新次元の海戦
織田水軍が再び大阪湾に向かって進軍中。
この報は、雑賀衆を通じて石山本願寺、中国地方の覇者である毛利家にも当然届けられた。
その内容に奇怪な情報が添えてある。
『いかなる南蛮の船より巨大にて候』
船は大きければいい物ではない。
その証拠に、先の海戦では大型安宅船を主力とした織田水軍はほぼ全滅の憂き目にあっているのであるから、毛利水軍にとってはどれだけの巨船なのか?との興味を持つくらいであった。
関船、早舟にて主力をそろえる毛利水軍は強力な『焙烙火矢』にて相手の船団を焼き討ちするのである。
彼らは、信長が建造させた戦艦7隻が鉄板にて装甲し、強力な火器にて武装しているなど想像できなかった。
本願寺では、最高戦闘担当官というべき、下間頼廉が不安な面持ちで鈴木重秀と何やら密談を重ねていた。
というのも、信長が朝廷と直接繋がりを持ち、将軍の権威を無力化している事を彼は恐ろしい思いで大阪より見つめていた。
「元号が信長により元亀から改められ天正になり、あれよあれよという間に殿上人じゃ、このままでは勅命、勅令思いのままや。」
意外に当時は天皇の役割を正常に認識できているのは、畿内の公家、名族位のもので、田舎大名の最高権威者はあくまでも『将軍』なのである。
宗教勢力は、否応なしに朝廷と関わらずにはいられない。
それは僧侶にも官位があり、朝廷より下賜される官位というのは何よりの箔であった。
朝廷と織田家が直接つながる・・・どれほどの強力な政治的圧力なのかは、政変著しい畿内の名族達は背中が凍る思いで傍観する事になる。
そして直接的な圧力は、毛利水軍と織田水軍との戦いにおいて、石山本願寺の命運は決定づけられたのである。
この戦を指揮するのは織田家水軍衆筆頭である九鬼嘉隆、その目付で自身の妹婿である織田長政と滝川一益が乗り込んでいる。
彼は実際に水軍のイロハを織田水軍衆、母国を捨て、日本に土着した南蛮人達により叩きこまれた。
先の海戦で、織田方の有力な提督達が一斉に戦死したためである。
又信長自身、海に囲まれた日の本が生きるには海軍、海運が必要だというのは痛いほど痛感している。
それに伴って、織田家の有力な部将達は、その激務を縫って水軍術を習っている。
信長はすでに次の時代の布石を打ち始めているのである。
その織田水軍を迎え撃つ、毛利水軍総数700隻を誇る。
安宅船を指揮船とし、関船、早船が規律良く進む様はそれが今から戦に向かうなど忘れてしまいそうな感傷に駆られる。
それ以前に、この艦隊に挑みに来るであろう織田水軍が哀れにも思えた。
この戦が始まるまでは・・・・。
旗艦である『尾張』を筆頭に、『伊勢』『美濃』『近江』『大和』『越前』『若狭』が縦列体形で大阪湾に突入した。
遠くマストより毛利水軍を確認するなり、各艦は帆を揚げた。
当時、和船は櫂により漕いで推進力を得ていたが、織田水軍の戦艦達は、複合マストにより推進力を得ていて、その速度差は波の少ない内海でも、何と時速に直すと20キロも違うのである。
その速度差に、毛利水軍の将である村上武吉は、心の中で『負ける』と本能的に悟った。
織田水軍はその速度差を生かし、毛利水軍をぐるりと囲むように縦列隊形で一方的に砲撃を始めた。
近づく小舟には銃眼より無数の鉄砲玉が降り注ぐ。
やっとの思いで近づき、渾身の一撃をと、焙烙火矢で攻撃するが、その巨船は攻撃事態を無効化してしまうのである。
毛利水軍は文字通り、潰走を始めた、が、織田水軍がそれを逃がさない。
早舟には、火矢、鉄砲が矢板の遥か上から降り注ぎ、防御にならない、関船以上の中型、大型艦には容赦のない大筒の砲弾が降り注いだ。
織田水軍がちょうど毛利水軍を一周するように回頭し終わると、威容を誇っていた毛利水軍は跡形もなく海の藻屑となって消えうせたのである。
速度、装甲、火力、この三位一体の艦隊は恐らく当時世界最強の艦隊だと言えた。




