朝廷よりの使者
久しぶりの更新です。
自身の結婚の準備でバタバタし、やっとPC環境整いました!
『尾張』『伊勢』『美濃』『近江』『大和』『越前』『若狭』これらは織田水軍の戦艦であり、当時の世界を見回してもこれらの船を打ち破る艦船はあるのか?
これらの戦艦より連日連夜砲撃が止む事はない。
連射により疲労した大筒は次々に新しい大筒に変えられ、その豊富な補給態勢を寺内の人々に見せつけている。
当然夜間に決死の小船を出し、何かしらの損害を与えに行こうとするが、周りを囲む無数の早舟に囲まれ、海の藻屑となっていく。
船上では華やかな酒宴が行われており、補給を止められた本願寺の兵と民らが羨ましそうに船上へ視線を向けている。
現在これらの艦隊に海上を抑えられている本願寺の交戦派僧兵たちも実際に突き付けられている現実の認識を持ち始めた。
いつの時代も戦争行為は女子供が犠牲になる。
心理的圧迫に耐えかねず発狂する物が続出しているのである。
死ねば極楽にいける!しかし極楽の様な華やかな船から放たれる焼けた鉛の塊は親しい者たちの命を奪っていく。
もがき苦しみもだえる姿は、極楽に行く者の姿にはとても思えない。
当時の日本では、宗教勢力はれっきとした武装集団であり、広大な寺領を持つ支配者なのである。
その現実は、戦乱に常に巻き込まれ、貧困に苦しむ民の盲目を利用した政治手段であり、商業手段を行使するための武力なのである。
信長はその合理的頭脳から、これらの理不尽な現実を激しく憎悪した。
宗教は宗教のみに力を入れ、公家は天皇を補佐し、官位権威の象徴になればいい。
武家は世の中から争いを無くし、民の暮らしを守り、よき政治を敷けばよい。
信長の理想は、当時の人たちの非常識であるが、なぜか心が引かれる理想である。
信長自身戦闘行為は自身の理想をかなえるための手段の一手に過ぎない。
彼が決して戦闘では強くなく、政治力、経済力、軍事力この3体を有効に使い相手を封殺していく、これこそが信長のやり方であり、強みである。
その封殺にもがいている信長の中の『憎悪の象徴』である門主顕如は朝廷より遣わされた使者より告げられる厳しい条件に絶句していた。
石山より退去、これは当然のごとく顕如自身も覚悟をしていた。
もちろん武装も解除されるであろう。
しかし、信長が要求してきた中に苛烈な文面があるのである。
『教如筆頭に抗戦派死罪』