力を発揮させておらず、さらには柚子香という存在がさらに彼の行動の幅を狭めていた。
柚子香の存在が無ければ仮にも特一級、時間はかかれどCランクの魔物であるワーウルフぐらいテンペスターがなくとも倒すことはできるが、そのためには地形を利用しいくつもの小道具を駆使する必要がある。しかし現状では柚子香を守るために彼女と敵の間から自身を動かすことができず、地形を利用するという手がとれない。むしろそれは相手が隙にできる領分にある。
ならば彼女を先に逃せばどうかと言えばそうでもない。なぜなら彼女を逃そうとすれば彼女を狙うワーウルフは間違いなく準騎を無視してその後を追うだろう。迎え撃つ形の現状だからこそ攻撃を当てられる彼にとって、そうなれば素早い動きが持ち味のワーウルフが相手ではそれを追って追い付くことが準騎の足ではできない。柚子香も逃げ切れずにその爪牙の餌食なることだろう。
故に彼女を逃すことはできず、しかし彼女という存在が彼の足枷となる。
(くそ、テンペスターを出す隙さえあれば……………………。
本城に出させる?いやショルダーバックの拡張空間は俺にしか出し入れができないよう設定されてる。
魔法で吹き飛ばしたところで距離はたかが知れてる。出そうとしたところでその前に懐に入られて攻撃を食らうだけだ。コートの上からならやつの攻撃も防げるが……………………、ワーウルフは基本的に喉などの急所を狙うくちだ。そんなところに食らえば当然やられちまう。
かといって取り出せるほどの距離を離せば彼女を諦めてこの場を逃げる可能性もあるむしろそっちの方が俺にとっては最悪な状態だ。一体どれだけの被害が出るかわかったものじゃない)
体勢を低くし隙を伺うワーウルフに、準騎は嫌な汗が背を伝うの感じ歯軋りする。
ワーウルフが地を蹴った。吹き飛ばされ激突した木をさらに蹴りつけ別の木の幹を足場に次の木へ。
その三次元敵な起動に舌打ちし準騎は柚子香のすぐそばまで後退する。
「死にたくなければ俺のそばから勝手に離れるなよ!!」
「こ、腰が抜けて動けないよ……………………!!」
「そいつはよかった!」
「良くないよ!」
軽口を叩きながら僅かに漂うアンモニア臭に気づくが、準騎はそれを無視して頭上を取ったワーウルフへと身構える。
あわよくば頭上を飛び越え彼女を仕留めようと思っての行動なのだろうが、それを阻止するべく動いた準騎へとワーウルフが襲いかかった。