帰り支度
「ふぅあああああっ……………………」
大きな欠伸と共に目を覚まし上半身を起こして周囲を見渡すと、そこは見慣れた都市のホームにある自室だった。首もとを書きながらベットから身を起こした準騎は適当な衣服をクローゼットから取り出して部屋に隣接する風呂場へと入っていった。
ライオンハートの起こした騒動から二日が過ぎた。準騎の生活はすべてが万事とはいかないが、概ね元通りに戻っていた。その周囲はそう簡単にいかないところも多々あるようであったが。
準騎の生活で元に戻らなかった点はやはり本城柚子香のことだ。現在彼女は準騎のホームを出てメリーアの家で世話になっている。助けられた礼に柚子香が日本に帰っている相田の子虎達の面倒も含めて引き受けてくれている。
その申し出の当初は助けたのは準騎だからと遠慮していたものの、当の準騎がホームに放し飼いにするぐらいならと申し出を受けて柚子香ごとメリーアに預けた(押し付けた)のだ。
迷宮の探索は準騎と共に行っているが、それ以外の都市での生活や案内、武具の整備等は彼ではなくメリーアから教わるようになっていた。
柚子香達の子と以外では、ライオンハートの面々が都市に危険にさらしたことと、これは準騎も知らなかったことだがこの都市の元々の住人であるメリーアに対して危害を加えたことから都市での金や素材、武具などを含めて全ての資財を没収された上で都市を追放されることとなった。残されたものが麻袋の様な服がそれぞれ一着ずつという徹底ぶりで放逐されたライオンハートの生き残りだが、十中八九生きて迷宮を出ることは不可能だろうと誰もが思っている。
またあのときライオンハートのそばで準騎に敵意もむき出しに強硬とも言える逮捕を慣行しようとしたギルド職員も今は牢獄へとぶちこまれている。
あのギルド職員、元々はギルド内でも結構な地位にいた職員立ったのだが、賄賂等の汚職が見つかり地位を剥奪され一度は見習いの地位まで落ちたところからカウンター業務までまた這い上がってきたそうなのだが、先の汚職発見の敬意に本人は忘れていたことであるが、都市に来たばかりの頃の準騎が絡んでいたらしい。というか賄賂を要求されてそれを断り、さらにその場で他の職員に大声で報告したのが原因なので、彼こそが降格の原因であり、その事を深く根に持っていたらしい。
それでもカウンターで働きながら探索者から賄賂を受け取り一部の者に便宜を図ったりい、前にも増して黒いことなどをしていたというのだから懲りない男である。今回の件で取り調べを受けて発覚したこれらの事態から、今度こそブタ箱に放り込まれることになったのだが、準騎してみればどうでもいいことである。
「四日、か」
こちらに来てからの日数を数えるためのカレンダーを眺めて呟かれた言葉。
風呂場でシャワーを浴び、着替えも終えた準騎は今まで着ていた寝巻きを無造作にビニール袋に詰め込むとそのままバッグに放り込み、装備を整えて部屋を後にした。
本城柚子香は息苦しさによって強制的に目を覚まさせられた。呼吸を行おうにも肺に取り込まれる空気が少なく、目を開けども目の前は真っ暗。顔中に感じるモフモフ感をも吹き飛ばす息苦しさに、柚子香は呻きながら両手を使って無理矢理その元凶を引き剥がした。
「ぷはっ、はっ、はっ、はっ……………………。
セェクゥメェトォォォォ……………………」
「ぐるぅ?」
首根っこを掴んで吊り上げたセクメトを睨み付けるも、睨まれた本人は「なぁに?」と言わんばかりの表情で喉を鳴らして首をかしげるばかり。
まったくもって悪いことをしたと思っていないセクメトの反応に、少しの間にらめっこを続けていた柚子香だったが、それも途中で諦めたようにセクメトをベットの上に降ろした。
「グァウ」
「ぐるるるるるぅ……………………」
起き上がった柚子香に甘えようとすでに起きていたオセとパステトがすり寄ってきて、それぞれ脇に膝の上にと身体を擦り付けてくる。
「はぁ、オセもパステトもおはよう。セクメトは起こすならもうちょっと穏便な方法で起こしてよね。窒息するかと思ったよ」
オセとパステトの頭を撫でながらセクメトへと文句を垂れるも、セクメトはなんのことやらとばかりに軽く毛繕いを行ってから膝の上に乗るオセの上へと飛び乗って、さらに慎ましい柚子香の胸元に顔を突っ込んできた。
「セクメトったら、もう」
再度諦めのため息を突きしばらく子虎達の身体を撫で回して堪能した柚子香は、よし、と気合いを込めて呟いて子虎達をどかして、巻き付けていたシーツを脱いでベットから飛び降り着替えを始める。因みに彼女は寝るときには何も着ない派である。
迷宮に来るときに着ていた青色のジャージを着込み、修繕したジャケットと革鎧一式にポーチを手に、オセ達を引き連れ部屋を出た柚子香は起き抜けの空いた胃袋を誘うとても美味しいそうな匂いの発信源へと足を踏み入れた。
「起きたかいユズカ」
「おはようメリーア」
気安い調子でこの家の家主であるメリーアと挨拶を交わし、席についた柚子香の前にはなんとも食欲をそそる料理が並べられていた。
芳ばしい匂いを立てる(とある豚の魔物の)ベーコンとじゃがいも(のように見える植物系の魔物の実)の炒め物に瑞々しい葉野菜(のように見える植物系の魔物の葉)とツナ(ではなく空中を泳ぐ人食い鮫のフレーク)のサラダに(コカトリスの)唐揚げ。黄金色に焼け目のついたパンに添えられているのは真っ赤な(一つ目人面トマト(顔側は処理済み))と大きな(ジャイアントキャタピラーの)目玉焼き。
