第2話:私の荷物は工具箱ひとつ
「衛兵! この女を部屋へ連れ戻せ! 荷物をまとめさせたら、即刻馬車に放り込むのだ!」
カイル殿下の怒声が背中に突き刺さる。
私は衛兵に腕を掴まれそうになったが、それを手で制して優雅に微笑んだ。
「ご心配なく。自分の足で歩けますわ」
私は背筋を伸ばし、大広間を後にした。
普通なら、ここで泣き崩れたり、殿下の足元に縋り付いたりするのが「悪役令嬢」としての、あるいは「婚約破棄された哀れな女」としての作法なのかもしれない。
けれど、私にはそんな暇はなかった。
なぜなら、これから忙しくなるからだ。自分の人生を取り戻すために。
* * *
自室に戻った私は、即座に行動を開始した。
部屋には、公爵令嬢として買い与えられた豪奢な家具や、きらびやかな宝石、何着ものドレスが溢れている。
だが、私はそれらに目もくれなかった。
「いらない。これも、いらない。……ああ、この宝石は魔石の質が悪いわね。廃棄」
私はクローゼットの奥から、使い古された革の鞄を引っ張り出した。
そして、部屋の隅にある作業机――私が唯一、心休まる場所――へと向かう。
そこには、私の相棒たちが並んでいた。
ミスリル銀で作った特注のモンキーレンチ。
魔力伝導率を高めたドライバーセット。
そして、素材の解析に使う拡大鏡。
どれも油に塗れ、傷がついているが、丁寧に手入れされて鈍い光を放っている。これらは私が私費を削り、ドワーフの鍛冶師に頼み込んで作ってもらった最高級の工具だ。王家から贈られたどんな宝飾品よりも、私にとっては価値がある。
「よし、全員揃ってるわね」
私は工具たちを愛おしげに鞄に詰め込んだ。
あとは、数冊の魔導書と、着替えやすい平服を二着ほど。
準備は、わずか十分で終わった。
コンコン、と控えめなノックの音がした。
入ってきたのは、顔馴染みのメイド長だった。彼女は赤く腫らした目で私を見つめ、ハンカチを握りしめている。
「アメリア様……。こ、この度はなんと酷い……。私たち、納得できません! アメリア様がいなくなったら、誰が私の愚痴を聞いてくれるんですか、いえ、誰がボイラーの異音を聞き分けてくれるんですか!」
「ありがとう、マリア。でも、もう決まったことだから」
私は彼女に微笑みかけた。
彼女は私の荷物を見て、目を丸くした。
「え……? お荷物は、それだけですか? 宝石やドレスは……」
「置いていくわ。殿下の新しいお気に入り――リリナ様が使うでしょうし」
それに、あんなヒラヒラしたドレスは現場作業の邪魔なだけだ。
マリアは「なんと欲のない……!」と再び涙ぐんだが、私は単に効率を優先しただけである。
「アメリア様、馬車の準備が整いました……」
呼びに来た騎士は、以前私が剣の手入れをしてやった若者だった。彼もまた、葬式のような顔をしている。
城の使用人や騎士たちは、なんとなく気づいていたのだ。私が何をしているかを。
気づいていなかったのは、上の人間たち――カイル殿下や国王陛下、そして宰相たちだけ。
よくある話だ。現場の苦労は、経営陣には届かない。
「世話になったわね。元気で」
私は鞄一つを提げ、軽やかに部屋を出た。
* * *
裏門には、鉄格子のはまった護送用の馬車が待機していた。
見送る者はいない。……いや、城の窓からカイル殿下とリリナ様が見下ろしているのが見えた。二人は寄り添い、勝ち誇ったように手を振っている。
(ああ、そうだ。一つだけ、置き土産をしておきましょうか)
私は馬車に乗り込む直前、立ち止まって城を振り返った。
夕日に染まる王城は、一見すると堅牢で美しい。
けれど、私の『修繕』スキルによる解析眼には、まったく別の景色が見えていた。
城壁には無数の微細な亀裂が走り、地下水路は詰まる寸前で赤く警告色を発している。そして何より、城全体を覆う防御結界の魔力供給ラインが、私が昨日応急処置したテープ一本で辛うじて繋がっているのが見えた。
(あそこの接続部の耐久値、あと……十八時間ってところかしら)
私はクスリと笑った。
本来なら、今夜徹夜して部品を交換する予定だった箇所だ。
でも、私はもう「部外者」だ。部外者が勝手に城の設備をいじるわけにはいかない。
「行ってらっしゃいませ、殿下。どうぞ、スリル満点な生活をお楽しみください」
私は誰にも聞こえない声で呟くと、馬車に乗り込んだ。
「だ、出します!」
御者が鞭を振るう。
ガタガタと車輪が回り出し、住み慣れた――そして働きすぎた――王城が遠ざかっていく。
馬車の中で、私は大きく背伸びをした。
関節がポキポキと鳴る。
肩に乗っていた重い石が、すっと消えていくようだった。
「あー、せいせいした!」
私は鞄からサンドイッチ(厨房のシェフがこっそり持たせてくれた)を取り出し、大きな一口で齧り付いた。美味しい。労働の後の食事も美味いが、退職直後の食事は格別だ。
行き先は「廃棄ダンジョン」。
一般的には、魔物が徘徊し、ゴミが散乱する地獄のような場所とされている。
だが、私にとっては違う。
あそこには、古代魔導文明の遺産が山のように捨てられているのだ。
希少金属の塊、ロストテクノロジーの魔力回路、見たこともない機構の自動人形。
城の予算会議で「却下」のハンコを押されるストレスなしに、好きなだけ分解し、解析し、修理できる。
「ふふ、ふふふ……」
笑いが止まらない。
御者台の騎士が、背後から聞こえる私の笑い声に「ショックで気が触れてしまわれたのか……」と怯えている気配がしたが、訂正はしなかった。
これは追放ではない。
長期有給休暇だ。
しかも、趣味のDIYし放題というオプション付きの。
馬車は夜の闇を切り裂き、私の新しい職場――いいえ、楽園へとひた走る。
私の荷物は工具箱ひとつ。
けれど、これさえあれば、私はどこでだって世界を作れるのだ。
第3話予告「さようなら、明日から崩壊する王城」
「城の結界、あと24時間で切れますけど?」その事実を誰にも告げず、アメリアは静かに王都を去る。残されたのは無能な王子と、時限爆弾を抱えた城。背後で忍び寄る崩壊の足音を聞きながら、清々しい旅立ちを描く第3話!




