迷宮と都市
そこは上下左右を石でできた床や壁、天井に覆われた空間だった。
そんな空間に浮かぶ空間の歪み。歪みの奥にはこの場所とは違う空間、どこか人気の無い公園が様子が映っている。そんな空間の歪みに揺らぎが生じると、その場所に一人の少年の姿が現れた。
各所を守る金属板の入った黒いコートにこの空間に溶け込みそうな灰色の迷彩色のカーゴパンツに身を包んだその少年。名前を伊久津島準騎は、膝ほど高さから静に着地すると同時にいつでも動けるように膝を曲げて油断なく周囲に視線を向ける。
そして周囲になにもいないことを確認すると小さく安堵のため息を吐いて手にしていた短杖で肩を叩いた。
「なにもいないか。
まぁこの前掃除したばかりだしそれも当然と言えば当然か」
一人納得したように呟いた準騎はその薄暗いどことも知れぬ石造りの通路を勝手知ったるなんとやらといった様子で歩き始める。
途中十字路などの幾つかの分かれ道があったが、準騎の足取りが途絶えることはなく迷う素振りを見せることなく彼は通路を進んでゆく。
石造りの通路を歩くこと数分。時間にして5分と経っていないだろうころ、静かだった通路の先から喧騒が聞こえ始めてきた。
それはたくさんの人が集まり生じる活気に満ちたものであり、それを聞いた準騎の表情は自然と笑みの形へと変わってゆく。
準騎の通路をゆく足取りが僅かに速くなる。一度背後に視線を向けるもその足取りが鈍ることもなく喧騒の元へと辿り着いた。
そこは今まで変わらぬ石造り通路だが、今までとは圧倒的に違う空間でもあった。それは通路の片側に並ぶいくつもの屋台とそこで食べ物などを購入する何人もの人たちだ。
「んぅ、ジュッキじゃねぇか」
変わらぬ足取りでその喧騒の中へと足を踏み入れた彼にそう声をかけてきたのは、並ぶ屋台の一つで何かの肉を串に刺した物を火にかけている男だった。
そう、男だ。筋骨逞しく額にはねじり鉢巻、暑いのか上着を軽く羽織っただけでその素肌をさらした男。ただし普通ではない事実が付随する。それは上着のしたに見える素肌が薄茶色の鱗に覆われていることや、逞し筋肉を纏う骨格が明らかに人間のそれではないこと、まさしくとかげそのものといった髪の無い頭部である。
いや言ってしまおう。彼は人間ではなかった。地球においては創作物の中だけに存在する人種、リザードマンだった。
「やぁグンガ。一本貰えるか」
「あいよ。今日は塩とタレどっちがお望みだい?」
「そうだな、今日はシンプルに塩を貰おうか」
「あいよ、塩だな」
注文を受けたリザードマンの男は火にかけていた串焼きの一本を手に取ると、それに近くに置かれた壺から摘まんだ塩を振りかけて竈の中の炎にそれを突っ込んだ。
串焼きは直ぐ様炎の中から取り出され、その表面は黄金色に変わり程よい焦げ目がつき何とも食欲を誘う匂いが周囲に漂う。
「お待たせ」
礼を言って差し出された串焼きを受け取り、準騎は改めて周囲を見回した。
「変わったことは?」
「特に無いな。ここらはみんなが自主的に掃除しれくれるから魔物だって現れやしないさ」
「そいつはよかった。この間掃除をしたかいがあったよ」
受け取った串焼きに噛みつくと肉からじんわりと肉汁が滲み出してくる。それは豚や牛、鳥とも違う独特な旨味にほんのりと塩の味がブレンドされ、素材そのものの味が楽しめる一品だった。
「あいかわらず焼くのが上手いな」
「そりゃな、10年以上も毎日焼いてるんだ。これでうまく焼けなければ馬鹿だろうが」
ニカリ、と笑うグンガにお金を渡して串焼きを手にしたまま準騎は再び歩き出す。
先程と同じように時折屋台の方から声をかけられたりすお、今度は立ち止まることもなく軽く挨拶を返して道を進んでゆく。
そしてその通路を抜けた先には、街が広がっていた。
歩く度にコツコツと音を立てていた石の床は土を敷き詰めたものへと変わり、左右に続いていた石壁は遥か遠方をぐるりと囲むように存在し、頭上を見上げれば遥か高くみ存在する材質不明の天井からは優しい光が降り注いでいる。
とてつもなく巨大な空間に作られた都市。
ここは人々にただ《都市》と呼ばれている場所だった。
都市へと入った準騎は先ほどと変わらぬ歩調で都市を歩く。
道を行き交うのは準騎のような《人》だけではなかった。
