第73話 医療崩壊都市・熱病地獄の戦慄 26
悲劇の直後、警視庁本庁舎の会議室の空気は激しく澱み、皆の胸の内は、鉛が詰まっているようにずっしりと重かった。
窓の外では陽光が射していたが、会議室の内には届かない。
窓は厚いカーテンで閉ざされ、照明の白のみが不自然に皆の貌を照らしている。
机の上には、昨夜からの経過を時系列にまとめたA4の報告文書5枚。
会議に召集されたのは、特別行動隊に属する捜査関係者たち。
上座には、警察庁の監察官・堀田審議官が腰を据えていた。
長机の向こうには、警視庁の幹部たち、そして政府関係首脳も数名。
スーツの襟は乱れていないが、その眼差しは冷たい刃のようだった。
「これからの……捜査方針を伺いましょうか、長谷川君。君たちのこれまでの『成果』を踏まえてね」
警務局長の声は、怒声ではなかった。
低く、押し殺した声――だが、余計に重く響いた。
長谷川は背筋を伸ばしたまま、沈黙していた。
その横顔には、疲労と悔恨が刻まれていた。
加奈子は下を向いていた。榊原の名を、誰も出さない。
だが、その沈黙が、何よりも彼の不在を強調していた。
「違法捜査、爆発事故、殉職者も出た。挙げ句の果てに、現場の証拠は焼失だ」
一人の政府顧問関係者がテーブルを叩いた。
「貴様ら、日本警察の信用をどう考えている!」
加奈子の唇が震えた。
「榊原刑事……彼は、命を賭けて真実を追っていました」
誰も動かない。
「法を逸脱したのは確かです。でも、それはこの国の腐りきった現実を――」
「黙れ!」
声が、雷のように響いた。
「腐れ切った現実? どこがだ!」
加奈子は顔を上げた。
その目に、涙の影はなかった。
「私の得た情報では、生物兵器を使った組織犯罪の企みが、闇の中で着々と進んでいます。すでに二千人のマラリア感染者が出ています。これはその組織によるものと考えています。八つ目科学金町工場はその組織の拠点の一つである可能性が高い。しかし、警察組織の幹部のほとんどは、それを認めない。確かに、これが事件性のない輸入感染症だったら、存在しない犯罪組織をでっちあげて独り相撲を取ったということで、確かに、警察の信用は失墜するかもしれません。しかし、犯罪組織の存在を確信し、摘発に命をかけていた榊原刑事は、闇の組織の暗躍に眼を瞑る、警察組織に流れる事なかれ主義に、憤っていました。組織の安寧のために、榊原の暴こうとした犯罪の真実を殺すんですか」
一瞬、会議室の空気が凍りついた。
長谷川が小さく息を呑んだ。
「やめろ、加奈子……。確信であって、まだ確証ではない」
だが、彼女は止まらなかった。
「彼はひとりで地獄に入った。私たちは、それを見て見ぬふりをした!」
声が震えた。怒りと悲しみが、同じ熱を帯びていた。
幹部の一人が、静かに立ち上がった。
「涌嶋警部補、君の言葉は情だ。だが、国家は情では動かん。動かしたかったら早急にその犯罪組織が暗躍しているという信用に足る証拠を提示しなさい、出来なければ……」
そう言い残し、背を向けた。
扉が閉まる音が、冷たく響いた。




