表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/105

第74話 医療崩壊都市・熱病地獄の戦慄 27

 

 長谷川は深く息を吐いた。


「……もう、ここまでだな」


 その声に、疲れと覚悟が入り混じっていた。


 加奈子は拳を握りしめた。


「いいえ、ここからです」


 彼女の声は低く、だが静かに燃えていた。


「榊原が命を懸けた事を、無駄にはしない。このまま終わらせたら、私たちは、組織の幹部と同じ罪人です」


 沈黙が続いた。


 蛍光灯の唸りだけが響く。


 長谷川は、ふと加奈子を見つめた。


「……涌嶋誠一あいつに似てきたな」


 ふと、独り言が出た……。


 長谷川の言葉に、加奈子の呼吸が止まった。


「……あいつに似てきた?」


 その一言は、まるで加奈子の胸の奥に突き刺さる刃に等しかった。


 誰のことを言っているのか――言葉にせずとも、わかっていた。


 父の名は、涌嶋誠一。


 元・警視庁刑事。


 政界と暴力団に繋がる黒い糸を断ち切ろうとして、呑み込まれた男だった。


 二十年前。政権中枢を震わせた汚職とそれに絡む、殺人事件の捜査。


 捜査線上に浮かび上がったのは、当時の与党幹事長――権力の象徴とも呼ばれた男だった。


 幹事長は己の不正を暴こうとした野党議員をヤクザに命じて、車で轢き殺させた。


 幹事長を許せぬ誠一は上席幹部の命令を無視し、単独で追及を続けた。


 令状が下りぬまま、暴力団の組織を自らの正義の掟のもと、一つずつ叩き潰した。


 正義の名の下に、法を越えた刑事。


 だが、その正義は、あまりに危うい正義だった。


 数日後、誠一は失踪、見つかったのは三か月後。


 産廃処理場の廃材の山の中――コンクリート詰めのドラム缶。


 四肢を生きたまま切断され、その喉から肺に達するまで生コンを流し込まれ、正に声を封じられたままの姿で、見つけられた。


 報告書には、無機質な文字が並んでいた。


 強引な捜査に対する、暴力団関係者による報復殺人と断定。


 だが、誰も、幹事長の名を出さなかった。


 警察は沈黙した。政界は笑った。


 真実は、父の呑み込んだコンクリートの中に封じられたままだった。


 加奈子は、会議室の隅で拳を握った。


 掌に爪が食い込む。


 灰のように冷たい記憶が、再び熱を持ち始める。


「……父も、同じ場所に立っていた」


 彼女の声は低く、掠れていた。


「誰かがやらなきゃ、真実は永遠に地の底に眠る……」


 長谷川は何も言わなかった。


 ただ、煙草に火をつけ、紫煙を吐き出した。


 その顔には哀しみがあった。


 そして、ほんのわずかな希望の色が滲んでいた。


「誠一の娘が、ここまで来るとはな……」


 長谷川の声は静かだった。


「加奈子――この道の先、また血が流れるぞ」


 加奈子はゆっくりと顔を上げた。


 その瞳に、怯えはなかった。


「血を流さなければ、証明できない正義もあります」


 焦げた灰の匂いの残る風が舞う、都心の上で、陽が沈みかけていた。


 ――「巨悪はゆるすまじ」父の遺志は、娘に引き継がれた。


 そして、娘がその続きを歩きはじめた。


「犯罪組織、当てがあるようだな」


 長谷川の問いに、初めて加奈子は笑顔を見せた。


 煉脈連の事、阿羅業は何かを知っている。


 もしも、煉脈連に手が届くなら……、柘植達郎の犯罪行為は帳消しにしてもいい……。


 今日の侮辱的な言動を投げかけた糞幹部に手柄を渡す必要もない。


 加奈子は再び、捜査車両に乗り込んでハンドルを握った。


 警視庁を出た加奈子は、無意識にアクセルを踏み込んでいた。


 夕陽はすでに沈み、都心のビル群が夜の黒に沈み込んでいく。


 ガラスの壁面に映るのは、歪んだ自分の顔。


 その顔に、もう迷いはなかった。


 煉脈連。


 若井美弥子を名乗ったアジア系の女


 八つ目科学。


 羽斑蚊に遺伝子介入をした生物学者、柘植達郎


 そして、阿羅業。


 幾つもの闇が絡み合って、彼女の中で一つの輪郭を形づくりつつあった。


 車を停めて携帯を取り出す。


 画面の通話履歴をスクロールし、阿羅業の番号を選ぶ。


 呼び出し音が三度鳴り、低い声が応えた。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