それは白い肌に人よりも長き尖った耳を持つエルフやダークエルフ。子供の背丈ほどの身長に分厚くがっしりとした四肢のドワーフ。からだの各所に動物の耳や尾を持ち全身を毛皮で包んだ獣人たち。
他にも背に白い翼を持つものや、額に第三の瞳を開くもの、頭部に角を生やしたものと多種多様な人々がこの街には存在するのだ。
そんな人たちと時折挨拶を交わしながら道を進むことしばらくして、準騎はとある建物の中へと入った。
「いらっしゃい」
建物に入った準騎を迎えたのはそんなやる気の無い声だった。声の主は色とりどりのポーションやその材料が並ぶ棚に埋もれるように設けられたカウンターの上で、顔だけを上げて上半身を突っ伏した準騎と同じ年頃の赤毛の少年であった。
「あ、ジュッキか………………」
「カザナ、お前もうちょいまともに店番できないのか?」
「無理!」
準騎の呆れ10割の言葉にカザナと呼ばれた少年はカウンターに突っ伏した姿勢をそのままに、先程のやる気の無さはなんだったのかと訪ねたくなる勢いで断言した。
断言したがそれも一瞬のことで直ぐ様ベッタリとカウンターに頬を付けて、私はやる気がありませんといった空気を周囲に振り撒き始める。
「母さんなら下にいるから勝手に入ってよ。
どうせテンペスターの受け取りだろ?」
「まぁ確かにそうなんだけどさ」
さっさと行けとばかりにしっしと手を振るカザナにいつものことかと諦め、準騎は言われた通りにカウンターの脇を通って店の奥へと足を向ける。
店の奥、カウンターの後ろに設けられた扉を潜ると、そこにあるのは地下へと降りる階段であった。
階段を照らすのは等間隔に並ぶ小さな燭台に灯された小さな灯り。蝋燭でもなく、ましてや電気のものとも違うその灯りは弱々しくもしっかりと階段を照らしており、不思議と暗さというものを感じさせなかった。
先の通りと同じように通いなれた体で階段を降りて行き、準騎はその先に備えられた扉へ辿り着くとノックも無しにそのドアノブへと手を伸ばした。
彼のてがドアノブを握ると同時にそのドアノブが淡い光を放ち、続いて鍵の開く音が扉より響き準騎はそれを待ってドアノブを捻った。
「ジュネッサさん、お邪魔するよ」
「ん~、ジュッキかい?いらっしゃい」
扉の先にあったのは非常に広く、そして広い分多くの物に溢れた部屋だった。一階の店内を上回る大量の棚には色とりどりの液体から、薬草等の植物から鉱石、動物の骨、多種多様の蟲とその死体等々が納められ、他にもフラスコやビーカー、万力、筆などのいろいろな種類の道具が並んでいた。
そんな棚の向こう側、机が並ぶ区画に立つ女性が入室した準騎を出迎えた。
女性は赤く長い髪をポニーテールに纏めた長身の美女で、グラマスなボディを黒いワンピースのドレスで包み、その上から白衣を羽織っており、咥えた煙管から一息煙を吸い込んでから準騎へと振り返った。
女性の名前はジュネッサ。準騎が訪ねに来た相手であり上で店番をしているカザナの母親である。もう一度言うが母親である。一児の母とは思えないグラマスなボディをした美女であるが、上にいたカザナの母親である。
「要件はこいつかい?」
うっすらと妖艶な笑みを浮かべたジュネッサが煙管の先で指したのは、すぐそばの机の上に置かれた巨大な鉄の塊だった。
いくつものパーツを組み立てられて出来上がった鉄の塊。長方形のボディの側面は複数枚の装甲とその合間に幾つかのスリットが存在し、その片側には一本のレバーが生えていた。
上部には前部後部で繋がるスリングが取り付けられ、つき出されたように設けられた持ち手と、反対側には逆に埋め込むように作られたグリップ状の持ち手も設けられており、こちらにはさらにトリガーと持ち手の設けられた窪みのそこには複数のボタンが並んでいる。
この二種類の持ち手の間には縦長のスリットが三つ並び、何かを差し込まれるのを待っているようであった。
そしてこの鉄の塊が何かを予想するのにもっとも重要なのがおそらくこの部位だろう。二種類の持ち手の内つき出すように設けられた持ち手の側から並んで伸びる二本の筒。方や直径三センチの筒身にその下には直径四センチの筒身、そして上部の筒身の先端部には真上に突き出た小さな突起物に、五方向に向けて開けられた小さな穴。
その姿は見る者によってはあるものを連想させるだろう。筒の内部を覗き込めば螺旋状の溝が彫られていることを考えればおそらく多くの人が予想できるのではないだろうか?
