SFも立派なファンタジー
準騎が目を覚ましたのはすぐそばに置かれた携帯のアラームが聞こえて来たからだった。
手を伸ばし音の元を手に取り目を開く。画面に表示された時刻は午後7時。が、しかしこれは日本の時間でありここ迷宮では別の時間である。
あくびをして上半身を起こして周囲を見回すとそこは都市にある準騎の拠点、いやマイホームのリビングに置かれたソファの上だった。SFドラマに出てくるような金属の光沢をもった白い壁。そこに窓のように表示された画面には迷宮の現在時刻が表示されている。
「九時、か。ていうかなんでリビングで寝てるんだ、俺?」
Tシャツにステテコというラフな格好はここで寝るときのいつもの格好であり、ソファの足元には弾がしっかりと装填されたテンペスターが待機しておりどちらもいつも通りだ。ただ寝ている部屋だけが違う。
睡眠時間が足らないのかやけに回らない頭を働かせようとして失敗し、結局考えることを放棄した準騎は着替えを取りに自室へと向かうことにした。
リビングからバーカウンターのように一繋がりになっているキッチンのすぐ横にあるドアの前に向かうと、ちょうどいいタイミングで金属のドアが圧縮された空気が吐き出される音を立ててスライドする。
ドアを潜って廊下を右に真っ直ぐ行った行った突き当たりが彼の自室だ。金属の壁には他にもいくつかの扉があるがその半分が使用されていない、いや使用できない。都市といえども迷宮の一部であり、彼の拠点であるここも都市と同じように迷宮に呑まれた他世界の一部。それをいくつかの幸運の上に手に入れた準騎だが、その機能のすべて把握するに至っていないのだ。
あくびをしながら自室の扉横のコンソールに手を伸ばして開錠ボタンを押すと、先のドアと同じように圧縮された空気が吐き出される音と共にスライドする。
「え?」
「……………………は?」
準騎は目の前の光景に思考がフリーズしてしまった。
いつもと変わらぬはずの自室に存在した異物。
三頭の子虎と一人の少女。健康的な日焼けをした肌と普段は隠されているのだろう白い肌を同時に晒し、濡れた髪をバスタオルで拭いていた少女。頭に被せたバスタオル以外になにも身に付けていない少女は突如開いたドアへと顔を向けて硬直し、そのそばでじゃれあっていた子虎たちも一斉に目を見開き準騎へと顔を向けていた。
「……………………き」
「き?」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「なぁあぁぁああっ」
絹を引き裂くような女の悲鳴というのはこう言うのを言うんだろうな、とどうでもいいことが真っ白になった準騎の脳裡に浮かぶが事態はそんなことを考えている場合ではない。
いったい何がどうなっているのか、そんなことを考える暇もなくドアの前から壁の影に隠れコンソールを叩く。それにより圧縮された空気の吐き出される音と共にドアが閉じられ、ドンドンと重いものがぶつかる音が三つ部屋の中から響く。
「あぁ、くそ、思い出した」
壁に寄りかかり尻餅を突きながらようやく頭が正常に動いてくれ始めたようだ。
思い出したのは昨日のこと。迷宮に潜る彼に付いてきた本城柚子香のこと。迷宮で拾うこととなった子虎と探索者となった彼女。日本時間の夜に迷宮へと入ってから探索に講習会、防具の作製と長時間眠らずに行動したことでさしもの彼も強烈な睡魔に襲われ、ベッグザムと打ち合わせを終えた後、彼女の宿を取るのも億劫になり彼の拠点に連れてきたこと等々。
「そういえば部屋のシャワーの使い方も説明してたんだっけ?」
眠かったのだからそんな説明翌日に回せば良かったのに、そうすれば今こんなことにならなかったのではないだろうか?
