第71話 医療崩壊都市・熱病地獄の戦慄 24
突然、庁舎の無線が唐突にざらついた。
「……金町方面……」、「……工場……の爆発……火災」
途切れ途切れの声。
雑音の中に、二つの単語だけが鮮明に残った。
――金町。爆発。
加奈子の背中を冷たいものが走った
息が止まり、指先が机の縁を掴んだまま動かなくなった。
頭の中で、その地名が何度も反響する。
金町――工場。
そして、榊原。
「いや、違う、榊原は帰って風呂に入ると言った。金町に行ってるはず……ない」
窓の外では、北東の彼方で、黒煙がゆっくりと広がり、赤い閃光が雲の底を照らしているようだった。
「……まさか……」
呟きは声にならなかった。
加奈子は無線に手を伸ばし、周波数を合わせようとしたが、
スピーカーから返ってくるのは、砂嵐の音のようなノイズだけだった。
胸の奥で、何かが崩れた。
小さく呟く声が、部屋の中で溶けた。
壁時計の針が鳴る。
それが心臓の鼓動のように響く。
加奈子は、無線機から離れられなかった。
耳を澄ませば、まだ遠くで誰かが叫んでいる。
断片的な言葉が、途切れたノイズの合間に刺さる。
「――火勢強く……応援要請……負傷者多数……」
声の震えが生々しかった。
現場の混乱が、そのまま電波に乗って伝わってくる。
加奈子は椅子を弾くように立ち上がった。
もう一度、電話をかけようとしたその時、
携帯が震えた。
画面には"萩枝"の名。
加奈子は眉を寄せた。
「……もしもし、萩枝さん?」
電話の向こうから、雑音交じりの低い声が聞こえた。
「おい、涌嶋か。――今、金町の八つ目科学の工場が爆発した。どうやら、榊原の奴が……現場付近にいたらしい。今、行方が分からん」
血の気が引いた。
手にしていたペンが滑り落ちる。
「榊原が……? どういうことです!?」
「詳しくはまだだ。現場は炎上中だ」
プツリと電話が切れた。
加奈子は立ち上がった。
窓の外に目をやる。
遠くの空が赤く染まっているように見える。
金町に――火の手か。
夜の警視庁は、まだ静かだった。
だが、その静けさがかえって不気味に思えた。
息が詰まる。
嫌な予感が、形を伴って迫ってくる。
机の上に残った紅茶が、わずかに揺れた。
彼女の震える手がドアノブを掴む。
「……榊原が、まさか……」
コートを掴み、廊下に出る。
誰もいない廊下を、
ヒールの音が硬く響いた。
階段を駆け下りる。
コンクリートを叩くヒールの音が、
夜の庁舎にけたたましく反響した。
庁舎を出た瞬間、夜風が頬を打った。
加奈子は捜査車に乗り込み、エンジンをかけた。
祈るような心で走り出す。
街はまだ眠っている。
だが、もうすぐ朝がやってくる。
ハンドルを握る手が震えていた。
それは恐怖の震えではない、憤りに拳が震えていた
「……絶対に、真相を掴んでみせる」
東に向かって車を走らせた。
風が車内を抜け、耳元でうなる。
遠くでサイレンの音が重なり始めた。
東京が、燃え始めている。
彼女の瞳に、炎の光が宿った。
東の空は、まだ燃えていた。
夜明け前の光と、炎の残光が混じり合い、
街全体がぼんやりと橙色に染まっていた。
涌嶋加奈子は、捜査車を降りた。
靴底が、湿った灰の上に沈む。
焦げ臭い空気が肺の奥まで入り込み、咳をひとつ、無理に押し殺した。
視界の先に、崩れた鉄骨。
黒焦げの壁。
まだところどころに小さな炎が燻っている。
そこが――八つ目科学・金町工場の跡地だった。
警察の規制線が張られ、
消防と鑑識が行き交っていた。