これは巨大な銃機であると。
戦車等に取り付けるにしても異常な形状だが、スリングの存在がこれが人の持つ物であることを示し、そのサイズが現状世界で使われている各種銃機と比べても明らかに大きいことがさらに異常な存在感を放っている。
「オーバーホールはもう終わってる?」
「当然だろう?
もう三日も前に終わらせてるよ。手間暇のかかる仕事はだらだらとするよりさっさと終わらせるに限るんだよ」
笑いながら銃機のボディを叩いたジュネッサは、その後優しい手付きでその巨大なボディ撫でる。
「ジュッキから話を持ち込まれた時は面白そうな、そんで強力な武器だと思ったけど……………………。
まさか作るときよりも作った後の方がこんなに手間がかかる代物だとは思わなかったよ」
「いいじゃないですか、こいつの整備ができるのはジュネッサさんだけなんですから。必然俺はこいつをここに持ってくるしかなく少なくない金を落としてるんですよ?
他にも弾薬費もかかるし、弾薬の材料も俺が採って来てるし相当儲かってるでしょ?弾薬の材料に関しては別の薬品に流したりだってしてるんでしょ?」
「当然だろ。それを踏まえても手間がかかってるって言ってるんだよ。
これで成果が出てなかったらいくら私でも投げ出してるよ」
肩を竦めながら銃機、多目的機構銃から離れたジュネッサに代わり準騎が多目的機構銃に近寄ると、彼は銃機の後方に設けられたグリップ状の持ち手に触れて意識を集中させる。その直後彼の体から淡い翠色の光が溢れだして、グリップを握る手から銃機へと注がれていく。
そう間もなくして銃機からカチリと音が響くと同時に準騎から溢れ出していた光がおさまり、彼も納得したように頷いてスリングを方にかけて銃機を持ち上げる。
「起動はできたね」
離れていたジュネッサがそういうと同時に何かを放り投げてきた。
頷きながら準騎が受け止めたのは小型の辞書ほどのサイズをした金属の箱であった。
彼は手慣れた動作で二つの持ち手の間に空いているスリットへとその箱を差し込んだ。更に二つの箱が放り投げられ同じように受け取った準騎が残る二つのスリットへと差し込んだ。
「試し撃ちしていくんだろう?奥の部屋が空いてるからやっていきな」
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
しばらくして準騎はジュネッサから受け取った多目的機構銃、テンペスターを背負って都市内を歩いていた。特に何かを探すようなそぶりを見せず目的を持った歩み。
時おり道行く人に声をかけられることもあるが、それらに適当に返事を返しながらもその歩みが止まることはなく、やがてその目的地へと辿り着く。
今度の準騎の目的地は都市の中でも一際大きな建物だった。
その建物のサイズに相応しい大きさの扉の上には日本語ともアルファベットとも違う文字でこう書かれていた。
《探索者ギルド》と。
探索者ギルドの扉を開いてなかに入るとそこは外の通り以上に人で混雑した空間だった。
準騎は回りの様子を気にしたようなそぶりも見せずにそのままホールの奥に並ぶカウンターへと近づいていき、今まで担いでいたショルダーバッグをその上に大きな音を立てて置いた。
「預り頼む」
頼みながらバッグの中から幾つかのポーチを取りだしてそれをコートの下腰に着け、そのポーチの中から出したカードをカウンターに頬杖を突いていた自らを魔族と称す種族の男へと見せる。
「特一級探索者伊久津島準騎、ハイハイ了解。預かりだけで良いのか?なんなら配達も請け負うよ」
カードを確認した男が口笛を吹くと頭部に羊のような角を生やしたスーツに似た服を身に纏った女性が奥から現れて準騎へと一礼して微笑み、カウンターに置かれたショルダーバッグを手に奥へと去っていく。
「どうせ後で寄るんだその時に受け取って帰るさ」