そう考えた彼の脳裏にはさも当然のように先程の光景が浮かび上がっていた。
白い肌と日に焼けた肌のコントラスト。白の範囲が少なかったのは彼女が陸上部であるが故か。細く無駄な肉の無い引き締まった四肢。胸元はわずかに寂しかったが確かに女性の柔らかな白い双丘がそこにはあった。少女と大人の女性とのちょうど中間、まだ青くも熟そうとしていり成長途中の女の身体……………………。
「ストップ、それ以上考えるな俺……………………」
溜め息一つ吐いて一度一切の思考を停止させる。深呼吸をして立ち上がったところで自室にドアが開いた。
「……………………」
「……………………」
ドアの向こうから顔を赤くした柚子香が覗き、振り返った準騎と目があった。
どちらもなにも言わない。柚子香はなにかを言おうとはしている様子だが口にできないようで、準騎はこの場合なんと言えばいいのか分からずとりあえず相手の出方を見ることにしたようだ。
「……………………見た?」
ようやく出てきた言葉はそんな簡潔なもの。屈み気味になっているため普段より低い位置にある彼女の顔。顔を赤くし上目遣いの柚子香を見下ろしながら準騎の方は表情を普段通りのままに口を開いた。
「見てない」
吐いた言葉は大嘘である。
実際彼女は何をとは言わなかったので、"何を"見たか"何を"見てないのかは準騎次第の返答ではある。が、この状況でその"何"が何であるかなどは言うまでもないだろうことは用意に想像がつく。だというのに敢えてそんな返答をするのだから彼も相当面の皮が厚いものである。
「本当に?」
「あぁ」
再度確認を求める言葉に頷くと柚子香の首が部屋の中へと引っ込みドアが閉まる。
そして再度ドアが開くと顔を赤くしたままの柚子香が、昨晩ベッグザムに貰った薄紅色のシャツに大きなベルトのついたホットパンツ姿で部屋から出てきた。
「べ、ベット貸してもらっちゃてごめんね。あ、それとシャワーも借りたから……………………。
リ、リビングで待ってるねっ」
早口でそう言い切り子虎を引き連れ早足でリビングに向かう彼女を見送り、ようやく部屋に入ろうとしたところで柚子香が振り返った。
「つ、次からはドア開ける前にノックを忘れないでよ!」
「あぁ、すまなかった」
それだけ言って再び歩き出す彼女の背にそれだけ言葉を返して、今度こそ部屋へと入った。
「ラッキースケベっておれはどこの漫画の主人公だよ」
ドアがしまったのを確認して盛大な溜め息を吐き、溢れた言葉は誰の耳にも届くことなく宙へと溶けて消えていった。
シャワーと着替えを終えてリビングに戻った準騎はソファに座って子虎達をこん棒でじゃらしている柚子香に一声かけて、そのままキッチンへと向かう。キッチンにはいつも通り大きなショルダーバックが置かれており、その中から地球から持ち込んだ新鮮な野菜を取りだし大きな冷蔵庫へとしまっていく。その内キュウリやトマトなど一部の野菜をまな板の上に残し、逆に冷蔵庫の中から迷宮の魔物の肉から作ったベーコンを取り出した。
取り出した食材を適当に切り分け、ベーコンだけはカリッカリになるまで火を通して皿に盛って今日の朝食が完成した。
「朝飯だ」
できた朝食をテーブルに並べると柚子香が信じられないものを見るような目で準騎を見ていた。
「なんだ、自分の分は無いとでも思ってたのか?」
「え、いやそうじゃないよ。
伊久津島君、料理できたんだ」
「ちょっと待て、俺はいったいどんな目で見られてたんだ?
こんな切って軽く焼く程度もできないように見られてたのか?こんんなの失敗する方がおかしい誰にでもできる代物だろ」
溜め息と共に出た言葉は、しかし相当な破壊力を持っていたようでそれを聞いた柚子香はデンプシーで有名な某ボクシング漫画の主人公のリバーブロウを貰った相手ボクサーのような表情で呻き声を挙げる。
「……………………おい、まさか」
準騎の呆れた視線が柚子香に突き刺さり、柚子香はぎこちない表情で顔を逸らして口笛を吹き始めた。
「これから飯ってときに口笛を吹くな、行儀の悪い。
というかこんなものすら作れんのかお前は。これを失敗する理由なんて火加減を間違えたか、別のことに気をとられて放置したりとか、本人が火の前にいれば簡単に避けられることばかりだろうが」
一言一言が見えない拳となって柚子香を打ちのめし、それを見た子虎達が主をいじめるなとばかりに喉をならして威嚇してくるが、当然準騎がその事を気にすることは無く溜め息をついて互いの席に日本から持ってきたお箸を配る。
「いつまでもダウンしてるな。さっさと食え。料理が冷める」
「……………………はい、いただきます」
丁度テーブルに置かれていたトースターからパンが吐き出され、それにおかずを乗せて朝食が始まる。
子虎達にも適当な肉が与えられ朝の食事は静かに進められていった。
「そういえばさぁ、伊久津島君のこの家?
