石山の守護神②
大阪石山の地では連日各地よりの報告や檄文が飛び交い慌ただしい毎日が続いている。
本願寺第十一世宗主、顕如は毎日頭を抱えながら過ごしている。
これもそれも信長の素早い柔軟な政策によって一番のよりどころ門徒衆の数が増えないのである。
顕如にとっては全く迷惑な話である。
保守社会では、寺社勢力はれっきとした支配階級の一つであり、宗教という思想を同じに志す者達が集まる事によって、勢力を高めていく。
信長が要求してきている石山退去などは到底のむ事の出来ない。
正に死活問題なのである。
只、一揆を扇動し、信長の怒りを買っている事も十分に分かっているし、お互いに血を流しすぎた。
それに現在の状況を見ても決して負けていない。
利に聡い雑賀衆の中から最強と言われる鈴木重秀率いる鉄砲衆は、銭金関係なく、体を張って織田軍を各個駆逐していくし、自身の坊官である下間頼廉も決して負けない。
まさしく本願寺を落とすのはかなり困難な作業になる。
海運からの補給で、陸路の閉鎖が意味のない物になっているのである。
毛利家よりの大量の物資は石山本願寺の抵抗力を間違いなく強化し、毛利家も又、本願寺よりの見返りなのか、領内の一揆の類は全く無くなっていた。
勿論織田家もこれを見過ごすはずも無く鳥羽水軍、九鬼嘉隆を総大将として、陣触れを出す。
しかし、水軍衆は毛利水軍、雑賀水軍の強さを理解していた。
九鬼嘉隆は信長に直訴する。
「せめて同数の船を揃えるまでお待ちください、幾ら大安宅船とはいえ、このままでは戦闘は難しいでしょう」
信長は海の戦を知らない。
知らないゆえに、水軍の事は、水軍奉行達に任せていたが、海運を握り、外洋に面した城塞がどんなに恐ろしい要塞になるか、そちらの方の焦りが勝ってしまったのである。
「補給船を本願寺に入れなければいいだけだみゃ!」
勝たなくてもいいが、補給の妨害位は出来ると確信していたのである。
そして、大型の安宅船を中心とした九鬼水軍は、疾船を中心とする村上水軍の機動力、戦場兵器焙烙玉・雑賀衆の使用する焙烙火矢の前に、織田方の水軍は壊滅的な打撃を受けたのである。
又、真鍋七五三兵衛・沼野伝内・沼野伊賀・沼野大隈守・宮崎鎌大夫・宮崎鹿目介・尼崎の小畑氏・花隈の野口氏ら水軍頭たちと舟艇三百余艘を一気に失う大敗北を喫したのである。
敗北、正に殲滅の様子を信長は一点を見つめ震えている。
近衆は怒りで爆発するのではとおびえきっているが、小姓の一人は気付いていた、それは信長が涙を流しているのだと。
「すまにゃあ・・・・・。」
陸路よりも重秀、頼廉らが手勢を率い押しては引き、引いては押す巧みな用兵術を駆使し、佐久間勢、和田勢、荒木勢を敗走させていく。
特に重秀本人は、馬上より短筒を撃っては併走者に渡し、次々と馬上で組撃ちをやってのける。
当時、馬上より攻めかかるのは不利であったが、(槍衾をあげられると、馬は本能で止まってしまう)直接攻撃ではなく、間接攻撃なので、絶妙な間の取り方よって一方的に攻撃を仕掛けていく。
重秀の有効射程距離は、火薬の性能の差もあって、織田兵の鉄砲衆の射程距離の1.4倍もあった。
そこに射撃手の腕もあり、織田軍の鉄砲火線は致命傷を与える事は出来ない。
しかし、明智勢に攻めかかる時に重秀の本能が危険を察した。
「えらい慣れた奴らがよおけおるみたいやな」
馬首を返した時に重秀の頬を銃弾が掠めて一筋の傷を負わせるのである。
「根来の津田おるやんけ、こりゃ一回下がらなあかん」
決して、雑賀衆が根来衆より劣っているわけはないが、自身に何かあれば、本願寺の戦力が半減してしまう事を自覚していた。
一方敵方で馬上より短筒を肩に担ぐ将を狙撃したのは根来衆、杉の坊勢を率いる『津田監物』である。
「あれ鈴木のいっちゃん上の重秀やろ、遠当て外してもたわ」
かっかっかと小気味のいい笑い声をあげる監物であるが、彼ら紀州人達には彼らしか知らない密約があった。
『敵味方に分かれたら紀州人は殺さない』
複雑に国人、寺社勢力がからみつく紀州の民しか知らない内輪の協定であった。
関西の戦には紀州の傭兵を抜きには語れない・・・かな?