「そうか。
そういえばお前のこと探してるのがいたな。昨日、一昨日のこの時間辺りに来てたから今日もそろそろ来る頃じゃないかな」
「厄介ごとか?」
「さぁな。まぁ見た感じ厄介ごとでも面倒な連中じゃないと思うぞ。
厄介な魔物が湧いたとかその手の話だろ。お前がスーレイシアの連中と揉め事を起こしてなければだが」
「少なくとも心当たりはないな。てことは臨時パーティーの依頼か」
考え込むような仕草を見せる準騎に魔族の男が顎をしゃくった。顎をしゃくった先を見ればちょうど例の大きな扉が開くところで、その向こうから銀色の全身鎧に身を包んだ男が入ってくるところだった。
「ちょうどご本人の登場だな」
「ギアソンか」
およそ2メートルに近い身長をしたその男は背に巨大な立てと長剣を背負い、鎧の各所には魔導の品であることを示す魔石が嵌め込まれていた。探索中は被っているであろうヘルムは現在外されており、日に焼けてつるりとした光沢を持つ頭部が魔導の灯りを反射していた。
ギルドに入った男はその場で一度ホール内を見回すとカウンターの前に立つ準騎に気付き、巌のような顔を僅かに笑みの形へと崩して足早に近づいてきた。
「やっと捕まえたぞ、ジュッキ。お前の力を借りたい」
「スーレイシア白銀重装騎士団の団長様が一介の探索者の力を借りたいときたか」
巌のような顔に反して友好的な笑みを浮かべる大男の言葉に、準騎もまた友好的な笑みを浮かべながらしかし皮肉混じりの言葉を返すと、男は困ったように笑いながら禿げ上がった頭を掻いた。
「そう言ってくれるな。いくらは我ら重装騎士団でも手を焼く相手はいくらでもいる」
ギアソンの視線が階段へと向けられる。上の階へと続くその階段の先にあるのはギルドが探索者に提供する情報交換や臨時パーティー探す交流の場である安い食事処。彼の話がそれ相応に面倒そうなことを察した準騎はため息ひとつ吐きながら了承の意を示すために頷き、カウンターで未だに頬杖を突く魔族の男に断りを入れて先に歩き始めたギアソンの後をおった。
「で、獲物は?」
席に着くと同時に頼んだ飲み物が直ぐ様テーブルに並べられ、それを一口喉に通した準騎は単刀直入にそう尋ねた。
「岩山地区、ロックアーマーワイバーンだ」
「おいおい、まさかまた迷い混んできたのか?それとも魔物化してのリポップか?」
反ってきた名前に準騎の表情がひきつった。彼の反応は予想していた通りだったのか、ギアソンはひとつ頷くと先を話始める。
「そこらへんは調査してみないことにはどうとも言えん。が、今重要なのは岩山地区にロックアーマーワイバーンがいると言う事実だ。
あそこはお前も知っている通り山の《都市》との大切な交易路だ。奴のせいで既に交易に影響が出ている」
「硬い甲殻に身を包んで素早く空を飛ぶ奴が相手じゃ、確かにそちらの騎士団ではきついか」
「精鋭を集めれば倒せなくはないだろうが、被害が大きすぎるだろう。本国から魔導士を送ってもらっても相手が相手だ、寧ろ足手まといになる可能性もある」
「はぁ、確かに面倒な連中じゃなかったけど……………………、面倒な敵が出てきたもんだなこんちくしょう」
「手伝って貰えるか?」
「場所が場所だし相手が相手だ。俺が出ないわけにはいかないだろう?」
諦めたように答えた準騎はグラスの中に半分以上残っていたジュースを一気に煽り、近くにいたエルフのウェイトレスにお代わりを頼む。
「すまないな。代わりに報酬は弾ませて貰う」
「当然だろう。それと、弾薬費は必要経費で落とさせて貰うぞ」
「それもわかっている」
苦笑するギアソンにため息を吐き、準騎はこれから待ち受けている面倒ごとに思いを馳せて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるのだった。