第1話:婚約破棄と解散のファンファーレ
「アメリア・ローズバーグ公爵令嬢! 貴様との婚約は、今この瞬間をもって破棄する!」
王宮の大広間に、よく通る声が響き渡った。
頭上の巨大なシャンデリアが放つ魔法光が、その声の主を煌びやかに照らし出す。我が国の第一王子、カイル殿下である。金髪碧眼、絵本から抜け出したような美貌を持つ彼は、いま、自信満々に右手を突きつけ、私――アメリアを指差していた。
周囲の貴族たちが息を呑み、さざ波のような動揺が広がる。
だが、当事者である私の心境は、驚くほど凪いでいた。
(あ、やっぱり? だよねぇ)
私は心の中で、今日の夕食の献立を決めるくらいの軽さで納得していた。
カイル殿下の隣には、ピンク色のふわふわとした髪をした可愛らしい少女が張り付いている。最近、聖女候補として地方から召し上げられた男爵令嬢、リリナ様だ。彼女は不安げな表情を作りつつも、その腕はしっかりと殿下の腕に絡みつき、勝ち誇ったような視線を私に送っていた。
「……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか、カイル殿下」
一応、定型文として聞いておく。私はゆっくりとカーテシーを行った。ドレスの裾が床を擦る音が、静まり返った広間に響く。
「理由だと? 自分の胸に聞いてみるがいい! その貧乏くさいドレス! いつも油の匂いが染み付いた手! そして何より、王族である私に対して『予算がありません』『無駄遣いはやめてください』と、口を開けば金、金、金! 貴様には夢もロマンもないのか!」
カイル殿下は顔を真っ赤にして叫んだ。
私は思わず、天井を見上げたくなった。
――貧乏くさいドレス?
これは、王家が財政難で新しいドレスを作れないと言うから、曾祖母様の時代の古着を私のスキル『修繕』で繊維レベルから編み直し、最新の流行に合わせて仕立て直したものだ。新品を買えば金貨百枚はする品質である。
――油の匂い?
それは今朝、城の地下ボイラー室の配管が破裂寸前だったのを、私がモンキーレンチ片手に緊急修理したからだ。業者の手配が間に合わず、私がやらなければ今頃、この会場は水浸しだったはずだ。
――口を開けば金?
殿下が「僕の銅像を純金で作りたい」とか「隣国の珍獣を百頭飼いたい」とか言い出すから、必死で財務帳簿をパズルみたいに組み替えてお止めしたのではないか。
(……ああ、駄目だわこれ。説明する気力も起きない)
私はスッと目を細めた。
かつては、この美しい王子を支えるのが私の使命だと思っていた。次期王妃として、傾きかけた国を裏方から支えることこそが愛だと。
けれど、二十歳になった今の私にはわかる。
彼は「地雷」だ。それも、除去不可能な特大の。
「リリナを見習え! 彼女は素晴らしいぞ。『カイル様の夢を応援したい』と言ってくれる。花の香りがするし、私の心を癒やしてくれる! 貴様のような、機械油と帳簿のインクに塗れた陰気な女とは大違いだ!」
「ひどいですわカイル様ぁ、アメリア様が可哀想ですぅ」
リリナ様が甘ったるい声で言う。その目は笑っていた。
私は静かに溜息をついた。
彼らは知らないのだ。
この城の輝きが、誰の手によって維持されているのかを。
古びた城の壁が崩れ落ちないように、毎晩私が『修繕』でヒビを埋めていることを。
結界魔道具の魔力回路が焼き切れる寸前で、私が毎日微調整していることを。
水道管も、窓ガラスも、厨房の魔導コンロも、すべて私がワンオペでメンテナンスしているからこそ、彼らは優雅に生活できているのだということを。
「アメリア・ローズバーグ! 貴様を辺境の『廃棄ダンジョン』への追放刑に処す! 二度と私の前に顔を見せるな! 今すぐ出て行け!」
廃棄ダンジョン。
王都から馬車で三日。かつて古代文明のゴミ捨て場だったと言われる、ガラクタと魔物がひしめく未開の地だ。貴族令嬢にとっては死刑宣告に等しい。
しかし。
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に閃光が走った。
(廃棄……ダンジョン?)
(あそこ、たしか……古代の魔導具の残骸が山ほど捨てられている場所よね?)
(え、待って。それって私の『修繕』と『錬金術』があれば……)
――宝の山じゃない?
さらに言えば、追放されるということは、明日から私はもう、この城のメンテナンスをしなくていいということだ。
夜中に叩き起こされて雨漏りを直さなくていい。
理不尽な予算案に頭を抱えなくていい。
何より、この話の通じない「巨大な赤ん坊(王子)」の守りをしなくていい。
私の胸の奥から、ふつふつと湧き上がるものがあった。
それは悲しみでも怒りでもない。
圧倒的な、解放感。
「……謹んで、お受けいたします」
私は深く頭を下げた。顔を上げたとき、私の表情は憑き物が落ちたように晴れやかだったのだろう。カイル殿下がぎょっとしたように後ずさる。
「な、なんだその顔は! 泣いて縋れば、メイドとして置いてやらんでも……」
「いいえ、結構です。殿下のご温情に感謝いたします。それでは、私は直ちに出立いたしますので」
私は踵を返した。
未練など一ミリもない。むしろ、気が変わって引き止められる前に逃げ出さなければ。
大広間の重厚な扉に向かって歩き出す。
背後で「な、なんだあいつ! 強がりやがって!」という殿下の怒鳴り声が聞こえるが、雑音にしか聞こえない。
私は歩きながら、頭の中で最後のリマインドリストを確認した。
(大広間の空調魔道具、フィルターの寿命があと三時間)
(東棟の女子トイレ、配管の劣化修正期限が今日の深夜)
(そして何より……王都全体を覆う対魔獣結界、コアの亀裂修復リミットが明日の正午)
私は毎日、それらを騙し騙し『修繕』して延命させてきた。
私が去れば、当然、誰も直せない。
業者が修理しようにも、部品は製造中止の古代規格。私のスキル以外では交換不可能なのだ。
「……ま、知ったことじゃないわね」
私は小さく呟いた。
もう、私の仕事ではないのだから。
衛兵が扉を開ける。
夜の冷たい風が吹き込んできた。それは自由の匂いがした。
私は一度も振り返ることなく、王城を後にした。
私の背後で、大広間のシャンデリアが一瞬、不穏に明滅したことに気づいた者は、まだ誰もいなかった。
第2話予告:私の荷物は工具箱ひとつ
泣いて縋ると思った?残念、私が持ったのは工具箱だけ!「明日、城の結界切れますけど知りませんよ?」と言い残し、アメリアは笑顔でゴミ山へ。残された王都で静かに始まる地獄のカウントダウン。自由を手にした彼女の爽快な旅立ちを描く第2話!




