信長の考え
「坊主ども、根切りにされたいのか?」
信長はぼそりとつぶやく。
そばに控えていたのは、馬回りの将である、名人久太郎こと堀秀政であった。
「宗派も多岐に及びにあたり、拮抗が取れるものと存じ上げますが。」
元々一向宗であった堀家の摘流は本願寺が滅ぶのを気の毒と感じたのか、本願寺を擁護した。
これが小姓時代ならとてもではないが信長の前では発言できない言葉であった。
身近にいる分信長の短絡過ぎる苛烈さが治まりを見せているのを彼は感じていたのである。
「ふん、そんな事は分かっておる。面倒な紀伊に押し込めておけばよいし、段落がついたら寺社を京に集めようと考えておる。」
信長はここにきて壮大な構想を口にしたのである。
各宗教の最高指導者を京都に集め、各々に寺領を与えて、宗教都市として、天皇、朝廷と共に精神的な中枢都市としての繁栄を考えていた。
元々の本山はそのまま残して、武力を取り除き、半人質化をし、宗教活動に特化させることで、権益を放棄させる事が目的であった、しかし、信長はその見返りに信者の数だけに見合った保護政策を取るつもりである。
その仕上げというべき『本願寺』との戦いであった。
その後にも、これも強大な寺社勢力である『真言宗総本山高野山』が手つかずで残っているのである。
「紀伊は、雑賀衆、根来衆、粉河衆、高野衆・・・・・厄介な勢力が固まりますな。」
当時の紀州、紀伊国は戦国大名が現れない特異な地域であった。
和歌山港は紀伊水道から瀬戸内海へ抜ける要所でもあり、大型船が入りにくい大阪湾に入る船は一度和歌山港で荷物を小船に移し、運び直すのであった。
それにより海賊などより身を守る術を持たなければならなかった、そこに武装集団『雑賀衆』が生まれる原因があった。
そして紀ノ川が流れる下流地域には肥沃な土地が広がる。
ここが雑賀衆の本拠地である雑賀荘(現在の和歌山市)をはじめ、紀ノ川北岸の十ヶ郷、宮郷、中郷、南郷の五つの荘が形成した雑賀五搦が人口約8万を擁し、その人口の10%に当たる8千丁もの鉄砲を保有していたとされる。(これは同じく鉄砲衆を主力とした根来寺、粉河寺を除く数である)
「そうよ、紀伊国の扱い、誤ると怪我をする。」
信長自身、彼らを常に雇っていた経験もあり、その戦闘力の高さはその事実が物語る。
「しかし雑賀衆も割れている様子、そこが又難儀でございまするな。」
現在雑賀荘の約半数は本願寺についていた、又根来衆は信長について本願寺を包囲している。
信長の構想では、雑賀衆、根来衆、粉河衆の熟練の鉄砲手はこれからも手ゴマとして扱いたい、先ほどの京都宗教都市構想にも当然彼らを組み込むが、特別は配慮を与えるつもりである。
それにしても宗教などは特に実体がないだけに、物事は厄介である。
これらが相いれない事も信長はすでに理解していたし、これからも宗教をめぐる争いは無くならないというのが彼の出した結論であった。
であるならそれらを同じ箱の中に詰めてしまおう。
信長自身が監視できる体制を作れば問題ないと考えていたのである。
最終的に、権威機関、軍事機関、宗教機関、政治機関、商業機関を完全に別離するという構想が信長の頭の中に出来上がっているのであった。