表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/105

第75話 医療崩壊都市・熱病地獄の戦慄 28

「……刑事さんか」


「阿羅業先生。――逢ってお話を訊きたいことがあります」


 短く、切実な声だった。


 阿羅業はしばし沈黙し、低く息を吐いた。


「煉脈連か」


「ええ。あなたは彼らを知っている。今回のマラリア禍の背後に、その組織が隠れている。私は証拠が欲しい。柘植達郎の罪なら……私が一切を闇に葬ってもいい」


 自分でも信じられない言葉だった。


 だが、それが本心だった。


 榊原の死を無駄にできない。


 闇に葬られた凶悪犯罪を暴くためには、墓場まで罪を背負って行っても構わないと思っていた。


 電話の向こうで、煙草の火が弾ける小さな音がした。


 やがて、阿羅業の声が静かに落ちた。


「……柘植達郎は、まだ生きている」


 加奈子は息を呑んだ。


 心臓が凍りついたように止まる。


 どういう意味か、達郎が運転していた軽四ごと轢き潰されたことを加奈子はまだ知らない。


「……生きている?」


「ああ。交通事故に遭った、瀕死だが、まだ命をつないでいる。今、埼京医大の集中治療室にいる。事故の夜、俺が手を入れた。奇蹟に近い状態だ。だが……いつまで保つかは、わからん」


 加奈子の指が震えた。


 電話を握る手の力が抜ける。


 ――生きている。


 頭の中でその言葉が何度も繰り返される。


「榊原と一緒だ……」


 闇に触れたものは容赦しない。敵の恐ろしさを加奈子は垣間見た。


 ただ、榊原と違って、達郎の命の灯は消えていなかった。


「先生……会わせてください。柘植達郎に、彼に直接話を聞きたい」


 阿羅業は低く唸った。


「お前、本気で地獄を見る覚悟はあるか。あの男が生きているのは、医学の賜物だけではない。でも奇跡でもない。“何か”が、まだ彼を生かしている。闇を闇のままにしてはならないという、天の計らいかもしれぬ。そうだな、人間の理屈では説明がつかない何かだ。嵌ったら地獄だぜ」


 加奈子は、唇を噛んだ。


 血の味が広がった。


「……それでも行きます」


 その声は、かすれていたが怯えはない。


「榊原が死んだ。このあとは私がこの手で、闇の根を掴みます」


 電話の向こうで、長い沈黙。やがて、阿羅業の声が戻った。


「……明日、午前七時。埼京医大、第三手術棟の裏口から入れ。誰にも言うな。“神と悪魔の棲む処”を覗く覚悟があるなら、連れて行ってやる」


 通話が切れた。


 加奈子は、しばらく携帯を見つめていた。


 指先に残る震えが、


 心の底に淀んでいた恐怖の証だった。


 だが、その恐怖よりも、燃え残っている憤怒の怒りの方が、はるかに勝っていた。


 ハンドルを握りしめる。


 エンジンをかけると、低い唸りが車内に響いた。


 加奈子は夜通し、あてもなく車を転がしていた。


 フロントガラスの向こう、夜明け前の空が薄い群青に染まりつつある。


 彼女の胸の奥で、父・誠一の声が甦った。


 ――巨悪が立ちはだかっても、怯むな。


 加奈子はゆっくりと呟いた。


「……父さん、次は私が、地獄へ行く番ですね」


 車は静かに動き続ける。


 街はまだ眠っている。


 だが、空の色は確実に変わり始めていた。


 それは、戦いの夜明けの色だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