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第59話 医療崩壊都市・熱病地獄の戦慄 12

 柘植達郎が繁殖させた蚊群は、鉄道の車輛、駅の地下街を経由して、乗客に紛れ込んだ舞龍権の工作員に手により、着実に熱帯熱マラリアの原虫を、都民の体内へと感染させていった。


 一週間の潜伏期間を経て、感染熱病地獄の影が姿を明らかにして、まず、東京の下町を覆い始めた。


 北千住・金町・亀有・葛飾柴又・葛飾高砂……。


 最初に異常を訴えたのは、常磐線沿線の住民だった。


 発熱、悪寒、昏睡。


 立て続けに基幹病院への救急搬送が続き、血液検査で、"熱帯熱マラリア"の診断名が下された。


 数十人単位の感染者が同一線区で確認され、感染経路は不明。


 都内の保健所に、感染電話相談室が設置されたとたん、熱病に怯えた都民からの相談電話がひっきりなしにかかってきた。


 どこの病院でみてくれるのか?ワクチンはないのか?等々……。


 もちろん、怯えた都民が押し寄せたのは、保健所のテレフォンサービスだけではなかった。


 夜明け前から、各診療所の前に患者の列ができていた。


 マスクに覆われた顔、額に浮かぶ汗、誰もが熱にうなされるような眼をしていた。


「発熱外来はこちらです!そこ!!熱を測らずに勝手に入らないで!」


 看護師の叫びも、怒号と嘆きの渦に呑まれてかき消された。


 診察室のドアが乱暴に開く。


 一人の男が倒れ込むように入ってきた。


「先生、マラリアの薬を! 予防でも何でもいい、手に入るだけくれ!」


 医師――宮下は顔をしかめた。


 額に浮かぶ汗を拭う暇もなく、患者のカルテを手に取る。


「症状は?診断所で検査は陽性だったの?」


 日本では、近年、診ることのなかったマラリアである。


 渡航外来のあるクリニックでもなければ、迅速検査キットを用意している町医者は皆無だ。


 丈二が、東京の駅中に診断所を開いたのもそういう状況を見越してのことだった。


 さらに、宮下らは、マラリアの治療薬の処方は、医療機関若しくは臨時診断所の検査で陽性を受けたものに限る、という厚生労働省の通達を受けていた。


「そんなこと知るか! 家族の分もだ! 薬が手に入れれば高く売れるんだ……!」


 診察室が凍りついた。


 男の声は、恐怖だけではなく、欲にも染まっていた。


 外では、他の来院者たちが怒鳴り合っている。


「先に診ろ!」「薬はもうねぇのか!」


 受付カウンターが揺れ、看護師の悲鳴が上がった。


 宮下は静かに立ち上がった。


 表情には怒気が浮かんでいた。


「……あんた、薬が何だかわかって言ってるのか?素人が転売して、誰かが飲み損ねて死ぬかもしれないんだぞ」


 男は歯を剥いた。


「俺が死ぬよりマシだ! どうせ政府も助けちゃくれねえ!」


 机を叩く音が響いた。


 宮下の拳だった。


 切れた拳の皮膚が衝撃で裂けた。


 拳の傷口が触れた白衣の袖がわずかに血を吸って朱色に染まっている。


「ふざけるなッ! 俺たちは病人を救うために薬を使うんだ。お前の金儲けのためじゃない……!」


 沈黙が診察室を支配した。


 男は言葉を失い、やがて視線を逸らして立ちすくむと、きまりが悪そうに診察室から出て行った。


 その背後で、看護師が泣きながら薬棚を押さえている。


 待合室では、マスク越しに咳と罵声が混じっていた。


 テレビのニュースが途切れ途切れに報じる。


「都内の感染者数、推計で二千人を突破……」


 宮下は机に両手をついた。


 その掌は震えていた。


「……守りきれねぇわ……こりゃあ」


 呟きが、誰に向けた言葉か、自分でもわからなかった。


 外の真夏の陽射しが街を焼き続ける、


 熱病の影におびえる人の行列は途絶えることなく続いていた。


 そこに希望はなく、


 "生への渇き"、"死の順番待ちを少しでも遅らせようとする足掻き"があった。




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