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王女殿下の辞令:婚約破棄は人事異動です  作者: 妙原奇天


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第1話「辞令は剣より速い」

 乾いた音が二つ、謁見の間に落ちた。王女殿下の錫杖が床石を叩く音と、私の胸で跳ねた鼓動だ。

「本日付をもって、レオン王子を公務より解任する。婚約破棄は——」

 殿下は一拍置き、言葉を研いだ。

「配置転換です」


 空気が揺れ、ざわめきが波紋になって広がる。私は一歩進み、両手で辞令の原本を掲げた。羊皮紙はわずかに暖色を含み、朱の決裁印が三つ。

(足りない? 落ち着け、想定内)

 四つ目の印は、紙の上にはない。だからこそ、私は懐からもう一枚、薄い写しを取り出した。

「外務長官カスパル閣下の先んじ決裁。時刻証明付き、電子押印の写しです。決裁の実体は満たされています」

 殿下が頷く。私は官報掲示官へ原本を手渡し、声を通した。

「告示文案——『外務長官病欠に伴い、伯爵令嬢リディア・エーベルを外務長官代理に命ず。効力は官報掲載をもって発生』」

(恋は後回し。まずは効力発生だ)


 王都の空気は早い。玉座の外では、すでに噂が石畳を走っている。「王女、無能王子を切った」「書記官令嬢が代理?」。喝采は泡立つが、泡は割れるのも速い。

「殿下、それは越権ですな」

 正面列の奥から、白髭を撫でた老侯——ディートが進み出た。彼は礼を崩さず、しかし声の角度だけを鋭くした。

「辞令の効力停止を仮に求めます。人事院規程第三一条。損害回復困難性、そして必要性緊急性」

(はい来た、“差止”の常套句)

 殿下は斜めに目を落とす。私にどうぞ、と視線で振る。

「申立ては自由です、老侯。ただ、要件は厳格です。王子の“損害”とは何でしょう。肩書でしょうか、勤務実績でしょうか」

「王位継承権に付随する社会的信用の毀損」

「それは自らの勤務態度で減価しておりませんか」

 傍聴の列に笑いが走り、私は咳払いで押し戻す。

(煽るな私。冷静に条件を潰せ)


 私は書記官席に移り、机上に資料を展げた。出勤簿の欠勤印、会議録の無記名空欄、そして王都供給庁の入札結果一覧。

「王子殿下の欠勤日数、過去半年で四十七日。公務会議への発言記録、ゼロ。供給庁の入札、王子の私的倉庫を経由した業者が三件連続で落札。利害関係の疑いがあるため、監査院に情報公開請求を提出済みです」

 老侯の眉がわずかに動いた。

「証拠がそろえば審理で評価しましょう。しかし、いまこの瞬間に辞令を止める必要があるのです」

「その“必要性”の根拠は?」

「王子が代理外務長官の補佐に就けない。国益が損なわれる」

「補佐、ですか。では“就ける能力”の提示を」

 沈黙。殿下の横顔に、ほんの小さな笑み。

(争点、縮小完了。必要性の中身を“能力”にすり替えているのはそっちです)


 私は官報掲示官に目で合図し、ひとつ深呼吸を挟んだ。

「官報、掲出をお願いします」

 掲示板に羊皮紙が留められる音が、やけに大きく響いた。公示は市民の目に触れてこそ意味を持つ。

 と、その瞬間。

「待たれよ!」

 老侯の杖が床を鳴らした。彼は袖から一通の書面を抜き、審理官に差し出す。

「人事院より通達。『差止仮申立て受理。公開審理を即日指定。結論までの四十八時間、効力を停止』」

 傍聴席がざわつく。私は一歩、掲示板から下がった。

(まさかの先回り……やる)


 殿下は動じない。細い指で錫杖を回し、淡々と告げた。

「よろしい。審理は表でやりましょう。記録官、逐語録の準備を。リディア、証拠の開示計画を」

「既に起案済みです。“出勤簿原本”“会議録の電子署名”“入札ログのタイムスタンプ”。それから——」

 私は小さく息を整えた。いちばん固い石を、最後に置く。

「外務長官カスパル閣下の先んじ決裁メモ。電子押印の時刻証明つきです。決裁印は、紙の上だけを歩きません」

「ほう。空決裁の疑いもありますぞ」老侯は唇の端を上げた。「押印の実在を示す第四の印は、どこにあるのか」

「——時間に、です」


 審理官が頷いた。

「公開審理は本日午後。各当事者、証拠の目録を提出せよ」

 鐘が鳴る。公務の刻限。

 私は辞令の角をそっと撫で、朱の乾き具合を確かめた。紙の匂い。石床に滑る靴音。官報の木枠に差す午後の光。

(恋と政は、今日も決裁待ち。けれど“印”は、まだ私の手の中にある)

 四十八時間の停止は、剣の鞘だ。抜くのは、審理の場で。


 ——幕間のざわめきを背に、私は証拠箱を抱えて謁見の間を出た。


本日の行政キーワード:効力停止

行政処分の効力を、最終判断が出るまでいったん止める仮の手続。要件は「回復困難な損害」+「必要性・緊急性」。次話、公開審理で“要件詰め”。

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