新しき動き②
本願寺を下し、諸勢力の注目を一身に集める信長は、その勢いを隠すことなく朝廷の権威を最大限に使うタイミングを伺っていた。
正親町天皇に上奏し、年号の変更を現在の元亀4年7月28日より天正に改めさせることに成功するのである。
この機に信長は一気に動く!
将軍義昭を京より追放するのである。
信長は、信長排除のために動きまわる義昭を糾弾し、圧力を加えた。
これに耐えかねた義昭は信長に挙兵し、一戦を交わう覚悟を決める。
が、時勢を見て取った直臣の多くは信長に寝返り、挙兵は失敗に終わるのである。
この時の有力な幕臣である細川藤孝、和田惟政、荒木村重などは改めて信長に臣従するのである。
これにより信長の日の本における権威は改めて絶大なものであることを諸勢力は見のあたりにするのである。
先ず一番に動きを見せたのは、戦国最強の傭兵集団の一つ、【根来衆】である。
信長は京における宿所、妙覚寺において、津田算正と面会の場を持った。
算正は信長に根来衆が信長に臣下の礼を取ること、根来寺の軍事力の放棄の代わりに現在の権益の保証を申し入れたのである。
「で、あるか。」短く、はっきりと通る声で信長は算正の申し入れを受け入れた。
信長は根来衆の僧兵を改めて還俗させ、武士として召し抱えること。
根来の寺領は、紀北根来の地において寺院都市として必要な物を残し、その他の土地権益は信長が引き継ぐ事となった。
津田家は杉の坊を廃して、改めて津田家として還俗し、信長に臣従するのである。
「算正、先ずは地を固め」信長は、算正にこの度の動きに反対している泉南熊取の露家など反対派の討伐を支持したのである。
その頃、信玄が没し、陣代として武田家を取り仕切る勝頼は着々と領国経営に力を入れ、徳川家康が治める遠江国を狙っていた、海洋権益を抑えることが悲願の武田家は、虎視眈々と徳川家の領地を侵食していくのである。




