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朝廷の意味と本願寺のその後

お久しぶりの更新です!

資料がなかったり、時間がなかったりでお粗末さまですが、ぼちぼち再開致します。

【正親町天皇】


現在の公家社会の頂点に君臨する日の本における権威の象徴である。


公方と言われる将軍が日の本で一番の権力者と認識されていた時代、その征夷大将軍を任命できる権威者が天皇であった。


ちなみに信長を長年苦しめた本願寺が勢力を伸ばした背景には、正親町天皇が【門跡】の地位を本願寺顕如にあたえたことにより始まったと言われている。


そんな天皇、朝廷の力を信長は出来るだけ活用しだした。


それにより、周辺諸侯にも本当の権威者を解らせるために、そして将軍家の権威を失墜させる為にである。


京を支配下に置く信長は、朝廷の最大の庇護者であり、戦乱の中で窮乏していった朝廷を復興させたのも信長の力によることが大きい。


そして信長自身が官位を朝廷より叙任される事により、朝廷と対立する気はないと内外に知らしめたのである。


天正6年12月、朝廷からの勅命講和を本願寺が無視する事は出来ず、かたくなに講和を拒む教如を筆頭とする主戦派達を、顕如の命を受けた下間頼廉らにより捕縛し、武装解除した上で石山本願寺を信長に引き渡す事となった。


主戦派の面々が石山の地にて、信長に引き合わされた。


ここで信長は意外な言葉を発する。

「顕如殿には門主を准如殿に譲り、京にて寺院を移していただく、但し兵力これ自衛の為のものであっても一切これを許さず。尚、教如にいたっては死罪取り消し、准如預かりとする。」



長きにわたる包囲に苦しんだ信者が解放され、野戦陣地内に作られていた保養地にて十分な施しを受けた後、各々自分の故郷へと戻るかと思われていた民衆の大部分が織田家に雇われ、石山の地に新しくできる城塞都市の建設工事に携わるのである。


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