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第44話 医療崩壊都市・トキソイドクライシス 39

 最凶医大の微生物学教室奥の古文書室の蛍光灯の下で、今日も阿羅業神醫は黄ばんだ旧陸軍防疫給水部の記録を広げていた。


 隣には、取り寄せたばかりの別刷り。


 ページをめくるたび、実験ノートの数値と図表が、別刷りのそれと、数十年の時代を隔てて、不思議なほど、ピタリと重なり合っていく。


「……やはり、奴らの学位論文ティーテル・アルバイトは丸写しに過ぎんな」


 細い眼光が鋭く光る。ふっとため息を付く。


 戦時に人命を材料にした実験、その結果をまるっと盗用して博士号取得用に仕立てあげた学位論文。


 その事実が行間から姿を現し、彼の唇に薄い笑みを刻ませる。


「――これで奴らの喉元に刃を突きつけられるぜ」


 阿羅業はゆっくりと立ち上がった。


 背後でページが風に鳴り、古文書のページが亡霊のように踊りざわめいた。


 片山秀人が煙草を噛み、腕を組む。


 赤嶺丈二が巨体を揺らし、唇の端を吊り上げた。


「行くぞ。大学の屏の中で吠えていても、犬死にを待つだけだ」


 阿羅業の声は氷のように冷たかった。


「行き先は……永田町の議員会館だ」


 三人は並んで階段を下りた。


 夜の大学を後にする足音は重く、だが確かな響きを持っていた。


 その足音は、無念の過去を抱えた亡霊を携えて、権力の中枢に立ち向かう決意の響きだった。


 摩天楼の向こうに、議員会館の黒い影が浮かんでいた。


 そこに待つのは、大戦の旧罪を隠蔽し続けた者の末裔。


 そして――三人の刃が突き立つ瞬間だった。


 議員会館の長い廊下に、重い革靴の音が響いた。


 鍬形崇真くわがたたかまさ――厚労省を牛耳り、政財界の「門番」と呼ばれる男は、今日もゆるぎない足取りで姿を現した。


 白髪をオールバックに撫でつけ、金縁眼鏡の奥に宿る瞳は氷のように冷たい。


 秘書が小走りで近づき、会議資料を差し出す。


「先生、明日の、厚生委員会での答弁準備で……」


 鍬形は一瞥しただけで書類を払い落とした。


「そんな瑣末な紙切れ、俺に読ませるな。数字や顛末など俺が捻じ曲げれば済む話だ」


 廊下の端に立っていた若い記者が声を張った。


「鍬形先生、薬害被害者団体が記者会見を――!」


 その瞬間、鍬形の顔に嘲笑が浮かんだ。


「アレが薬害? 人間はいつか死ぬ。たまたま、かの薬をあおったあとにくたばっただけだろう。記者会見で勝手に喚かせておけ。後は木っ端官僚共に火消しをさせろ」


 ざわめく報道陣。


 秘書が慌てて駆け寄りフォローの言葉をかけようとするが、鍬形は、一切、それを無視して歩き続けた。


「記事にしたければ勝手にしろや。だが俺の名前を紙面に載せるときは、必ず"厚労族の大重鎮"と書け。そうでなければ、二度とこの館に足を入れるな」


 その尊大な言葉に、記者の顔は赤くなった。


 誰も反論できなかった。


 鍬形の一言で、全ての政は止まり、高級キャリア官僚すら役を失うことを皆知っていたからだ。


 エレベーターの扉が閉まる直前、鍬形は鏡に映る自分の姿にうっすら笑みを浮かべた。


 それは万能の権力を握った者にしか出来ない、傲慢な笑みだった。

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