回りの建物と比べるとすごく浮いてるよね」
柚子香が実際に入ったことのある建物など探索者ギルドかベッグザムの店ぐらいだが、全体石造りの都市だ。外から見ただけでも大きさの違いはあれ中の雰囲気にたいした違いが無いだろうことは簡単に予想がつくだろうしそれは事実である。
この都市は準騎達にとっては所謂剣と魔法のファンタジー世界から迷宮に呑まれた都市であり、文明レベルもそれに準じた物だった。しかし準騎も家は違う。
都市の外れにあるこの家は、他の家屋のように並んでいるのではなく都市の外壁を掘り起こしたかのような形で存在しており、その外壁も他の場所と違い石では無く鉄でできており、準騎の家と合わせてファンタジーというよりもスペースファンタジー(SF)と言うべき様相であった。
「あぁ、この家、いやこの一画を含めた迷宮の一部は都市とは違う世界、宇宙に造られた移住空間所謂スペースコロニーの一部が飲み込まれた場所だからな」
「コロニーって、もしかして宇宙船とかそう言った物もあるの?」
「さぁな。迷宮にいるのはほとんどがファンタジーな世界の出身者でそう言った世界から来てる奴の話は、少なくとも俺は聞いたことがない。
今迷宮に飲まれてるコロニーだってカードキーやらなんやらのセキュリティ、ファンタジー世界とは違う考えのもと造られた技術が原因でその全貌が明らかになってない。一応今入り込める場所については全部探索されてるけど、それだって全体の一割ほどだって話だしな」
「へぇ、そう言えば昨日ここ部屋に入るときカードキーでドア開けてたっけ」
「どっかの誰かが手にいれたのを格安で引き取ったんだよ。連中は使い方がわからなかったみたいだからな」
わずかに悪い顔をして笑う準騎にひきつった笑みを浮かべた柚子香は、そっと視線を逸らしてベーコンを口に運ぶ。迷宮の魔物の肉から作られたものらしいが悔しいくらいにおいしかった。
「そうか迷宮が変動したんだし以前入れなかった場所に入れるようになってる可能性があるか。狩り場への探索より先にそっちを見に行くのも手かも知れないな」
なにやら一人納得している準騎をよそに、会話が途切れたことで食事を再開する柚子香。周囲に目を向けて見ることのできるSFチックな後継に、ふとそんな世界の話を聞いてみたくなるのだった。
食事を終えて一休憩を終えた二人は早速都市へと出掛けていた。目的はもちろん柚子香の武器を揃えるためだ。
「とりあえず今日買うのは弓一式だな。近接武器に関してはこん棒があるし、無理に買わなくてもここら辺ならそれでも十分対処ができるはずだ。」
「えぇ、もうちょっと見た目のいい物がいいんだけど……………………」
昔準騎が使っていた各所に鉄の棒を仕込んだ革のジャケットを羽織った柚子香は、彼の言葉に不満げな声を挙げながら腰に下げたこん棒の柄を撫でる。確かに不揃いの瘤がついた太い木の棒という見た目のこん棒はけして見目のいいものではない。
「あほ、探索者をやるんなら見た目よりも性能を重視しろっての。それに昨日ベッグザムに金を払ってお前の残りどれだけだと思ってるんだ。そのこん棒よりいい鈍器を選ぼうとしたら他になにも変えなくなるわ」
「むぅ、お金貸してくれる?」
「寝言は寝て言え」
即答で断られ唇を尖らせると、それに呼応するように子虎達が不満そうな声をあげるが、準騎はそんなことどこ吹く風とばかりに無視した。
外壁から都市中央へと歩くこと三十分ほどしてようやく目的地に到着した。そこは並ぶ建物と変わらぬ石造りの建築物で通りに向けて開かれた店先には、芸術品と見間違うがごとき美しく極め細やかな装飾を施された剣や槍等が飾られており、ベッグザムのお店とは真逆に柚子香のイメージした通りのファンタジー世界の武器やの姿がそこにはあった。
「うわぁ、凄い……………………」
「確かに凄いが外に飾られてるのは見た目だけのなまくらだってのに馬鹿高い、気取った連中のお飾りようだからな」
目を輝かせて並ぶ武器を眺める柚子香に対して準騎の言葉は容赦なく、その言葉をかけられた彼女は正しく冷水を浴びせかけられたかのような表情で準騎へと振り返った。
「なんだよ」
「伊久津島君はもう少し私に夢を見せさせてくれてもいいと思うんだけどな」
「いや、意味わからんから」