見るだけで唾液が溢れ出しそうになる美味しそうな(魔物の素材をふんだんに使った)料理を前に(なにも知らない)柚子香は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「さ、遠慮せずにしっかり食べな」
「いただきまーす」
(これが常識な)メリーアの言葉聞いた柚子香は元気よくトマトを乗せたパンにかぶりついた。
知らぬが仏。
探索者ギルド内の酒場で席についていた準騎は果実水の入ったグラスを傾けながら揚げた芋虫を口にしていた。
都市に来たばかりの頃は敬遠していたにだが、今では好んで食べるほどだ。恐らく柚子香もそのうちそうなるのだろうな、とぼんやりと考えながらカウンターに並ぶ探索者達を眺める。
つい数日前にあんなことが起こったばかりだというのにギルド内は相変わらずの様子だ。別にそれを悪いと思っているわけでもなく、自分自身それまでと大差無い生活を送っているのだから彼にその事をとやかく言うことはできないだろう。
「グランダリアの話だと、昨日の晩の時点で日本と繋がっている歪みは安定してたらしいし、当初の予定よりは大分早いけど一度戻らなきゃだよな。
本城を家に帰らせずに騒ぎになったら不味いしな」
準騎は独り暮らしなので問題はないが、実家暮らしの彼女は家族をごまかす必要がある。それも今回だけではなく今後とも長期に渡ってだ。少なくとも現状彼女だけで迷宮に来させれば、高確率で迷子になるためどうしても準騎も一緒にこちらに来なくてはならず、そのためには彼女の予定に併せる必要がある。そうなれば今までのように好きなとき気楽に来る、と言うわけにはいかなくなるだろう。
「今後も問題いが山積みだな。あいつに何かあったら隠しきれる自信がない、というか無理だろ」
これからは向こうでも共に行動する機会は多くなるはず。今はまだしもこの先もし柚子香に何かあれば、彼に疑いの視線が向けられる可能性が高くなるのは必死。迷宮のことを秘めている都合上疑いの目を向けられてそれを誤魔化せる自信など準騎にはなかった。
「本城にも色々考えさせるか。いいアイデアが出てくる気がしないけど、無いよりはマシか」
「伊久津島君お待たせ~」
最後の芋虫を口に放り込み、グラスの中身を空にした彼にかけられる声。声の主は当然件の相手である本城柚子香だった。
「あいつらは、ちゃんと置いてきたみたいだな」
「駄々こねて大変だったけどね」
苦笑しながら頬を掻く彼女の格好は、迷宮の探索のために都市で買いそろえた物ではなかった。
こちらに来るときに着ていたジャージを着込み、その上から昨日完成したばかりの革鎧の一部を心臓など急所を守るために最低限装着している。武装もつい昨日購入した一昔前の持ち手付きのハンドグレネードの様な形状をしたメイスが一つ下げられているだけで弓や矢筒等の嵩張るものは腰のポーチにしまってあるのであろう。
「弓なんかの装備もポーチの中か。これで帰る準備は整ってるというわけだ」
「え?弓とかは嵩張るからメリーアのところに置いてきたよ?」
準騎の予想は盛大に外れた。
「おい、今日は迷宮を"通って"日本に帰るって言ったよな?迷宮を、通る、って」
思わぬ柚子香の返答に大事なことなので二度重ねて問い詰めれば、問い詰められた等の本人は気にした様子もなく自身の考えを口にした。
「うん、ちゃんと言ってたよ。
でもさ、今回も次来るときもオセ達はいないし、伊久津島君はでっかい鉄砲での後衛で前衛がいないでしょ?それじゃパーティーバランスも悪いし、日本と都市との往き来に関しては遠距離を伊久津島君に任せてボクは前衛に集中しようかなって。これの練習にもなるし」
何を言っているのだろか首をかしげる柚子香に準騎ガックリをと肩を落とした。そして盛大にため息をつくと諦めたように首を振った。
「あぁ、くそ。ちゃんと説明しなかった俺も悪かった、悪かった、がぁっ!」
「ひぃっ!」
怒声とともに顔をはねあげた準騎に驚き後ずさる柚子香だったが、それよりも早く伸びてきた手が彼女の額を掴み締め付けた。
「痛いっ、痛い痛い痛い痛いよ伊久津島君!?」
「ちょっとは考えようなぁ、迷宮じゃこの前みたいに何が起こるかわからないんだから、常に万全の状態で挑まなきゃいけないの、お前の万全な状態とはどんな状態でしょう!」
柚子香の悲鳴は無視され準騎の問が彼女の耳に届く。
「ボ、ボクの、万全な状態はぁっ、弓矢も、装備して、こそです!!」
緩まる気配を見せない準騎のアイアンクローに涙目になりながら答えた柚子香に溜め息をつくと、ようやくアイアンクローを解除する。
「まぁ、実際には日本に戻るとき弓矢はしまわなきゃいけないし、物をしまってる最中は非常に危険だから装備まではしなくてもいいが、必要になったときにはポーチの中からでも出せるようにしておくのがベストだ。
それを踏まえた上でお前が今しなくちゃいけないことはなんだ?」
「えと、メリーアのところから弓矢をとってくること?」
「正解だ。ほら待っててやるからさっさととってこい」
「は~い」
駆け足で去っていく柚子香の姿に今後このようなことを繰り返していくのだろうという未来を幻視して、準騎は小さく溜め息をついた。




