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第3話:さようなら、明日から崩壊する王城

 ガタゴトと、車輪が石畳を跳ねる音が響く。

 王都から辺境へと向かう街道は、進めば進むほど舗装が荒くなり、馬車の揺れも激しくなっていった。


「……アメリア様。本当に、よろしいのですか?」


 向かいの席に座っていた騎士が、重い口を開いた。彼は私の護送役だが、その表情はまるで処刑場に向かう罪人を見るように暗い。


「今からでも引き返して、カイル殿下に謝罪すれば……。殿下もお怒りですが、アメリア様の長年の貢献は誰もが知るところです。きっと、修道院入りくらいには減刑してくださるはずで……」

「減刑? 騎士様、それは違いますわ」


 私は揺れる車内で、手元の『整備手帳』――王城の設備管理記録を記した分厚いノート――をパタンと閉じた。

「私は罰を受けるのではありません。休暇を頂いたのです。それも、無期限の」

 騎士は絶句していた。無理もない。

 これから向かう「廃棄ダンジョン」は、古代文明の遺物や産業廃棄物が不法投棄され、その魔力汚染によって凶暴化した魔物が巣食う場所だ。普通の令嬢なら、名前を聞いただけで卒倒するレベルの危険地帯である。

 だが、私には見えていた。

 馬車の窓から見える景色が、王都の整然とした(しかし魔導回路が腐食しかけた)街並みから、手つかずの自然へと変わっていく様子が。

 それは、私の管理義務範囲テリトリー外へと脱出できたことの証明だった。


        * * *


 三日後。


 馬車は、深い森の奥にある断崖の前に停止した。

 そこには、巨大な洞窟の入り口がぽっかりと口を開けている。入り口付近には、錆びついた鉄骨や、魔力を失ったクリスタルの欠片が山のように積まれていた。


「……到着しました。ここが、廃棄ダンジョンです」


 騎士の声が震えている。

 周囲には、すでに低級の魔物スライムやゴブリンの気配が濃厚に漂っていた。


「ここからは、アメリア様お一人で……。本当に、武器もお持ちにならずに?」

「ええ、問題ありません。ここまで送ってくれてありがとう」


 私は鞄を提げて、軽やかに地面に降り立った。

 騎士たちは逃げるように馬車を反転させ、去っていった。「可哀想に、三日とは持つまい」という囁き声を残して。

 一人残された私は、静寂の中で大きく息を吸い込んだ。

 鉄錆と、カビと、微かな魔力の匂い。

 王城の香水臭い空気より、よほど落ち着く匂いだ。


「さて」


 私は懐から、先ほどの『整備手帳』を取り出した。

 そこには、私が王城で行ってきた日々のメンテナンススケジュールがびっしりと書かれている。

 私はペンを取り出し、今日のページを開いた。


「ええと、今日私がやらなかった業務は……」


 私は一つ一つ、項目を確認していく。

 1.【王城・大広間の空調魔石の交換】

 (※これをしないと、三日以内にフィルターが詰まり、腐った卵のような異臭が広間に充満する)

 2.【地下ワインセラーの冷却術式の更新】

 (※これをしないと、カイル殿下が自慢している百年物のヴィンテージワインが、明日にはただの酸っぱい葡萄酢になる)

 3.【リリナ様の部屋の防音結界の維持】

 (※彼女は夜中のいびきが凄いので、これを切ると隣室の騎士団詰め所が寝不足で壊滅する)


 どれも地味だが、放置すれば確実に生活水準を下げる嫌なトラブルばかりだ。

 私はそれらの項目に、容赦なく『×(未実施)』のマークを書き込んでいく。

 そして、最後の項目に目を落とした。


 4.【王都広域防御結界・中央コアのひび割れ修復】


 私の指が止まる。


 これは、生活の不便どころの話ではない。

 王都を魔物の侵入から守っている巨大結界。その心臓部である古代魔導コアは、老朽化でボロボロの状態だ。

 これまでは、私が毎日『修繕』スキルでナノレベルの亀裂を埋めて、なんとか形を保たせていた。

 昨日の時点で、耐久値は残り0.5%。

 私の計算が正しければ、あと二十四時間以内に限界を迎える。


「……パリーン、かしらね」


 私は空を見上げた。

 遥か彼方、王都の方角の空には、薄い虹色の膜(結界)が見える。今はまだ、美しく輝いている。

 だが、明日にはその光は消えるだろう。

 カイル殿下たちは、その結界が「王家の威光によって自動的に維持されている」と信じている。あるいは、聖女であるリリナ様の祈りが支えていると。

 そんな都合のいい奇跡が存在しないことを、彼らは明日、身を持って知ることになる。


「言っておくけど、私は警告しようとしたのよ?」


 最後の大広間で、私は言いかけた。「結界が切れる」と。

 それを「口答えするな」と遮ったのは殿下だ。

 だから、これは私の責任ではない。

 これは「自然淘汰」だ。

 私は手帳を閉じ、焚き火の中に放り込んだ。

 私の苦労の結晶が、オレンジ色の炎となって灰に変わっていく。

 燃え尽きるのを見届けた後、私はくるりと王都の方角に背を向けた。


「さようなら、ブラック職場。……こんにちは、私の新しいお庭」


 目の前には、廃棄物の山。

 一般人にはゴミに見えるそれらが、私の『修繕』スキルの解析眼を通すと、情報の洪水となって飛び込んできた。


 <オリハルコン含有率30%の廃材>

 <修復可能なAランク魔力モーター>

 <少し欠けただけの賢者の石>


「……うそ、賢者の石が落ちてるの? どんな管理してるのよ、この国」


 私は思わず笑ってしまった。

 ここには、王城の宝物庫より価値のあるものが無造作に転がっている。

 直せる。全部、直せる。

 誰の許可もいらない。予算の心配もない。

 私はスカートの裾を捲り上げ、工具箱を片手に、暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れた。

 その足取りは、舞踏会のステップよりも軽く、弾んでいた。

 王都崩壊まで、あと二十四時間。

 しかしその頃には、私はこの地下迷宮で、最高に快適なスローライフの基盤を作り上げていることだろう。


挿絵(By みてみん)

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