第45話 医療崩壊都市・トキソイドクライシス 40
新聞記者達の怒声など歯牙にもかけぬ鍬形は議員控室に入った。
分厚いカーテンで外の光を遮った部屋に、鍬形崇真は革張りのソファに身を沈め、酒瓶を机に置いた。
脂肪の蓄積した分厚い腹を撫でながら電話の受話器を握っていた。
面倒を見ている女に一報をいれる、他の男と浮気をしていないか確かめる目的もあった。
「ほぉ……そうか、そんなに会いたいか」
耳に押し当てた受話器の向こうからは、甘えた女の声が聞こえてくる。
銀座のクラブに勤める愛人。
彼女は高い酒と宝石を欲しがり、鍬形はそれを与えるたびに己の富と力を確かめていた。
「よし、今夜にでも店に顔を出そう。お前の新しいドレスに似合うダイヤも用意してやる」
鼻の下を伸ばし、口元にだらしのない笑みを浮かべる。
その姿は、さきほど記者に尊大に吠えていた政治家の影などどこにもなく、ただ欲望に従順な老害に過ぎなかった。
十数分、女とくだらない下ネタ話に興じていたら、控室の扉が唐突に開いた。
若い秘書が蒼白な顔で駆け込む。
「せ、先生!一大事です!」
鍬形は不機嫌そうに顔を歪めた。
「……馬鹿者、今は大事な話の最中だ。後にせんか」
「い、いえ……埼京医科大学の第四内科学教室の阿羅業神醫という男と、その仲間――片山秀人と赤嶺丈二なる連中が、先生との面会を強く求めております!」
その名を聞いた瞬間、鍬形の指が受話器の上で止まった。
耳に残る愛人の甘え声が遠のき、額に冷たい汗が浮かんだ。
「……阿羅業だと?」
濁った声で呟き、鼻先に漂っていた酒と女の匂いが一気に吹き飛ぶ。
秘書は必死に頷いた。
「はい……控室前で待っております。えらく強い調子で……」
鍬形はゆっくりと受話器を置いた。
そこに浮かぶ笑みは、先ほどまでのだらしない色欲の笑みではなく、
老獪な獣が牙を研ぎ澄ます前の、冷ややかな皮肉な笑みだった。
「……来るか。痩せ狗どもが」
この時までは鍬形は、阿羅業たちを、陳情に来た医療業界の野良狗か何かと思っていた。
「ふん、退屈しのぎにぶっちめてやるかのう、野良犬どもを」
控室の扉が開いた。
阿羅業神醫、片山秀人、赤嶺丈二――三人の影が踏み入った。
部屋の奥、革張りの椅子にふんぞり返る鍬形崇真は、ゆっくりと顔を上げた。
「……なんだ、秘書。もっと大物かと思えば……貧相な若造が三匹か」
唇の端を歪め、煙草をくわえる。
阿羅業を射抜く眼差しに侮蔑が滲んでいた。
「チンピラまがいを通すなと何度言った?この議員会館は、ならず者の遊び場じゃないぞ」
片山が低く煙を吐き、丈二は肩を揺らして鼻で笑った。
しかし鍬形は怯むどころか、むしろ愉快そうに続けた。
「お前らのような連中は、俺の前に山ほど来た。補助金をよこせ、許認可をよこせ……どれも同じだ。結局は、金と権力の匂いにすがるしかないクズだろう」
阿羅業の指先が古びたファイルを撫でる。
その冷たい動作に鍬形は気づかない。
彼の目には、目の前の三人はただの雑魚、
一喝すれば退散する小虫にしか映っていなかった。
「時間の無駄だ。俺には愛人が待っている。お前らの顔を見る暇などない」
鼻の下を伸ばした笑みの裏で、鍬形はすでに勝者の気分に浸っていた。
だが、この場に立つ三人が――ただのチンピラではないことを、彼はまだ知らない。




