短気の原因
元亀元年(1570年)夏、信長のイライラは頂点に達し、諸将の前で癇癪を爆発させていた。
摂津、石山では三好軍が本願寺の援助を受け挙兵。
これに直ちに出陣し、現在軍議で新たな問題について報告を受けていた。
近江で朝倉、浅井軍が侵攻してきたのである。
織田信長という人は大層な癇癪持ちである。
その原因は極度の甘党からくる『虫歯』であった!
現代だからこそ歯科治療技術が確定されているが、当時と言えば力任せに抜いたり、漢方薬を飲んだり詰めたりするぐらいであった。
もっとひどければ祈祷師頼みと言う笑えない話もあったのである・・・。
大変な事があると尚更痛みやがる!!
心の中で信長は叫びたい気持ちをぐっと抑えて、諸将に下知を飛ばしていく。
一通り軍議を終え、退席する信長に小姓達がついてくる。
戦支度に急ぎ廊下を渡る信長・・・・。
不意に磨かれた廊下に足を滑らせた信長が見事に『転んだ!!!』
運悪く太刀持ちの小姓が持つ宗三左文字の柄にしこたま顎元を打ちつけた!
信長の口からは大出血、小姓は大慌てで医者を呼び血止めを行う。
血まみれの中には茶色に溶けかけている奥歯を始め数本の歯が落ちていた。
口の中を大いに切ってしまい、鉄の味を噛みしめながらじんじんした口内を意識しつつ縁起が悪い・・・と一言つぶやく。
予感は当たり、戦線を支えていた近江の森可成と信長の実弟である織田信治が浅井勢に打ち取られたのである。
信長と言う人は一言で言うと身内にとことん『甘い』そして甘党でもある、超がつくほどである。
そして信治は献身的に信長を支えてくれる可愛い弟であった。
一般的に、弟信行殺しで身内に容赦のないイメージのある信長であるが、世間で言われているほど信長は残酷ではないのである。
事実信長の一門で討たれているのは直接歯向ってきた者たちであるし、真に心服した者はことごとく許している。
しかも森可成という信長が最も目をかけていた重臣も討たれたのである。
この人は古くから信長に仕え、数々の戦をくぐりぬけてきた猛将であり、血筋は陸奥七郎義隆の流れをくむ源氏の名家でもある。
いつもなら怒りが頂点に達すると、『虫歯』の痛みが怒りをさらに掻き立てられ、冷静な判断が出来ない事も多々あった信長であるが、不思議にじんじんとした痛みがあるが、いつものズキンズキンと頭に響く痛みは無くなっていたのである。
「歯痛が治ったみゃ~~~~~~!!!!!」
信長は叫んだ!
怒りと言う感情を冷静に受けいられる自分に驚きつつ、戦国一の合理主義者は自身の頭脳を高速回転させていくのである。
というストーリーです。
たぶん虫歯という着眼点の仮想戦記は無いはず!!!
無いですよね?ね?